第百一話 魔忍
「木村重成をどうしようと勝手だが、北畠顕家は私の得物だ。お前と言えど、手を出すことは許しませんよ、佐助」
霧隠才蔵が語り掛けて来た。闇に潜んでいる為その表情はうかがい知れない。だが想像はつく。
男女のそれぞれ優れた部分を併せ持った、人間の奇跡とも言うべき比類ない顔貌に執念と殺意をたぎらせているに違いない。
「別に北畠顕家はお前に譲って構わんが・・・・。正直、俺や幸村でもあの御仁を仕留めるのは至難の業と言って良いだろう。お前ではどうあっても勝ち目はないのではないか?」
佐助は挑発する意図は無く、率直に二人の力量差を鑑みて言った。
「確かに、正面から武勇を競い合ったなら百に一つも私に勝ち目は無いでしょうね。ですが、忘れてはいけませんよ佐助。私は伊賀忍術の奥義を極めた身。お前もまだまだ知らぬ秘術が多くあるのです。それらを駆使すれば、必ず・・・・!」
常は氷のように冷徹にして艶然と余裕の態度を保つ霧隠才蔵らしからぬ熱い激語を聞き、佐助は納得した。
才蔵の実力は既に見切っていたと思っていたが、その考えは甘かったと撤回せねばならないらしい。
佐助が師である戸沢白雲斎から学び、その奥義を極めた流派は甲賀忍術であり、才蔵の流派は伊賀忍術である。
忍者は決して己の流派の全貌、奥義を他人に見せることは無い。例え同じ主君を仰ぎ、志を共にする同士であってもである。もし見せてしまったら、その相手を殺し、己も即命を絶たねばならない。それが忍びの掟である。
霧隠才蔵も当然、その伊賀忍術の奥義の全貌を見せてはいない。そして亡者の女王ヘルに賜った闇の瘴気の力で術をさらに進化させたのである。
いや、己同様、これから先さらに進化していくのだろう。体術、武勇という点では才蔵は佐助に明らかに及ばない。だが才蔵もまた忍びとして天賦の才を受けて生まれたのである。その術の威力は佐助に匹敵し、多彩さという点ではあるいは上回るかも知れない。
忍びという存在に関してはほぼ無知であり、同時に見下している北畠顕家の隙を突き、その命を絶つ可能性は十分にあるといえるだろう。
「まあ、精々頑張ることだ。幸村の奴は北畠顕家の武勇が木村重成や後藤又兵衛の上を行くと知れば、必ず戦いたくなるだろうからな。横取りされんように気を付けろ」
佐助は素っ気無く言った。がすぐに霧隠才蔵の変化に気づいた。才蔵がここまで己の欲求をはっきり口にするのを聞いたのはこれが初めてかも知れない。
霧隠才蔵こそが忍びの中の忍びと言えるだろう。その忍びの任務に適した特異な体質のみならず、その精神、心の持ちようがである。
己の欲求、願望を決して表に出さず、与えられた命令、使命を全うすることに全身全霊をかけ、その為ならば己を完全に殺すことが出来る鋼の精神。
任務を果たしながらも己の快楽を貪ることを忘れなかった佐助とは忍びとしての姿勢が全く違うといってよい。
特に才蔵の幸村への忠誠心は盲目的ですらあった。常に幸村の意に沿うことに配慮し、彼の命令を忠実に、完璧に果たすことにその魂を燃やし尽くしていた。
幸村からの命令よりも己の欲求を優先するなど、かつての才蔵ならば想像だにしなかっただろう。
だが、今の才蔵の様子では、北畠顕家の首を獲ることをもし幸村が邪魔するようであれば、彼を殺しかねないのではないか。
(ヘルとロキに蘇らせられたことで幸村への忠誠心が薄れたか。いや、亡者となって、己の欲求を優先するよう精神の在り方が変化したのか・・・・?)
元々佐助は幸村とは形こそ主従であったが、その実は対等の友であった。佐助が幸村に従って勝ち目などほとんど無かった大坂の陣を戦ったのも忠誠心からではない。
家康が築こうとする太平の世を破壊し、日本を再び戦国乱世に戻すという幸村の野心に共鳴したからである。
佐助にとって幸村から受けた命令、いや依頼を遂行するのは最大の楽しみであったと言って良い。
闇に潜み、手練れの武士を刀を抜く間も与えず屠り、壮麗な建造物に火をつけて灰燼に帰すのを見届ける。そしてその合間に良き女子を見つけたら、様々なやり方で楽しむ。
獣欲のまま荒々しく力づくで犯す時もあれば、愛欲貪欲の術を使って魅了し、その女が愛する男になりきって弄ぶ。
時には小細工や暴力を用いず、巧みな弁舌と機知を使って堂々と口説き、純粋に一夜の恋愛を楽しむこともあった。
佐助は生前から常に己の欲求を優先し、何者の束縛を受けず自由気ままに生きて来た。そういう意味では亡者として蘇ってもその魂はロキとヘルの暗黒の力の影響をほとんど受けていないだろう。
(だが、俺以外はそうもいかんのだろうな・・・・)
忍びとして誇りと掟を守ることに全てを捧げていた霧隠才蔵ですら変化しているのである。ならば、根津甚八などはどうだろうか。
琉球武術を極め、さらに才蔵から忍びの術を学んだ異色の存在だが、その姿勢、生き方は武士そのものであったと言って良い。
特に義侠心に満ち潔癖な気性から佐助の所業への怒りと反感を隠そうとしなかった。先程などはあの男が木村重成を止めようしなかったせいで、ブリュンヒルデを我が物にしそこなったのである。
最早我慢ならず、この任務が終わった後に必ず闇討ちして始末すると心に決めていたが、考えを改めた。
(あの武人気取りの男がどう変わり、どう堕ちていくか、見たくなったわ)
武というものを信仰し、刀を鍛えるように己の心身を錬磨することに凝り固まったあの男が、おそらく自覚がないまま堕落し、悪に染まっていく様は最高の見世物と言えるのではないか。
(よくぞ我らを蘇らせてくれた)
佐助は改めてロキとヘルの親子、そして彼らに十勇士を死者の軍勢に加わらせることを頼んだ真田幸村に心から感謝した。
(あんた達がこの天下、いや銀河にどのような災いを振りまき、巨人族や光の神々の勢力を闇に染めていくのか、是非見届けたい。その為ならばこの猿飛佐助、いかなる助力も惜しまぬぞ)
佐助の精神、魂は不変であった。暗黒神ロキ、亡者の女王ヘルと言えど、主君と仰ぎ忠誠を尽くす気は全く無い。
幸村との関係同様、己に娯楽と快楽を貪る場を提供してくれる代わりに働くという対等の友の立場、ある種の契約関係を固持するつもりである。
もし彼らが期待に背くことがあれば佐助はたちまち見限り、離れていくだろう。