水色のお尻、悪態を吐く男
尻にくそつけて撒きちらしてやがる、恥知らずめ、腹黒、よく笑っていられるぜ、いっぺんだっててめえ自身を見つめたことがあるのかね……見つめ続けたことが……てめえに不都合があればぶうぶう文句たれて、そのくせいつだって上前をはねる機会を狙ってやがるんだからな、何かになりたい、何かをやりたい、幸せになりたい、笑って生きたい、聞いて呆れるぜ、てめえが欲しいのは、てめえの安心だけだ、金、名声、今までのてめえへの復讐、それ以外に欲しいもんなんてねえくせに、てめえが善だと信じて疑わないてめえは悪魔なんだよ、気づかねえのか、気づけねえのか、おお、まさに地獄だぜ、地獄は地獄なんだろうが、ここだって十分に地獄だぜ、だって、ほら、うようよしてやがる、生臭の半端もんが、うわっつらだけで、切り抜けようとしてやがる、悪魔、悪魔、悪魔、おれに自由をくれ、今すぐこの悪魔をぶっ殺してやる……! 細切れにして、二度と汚らしいことをできないようにしてやる……!
彼は場面から消えたり現れたりしながら、ずっとこんな調子でした。場面が終わってもずっとこんな調子でした。いまだってこんな調子なのでしょう。彼はぼくにも怒っていた? 彼はなにも許さない?
映画が止まり、部屋の明かりがつきました。突然のまぶしさに、思わず悪態をつきそうになります。くそったれ!
「何か気づいたのね?」
ナンナはまるでぼくを責めるような口調です。何か気づいた? ぼくが?
「何も」
「あなたは何をみていたの? 教えてください。あなたは何かをみていたはずよ!」
パンナも負けじとヒステリックなのです。ぼくは、駅の階段を上がっている時、前を歩くパンナのお尻をじっと見ていたことを思い出しました。まだ、名前も知らない、一昨日のことです。パンナはパステル調の水色のぴったりとしたカラージーンズを履いていました。彼女の細い身体つきからすると不意打ちのような、そのはちきれそうなお尻から、ぼくは目を離せなかったのでした。ぼくが見たそのお尻は、ぼくの頭の中に焼き付けを起こして、ことあるごとに、まるでサブリミナルのようにぼくの脳裏をかすめるのです。ぼくは、無意識の中で、あのお尻を一体何度思い出したのでしょう? ぼくのなかで、パンナは笑顔とお尻です。いえいえ、まだあるでしょう。色白で細いけれど筋肉の発達した前腕、下顎の引っ込んだ物憂げな横顔、あとはやっぱり笑顔とお尻ですか。パンナと水色のお尻はぼくの中で直線で繋がっています。どちらか一方を思い出すと、どちらか一方が自動で思い出されるのです。どちらもパンナであるのだけれど、それらは別物なのです。
「ひとりの男が目につきました。とてもみすぼらしい格好の男で、彼は打ちのめされていたように思います。彼は怒っていました。起こり続けていました。まるで、永遠に続くような怒り……。ぼくはあんなに持続した怒りを見たことがありません。ぼくはどうしても彼から目を離すことができなかったのです」
ナンナとパンナが顔を見合わせています。なんだか、物々しい雰囲気です。彼がリデル・ネイションだった? まさか! 彼は身を持ち崩してしまった初老の男性であり、いくつもの辛いことや理不尽なことに好きなように転がされてきた自身を呪い、そんな自分を無視し、無いものとして捉えている、嘘、誤摩化し、欺瞞に溢れている自分を取り巻く世界、そしてこの期に及んでなお自分から目を逸らそうとする自分自身に怒っている存在でした。
パンナが映像を巻き戻しています。何べん見たって一緒でしょう? ”そのもの”ですって? 今にしてみれば馬鹿馬鹿しい話ではありませんか! ぼくは一体何をやっているのでしょう?
ふざけたやつらだぜ、嫌なもの、汚いものから目を逸らす術だけは長けてやがるんだ、目を逸らすばかりかそいつを別物にしちまうんだから、開いた口も塞がらないぜ、そんなにてめえがかわいいか、てめえは必要なのか、そんなわけがねえ、おれの全て、つまりはこの酒を賭けたっていいがね、必要な存在なんてひとつもねえんだ、今までだってこれからだって、絶対に必要なものなんてこの世界にあったためしがねえんだ、ただ在るだけだ、在るか無いかだけだ、在るのがそんなに嬉しいのか、在るのはそんなに特別か、在るだけのくせして生意気なんだよ、どうしてこんなおふざけがはじまっちまったんだ、なんだってこんなに笑えねえ笑いばなしばっかりであふれてるんだ、くそだ、全てがくそだ、てめえなんざ弾けば飛ぶぜ、てめえだってそうだ、てめえだって例外じゃねえ、てめえだって、てめえだって、何かがその気になりゃ、一瞬で粉々だぜ、くそ金持ちどもがどけちで強欲なのはわかってるからだ、てめえらと何も変わりやしねえってわかってるからだ、気を許したらかすめとられちまう、けつの毛までむしられちまう、何かの気紛れでそうなっちまう、だから必死に守ってやがる、くそしかいねえから、悪魔しかいねえから、てめえはおれを見たな、もう一度おれを見たな、どう思ったんだ、ええ、どう思ったんだよ、惨めか、哀れか、自業自得か、歪んだ社会の犠牲者か、見えねえって言い張るか、くそっくらえ的外れの青瓢箪の勘違いの知ったかぶりのごますりのかま野郎、おれの唾でも飲んで消え失せやがれ……!
ぼくは気持ちが悪くなってきました。彼が発散する悪態は、ぼくの頭をぐらぐらと揺らすのです。ぼくが信じていたものが、少しずつ、本当に少しずつ、ぷちぷちと端から潰されているような気になるのです。そのくせ、ぼくは彼から目を離せないのです。また巻き戻りました! もういいでしょう! もう止してください、吐きそうです!
そんなに怖いか、恐ろしいか、てめえが在って無いようなもんだと気づくのがよ、だからこの乱痴気騒ぎなのか、この気違い沙汰なのか、いつまで続くんだこの三文芝居は、ええ、いつから始まったんだ、いつ幕が降りるんだ、もう誰もがうんざりしてるってのに、誰もが嬉しそうに演じてやがる、もう止めねえか、反吐が出そうだぜ、いいかげんで止めろ、ぶちこわしちまえ、どうせくそしか出ねえんだ、くそしか出てこねえってのにてめえらはお星様でもひり出してるつもりか、くそなんだ、全てが、この世はくそなんだ、悪魔のくそでできているんだ、みんな知ってんだ、わかってんだ……。
彼はその目でぼくを見ています。濁った目! また初めから! もう嫌です、見たくありません。もう耐えられそうにありません。ナンナもパンナもなぜ平気で観ていられるのです? どうして、こんなものにこだわるのです? ぼくはもうここから出たい、出て行きたいです。そんなことをしたら、ぼくはどうなります? どうにもなりません! この気違い姉妹から離れねばなりません! このくそったれ姉妹から! そう、悪魔です! この姉妹は悪魔に違いありません! 水色のお尻、あれは嘘です! 水色のお尻、あれはくそをひり出す道具です!