白黒の物語、光の明滅
「姉さん、この方は?」
「あら、わたし、てっきり知り合いなのだと思ったわ」
貴女はぼくが誰なのかわかっているはずです。けれど、仕事場のぼくといまのぼくが絶対に同一人物であるという確信をもてないのでしょう。ぼくはすぐに貴女だとわかりました。一瞬でわかりました。姿さえ見ずに、匂いだけでわかってしまうぼくです。貴女がどこにいてどんな格好をしようと見間違うわけがないのです。ぼくは息がつまりました。胸が高鳴りました。ぼくが貴女を見ているほど貴女はぼくのことを見ていないのでしょう。そうなのでしょう。すぐに確信を持ってほしかったのです。ぼくのわがままだとわかってはいます。だけど、やっぱり、がっくりしてしまいます。貴女がここにいることはぼくにとって奇跡のようなものです。では、ぼくがここにいることは貴女にとって何でしょうか? なぜ、あなたがここにいるの? 困ったような、あなたの表情がそう言っているように見えます。ぼくだってそう言いたいです。なぜ、貴女がここにいるのですか? ぼくは誰かに聞きたいです。なぜ、貴女がここにいるのですか? 貴女の頬が赤らみ、ぼくの顔をまっすぐに見れずに、震える声で、なぜ、あなたがここにいるの? 貴女がそう言ってくれたなら、本当の奇跡だったのに! 実際の貴女はただただ困惑しているだけなのです!
「ぼくは、レオです。リデル・ネイションの成したことに興味を持っています」
貴女はまた姉さんとぼくを交互に見るのです。それはもうやめてほしいのです。ぼくだけを見てほしいのです。
「貴女とぼくは会ったことがあります。お話をしたことはないですが、たぶん、ほぼ毎日。ぼくは驚いています。この女性がぼくの部屋をノックして、リデル・ネイションのことを教えてくれました。そして、ここに来て、貴女がいたのです。まったく驚きました」
「わたしたち、姉妹です」ええ、わかっています。「わたしはパンナ。こっちは姉さんのナンナ。やっぱり、あなただったのですね。印象が違うので、どっちか迷ったわ。つまり……レオなのか、そうでないのか」
「ええ、貴女が戸惑っているのがわかりました。ぼくもとにかく驚いたのです」
「それにしても、すごい偶然ですね」
偶然! パンナは偶然と言いましたね! 奇跡ではなく、偶然と! まったくそのとおりです。まったくの偶然です。なぜ、ぼくはそれ以上を望みましたか? なぜ、奇跡だと思ったのですか。こんなに小さいことが奇跡なのですか。小さい? 小さいのでしょうか。いま起こっていることは本当に小さいのでしょうか! ぼくとパンナ、まったく同じことが起こっているのに、ぼくにとっては奇跡で、パンナにとっては偶然なのですか。ぼくはどうしたのですか。せっかく知り合いになれたのです。仲良くなれるのです。なればいいのです。なぜ、ぼくは腹を立てているのですか。なぜ、ぼくはパンナを嫌いになろうと努めているのですか。
「さあ、早速ですがレオ。あなたにリデル・ネイションを見つけてもらいましょうか。本当ならば、私たちが解説しながらゆっくりとリデル・ネイションの見つけ方を会得してもらうのがいいのでしょうが、あなたは何だか特別な気がするのです。いとも簡単にリデル・ネイションを見つけてしまいそうなそんな気が」
ナンナが部屋の壁にスクリーンを下ろします。ナンナはぼくを褒めているのでしょうか。ぼくは褒められて嬉しかったことがありません。ぼくが褒めてほしいことを褒められたことがないのです。いつだって何だか的はずれで……でも、ぼくは何を褒めてほしいのでしょうか。それさえもわからないのです。ぼくは何もわからないのです。
古ぼけた映画の数々です。白黒の無声映画の数々です。まるで、遠い未来です。一度もなかった時代です。しかしながら、この映像美はなんでしょうか! パンナもナンナも食い入るように映画から目を離しません。ぼくは、少し疲れています。素晴らしい映画であることは疑いようもありませんが、そりゃあくびも出ます。暗い室内で、映画の光りだけが明滅しています。パンナの顔は、なにかに魅入られているようです。口を半開きで、惚けた顔です。けれども、認めねばなりません。美しいのです。かわいいのです。二人の熱意に比べて、ぼくはなんだか置いてけぼりの気分です。ぼくは一人きりで、何をしているのでしょうか。”そのもの”を探しているのです。映画の中から解き放たれた”そのもの”を……。あの山は違います。なんだか嘘っぽい。あのおばさんは? なんだかおばさんっぽくないのです。子犬が駆け回っています。子どもが笑っています。美しい女性、恐ろしい兵隊、物腰の柔らかいハンサムな男……すべてが計算づくに見えます。だから、映画は素晴らしいのでしょう? 映画から計算を抜いたら、観れたものではないでしょう? では、リデル・ネイションは反逆者ではないですか? 映画にとって”そのもの”とは醜悪なものなのではないですか? 映画とは”そのもの”と計算のぎりぎりの境界、嘘っぽくない計算を映し出そうとする試みなのではないですか? リデル・ネイションは映画にとってみたら悪魔のような存在ではないですか? いいえ、映画の中だけではないでしょう。いかなる場所にだって”そのもの”はあり続けるのですが、ぼくは”そのもの”から目を逸らすのではないですか? 意味のない”そのもの”に意味を見出して、”そのもの”を消そうと躍起になっているのではないですか? 本来はありもしない意味に振り回されているのではないですか? ぼくが感じている違和感、ぼくは独りであると言う考え、ぼくはぼく”そのもの”に気づいていないからこそ、ぼくはぼくが異物だと意味をつけているのではないですか? ぼくは独りではなく、異物ではないとしたら、ぼくがそれに気づいてしまったとしたら、もう気づいてしまったのでしょうか、ぼくはぼくを続けることができないと思います。ぼくが拠って立っているのはぼくが特別であるという考えなのではないですか。もし、それが特殊なことではないとしたら、みんなが持っている考えだとしたら、ぼくたちは救いようのないほど醜い群れなのではないでしょうか!
画面のすみっこの方、ひとりの男がしゃがみこんでいます。彼はお酒でしょうか、瓶をらっぱ飲みしながら、悪態を吐いているのです。いえ、何も話してはいないのですが、悪態が滲み出ているのです。自分自信に悪態を吐いているのです。彼に唯一残っている美意識が自分自身への悪態となって彼を責め続けているのです。彼はカメラなんて気にしてはいません。彼はきっと映画の外でもきっと彼なのでしょう。彼は体中で憎しみを叫び続けています。自分を安定させるための発露ではなく、出せども出せども底の底から湧いてくる憎しみにどうすることもできないのです。
ちくしょう、死んじまえ、なんだってこんな……冗談じゃねえ、死んじまえ、汚らわしい豚どもめ、消えちまえ、おれは、ちくしょう、裏切りものめ、嘘つきめ、地獄に落ちちまえ、二度と来るな、くそう、どうしたってんだ……なんなんだてめえは……こんなこと、くそったれの悪魔どもめ…………。