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灰色の街  作者: 阿部千代
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らくだ色のコート、迷い込んだライオン

 それにしても、変なところに迷い込んだものです。ある一定の連中の間でぼくの争奪戦ですって? どういう意味だかさっぱりわかりません。それに、一定の連中って何なのでしょう。一部の連中の言い間違いではないでしょうか。それにしても、それにしてもなのです。この男は、本当に変なやつなのです。そういえばぼくはこの男の名前を聞きそびれているではないですか。いくら、警察だと言ったって、名乗りもしないなんておかしいではありませんか。

 男はぼくがついてきているかどうか確認もしないで、ずんずん自分勝手に歩いて行きます。すごく猫背で、おそろしくがに股です! この隙にすうっと脇道にそれてしまえば、ぼくは逃げられるのではないですか? そうですね、今は逃げられるでしょう。ただ、逃げて何になるのでしょう。ぼくはもう、この男に捕まっちまったのです。だいぶ前から捕まっちまっているのです。今さら逃げたってもう遅いのです。全てを捨てる覚悟がないと、この男からは逃げ出せないでしょう。いや、全てを捨てる覚悟があったって怪しいのです。この男はどこまでもどこまでもじりじりとじりじりと追いかけてくるような、そんな気がします。そんな顔をしています! にやにや笑いながら、人を追い詰めるのが大好物と言った感じの男なのです! ぼくはこの男が嫌いです!

 こんな気分になったことが今まで何度かあります。怖くてみじめで情けなくて、こういうどうにもならない状況を覆すことができる圧倒的な力、そういうものが欲しいと願うのです。数え切れないほどの不良少年に囲まれた時……怖いひとに首根っこつかまれて人気のない駐車場に連れて行かれた時……暴力的な教師から生徒指導室と言う名の取調室へ呼び出された時……ぼくが悪い時も悪くない時もありましたが、思うことは一緒でした。——ぼくこれからどうなっちゃうんだろう……?

「あんた、なに食いたい?」

 男が振り返りもせずに、言葉を乱暴に放り投げて寄こすように、聞いてきます。ぼくが逃げる可能性を考えないのでしょうか。ぼくはこの男になめられているのでしょうか。なめられても仕方がないのかもしれません。ぼくにはこの男についてゆくしかないように思えるのです。もちろん、実際はそんなことはありません。全ての可能性は開かれています。ぼくが何かをすれば、この世界はそっちの方向に変わります。ぼくはこの男に後ろから襲いかかることもできます。ぼくは車道に身を投げることだってできます。ぼくはしゃがみこんで一歩も動かないでいることだってできます。ぼくはあらん限りの大きな声で悪態を吐くことだってできます。ぼく自身がこの男に素直についてゆくことを選んでいるのです。それしかないように思えるのです。一体、何故でしょう?

「なあ、なに食いたいんだよ?」

「なんだっていいですよ」

「おいおいレオ君、やめようぜそう言うのさ。確かにあんたにとっちゃ不愉快な状況かもしれんが、メシは美味しく食わなきゃな。いかなる状況においてもふてくされるのは最悪の選択だってな。おれの親父の言葉だ」

「そうですか。でも本当になんだっていいのです」

「いや、嘘だ。今、おれが考えた」

「何の話ですか?」

「さっきの言葉さ。おれの親父の言葉だってのは嘘ってことだよ」

「どうしてそんなくだらない嘘をつく必要があるのですか?」

「あんた、つまらんやつだねえ。嘘ぐらいつかせてくれよ」

 男はタバコをさっと取り出ししゅっと火をつけます。この場所は禁煙なのにです。

「ぼくは嘘は嫌いです。それに、ここら一帯は禁煙ですよ」

「知ったことかよ。そこまで心配してくれんでも、ほれ、おれはこのとおり何ら問題なく健やかにタバコを吸ってるぜ」 

 ぼくは小さく、くそやろう、と呟きます。

「あなた、それでも警官ですか」

 男は、へっへ、とまたあの笑い方です。

「わたし、これでも警官ですよ」

 ぼくの頭にさっと血がのぼります。手が出そうになるところを、すんでのところで我慢します。この男は変です。この男自体も変なのですが、この男の行動、言動はぼくを怒らせようとしているのではないですか? これがこの男の自然な姿だったとしたら、ぼくはこんな男を初めて見ました。こんな男は見たことがありません。よくぞ五体満足で生き延びてきましたね、と皮肉を言ってやりたい気分です。

「もういいや、鳥食おう、鳥。レオ君、まさか鳥は苦手だなんて言うまいね?」

「言いませんよ」

 そう言いましたが、実際に鶏肉は大好きですが、この男の口から鳥を食うと聞くと、ぼくはなんだか鳥に対して申し訳なく思えてきたのです。ぼくは鳥を見るのが好きです。ぼくは生き物を見るのが好きなのです。見る、食べる。この二つはぼくの中で分かれていたのですが、分けるべきなのでしょうか? 分けていいのでしょうか? 命を食べるのは、どうしても残酷に思ってしまいますが、それでもぼくは進んで命を食べるのです。仕方ないのです。では、見るのは? 残酷ではない? 本当にそうでしょうか? ぼくは見られたいですか? 他の種類の生き物に見られたいですか? 食べられるでもなく、攻撃を受けるでもなく、じりじりと不気味に近寄ってきて、ただひたすら見られるのは何とも嫌な気分のような気がしませんか。気が狂っちまうような気がしませんか。

「あんた、また全然別のこと考えてるね」

 ぼくは心臓が飛び出るかと思いました! この男はにやにや笑いながら、ぼくのどこまでを見ているのでしょうか。いいえ、これがこの男のやり方なのではないでしょうか。こうやって、誰にでも当てはまるようなことを言って、ぼくの動揺を誘って、それで、……何をするのでしょうか? この男は何を考えているのでしょうか。やっとわかりました。ぼくがこの男が嫌なのは、何を考えているのか全く解らないからです。何をぼくに求めているのか何も解らないからです。不気味なのです。突然、気が変わったと言ってぼくの一番嫌がることを平然とやってきそうなのです。それでも、今はこいつと鳥を食べるしかないのです! 仕方ないのです!

「ずっと見てきたからさ、わかるんだよ。あんたねえ、何考えてるか知らんけど……まあ、いいか。今さら何言ったって変わらんわなあ。

 おっ、ここでいいだろ。なあ、あんたちょっと席あるかどうか聞いて来てよ。おれ店員と話すの嫌いなんだ」

 ぼくだってなかなかの人見知りなのです。この男は、ぼくにはなれなれしく話すくせに、今さら何を言っているのでしょう! それでも、言うことを聞くしかないのです。仕方ない、仕方ない、ぼくはさっきから仕方ないマンです!

「あ、それとレオ君。隅っこの席ね。なるべく広いところ。四人席ぐらいがいいな。後からもう二人来るって言えばいいよ」

 この男は一体何ですか? 

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