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灰色の街  作者: 阿部千代
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らくだ色のコート、男は嘘っぽく笑った

 そう言われてみると、ぼくはものすごくお腹が減っているのです。そう言われてみると、ぼくは起きてから殆どなにも口にしていないのです。ご飯を御馳走してもらうのは、ぼくの体にとって非常に魅力的な提案であるのは間違いないのです。しかし、この男はなんなのでしょうか。ぼくは何か変てこなことに巻き込まれているのでしょうか。

「ぼくを尾けていたのですか……?」

 男は唇の片方の端を持ち上げて、へっへ、と下品に笑います。この男の笑い方は、徹底的にぼくを小馬鹿にしているような、ぼくの神経をわざと逆なでしているような、ぼく個人の幸せなどはどうでもいいことだと言うような、そんな冷たいものを感じます。もう半袖だっていいくらいなのに、よれよれのらくだ色のコートをだらしなく羽織っていて、全体的になんだか奇妙で、嫌な感じの男なのです。

「尾行、ってほどのもんじゃないんだけどな。ああ、勘違いしないでくれよな。おれはあんたがどこに行こうが構いやしないんだ。ただ、後についてまわっていただけさ。もちろん、おれにはあんたを尾けまわす目的、と言うか理由があるにはあるけどな、今のあんたにどこまで話していいものやらおれ自身も迷っていてね。その辺も含めてさ、メシいこうや。どこかにじっくりと腰を据えておしゃべりと洒落込もうぜ。おれ、腹減っちまったよ」

「あなたの言っていることが、よくわかりません。ついてきていたのなら、それは尾行ではないですか。いつからぼくを尾けているのですか? 一体どうしてぼくを尾けるのですか?」

「そりゃわからんだろうさ。わからなくていいんだ。わかってたら、おれの首が飛んじまう。逆に質問させてくれ、あんた、いつからおれのことに気づいてた?」

 またです! この街の住人はぼくの質問には全く答えてくれないのです! 質問をすると質問が返ってくるのです。ぼくの質問は答える価値もありませんか? ぼくの知りたいことは、そこまで取るに足らないものですか? これはなかなかのストレスです!

「ぼくが突然振り返ったのは、誰かに尾けられていると思ったからではありません。ぼくは尾けられているなどとは夢にも思っていませんでした」

 男はぽかんと口を開けて、ぼくの顔をじっと見るのです。そのうち、ひっひとしゃくりあげるような妙ちきりんな笑い声を出したと思うと、

「なんてこった、このまぬけめ!」そう呻いて、男は頭を抱えてしゃがみこみました。どこか、芝居じみていて、嘘くさい男なのです。「ちくしょう、おれは早まっちまったかもしれんな。いやね、あんたの反応を考えてみると、どうもおかしいと思ってたんだよな。くそ、黙ってやり過ごすこともできたってことか。あの時はおれ、ぼーっとしてたんだよな。不意をつかれたもんだから、ついつい自分から話しかけちまった!」

「それで、あなたは、いつからぼくを尾けているのですか?」

 男はわざとらしく髪をかきむしっていましたが、その動作をぴたりと止めて、すっと迷いなく立ち上がりました。まるで、マンガのような男!

「その質問には答えんよ。言ったろう、あんたにどこまで話していいのか迷ってるって。既にもうでっかいへまをやっちまってんだ。もうこれ以上はごめんだぜ、わかるだろう?」

 そう言って、またあの笑いです。ぼくの頭がすうっと冷たくなってくるのがわかります。ぼくは怒っているのです。今日のぼくの感情は行ったり来たりで大変です!

「わかりません。さようなら。もうついてこないで」

 ぼくは、なるべく冷たい声でそう言い放ったのです。そして肩をいからせて、すたすたと歩いてゆくのです。まったく! この男の病気がうつって、ぼくまでなんだかわざとらしくなっているではありませんか! 

「そうはいかないぜ、レオ君。おれはあんたらの大嫌いなポリ公でね。今のところそのつもりはないが、あんたのお仲間たちをしょっぴくことだってできるんだぜ。おとなしくこのクソおまわりについて来た方がいいんじゃないか? メシもおごるって言ってるんだし」

 ぼくは、ぎくりとして、足を止めます。ヤビトが言っていたことをまた思い出します。裏切り……? 何が何だかわかりません。確かに煙を育てたり吸ったりはしています。ですがそれをお金に換えたりなんてしていません。ぼくたちはそこまで大それたことをしていますか? ぼくたちは捕まらなければいけないものたちですか? ぼくたちは優先的に捕まらなければいけないものたちなのですか? ぼくたちはこの街から消えるべきものたちなのですか? ぼくは刑事が張り付くほどの極悪人なのですか? そんなはずがありません! 何か変なことが起こっています。何かわけのわからないことが……。 

「ぼくたちを、捕まえるのですか?」

 自分でもわかるくらい、声が震えているのです。ぼくが捕まるのは仕方ありません、だけど、もし、ぼくのせいでみんなが捕まるのだったら、それは耐えられることではありません。なぜこんなことになっているのか解らないけれど、ぼくは警察に見張られているのです。ぴったりとマークされているのです。ぼくは自分が捕まるべきものだとは思いません。ルールを破りはするけれど、ぼくの中のモラルに反していることはしていません。ルールを守ってはいるけれど、モラルのないものたちより、よっぽどぼくは正しいと思っているのです。ぼくみたいなものにとって、警察は脅威です! 正しい正しくないなんてことは、この怪物の前では自動的に小さな問題に成り下がってしまいます。ぼくがどんなに頑張って自分を守ろう、貫き通そうと思ったって、この怪物は躊躇わずにぼくの弱点を突いてくるのです。恐ろしいものです! ぼくは、自分を通せますか? ぼくはずたぼろにされても耐えられますか? ぼくは試されているのではないですか? 声を震わせている場合ではないのではないですか?

「そんなにびびるなよ、レオ君。他のやつらはどうだか知らんけど、おれはあんたらのギャングごっこにはとんと興味がないんだ。管轄だって違うしね。おれが興味あるのは、ずばりあんただけ。あんたなんだよ、レオ君。おれだけじゃない。あんたはこの街の興味の的さ、ある一部の連中の間ではね。あんたは気づいてないんだろうけど、今まさにレオ君争奪戦が行われている真っ最中なんだぜ。幸い、おれはくそったれ公僕だもんで、あんたの意思を尊重しなくたって、あんたと食事に行けるってわけ。さ、わかったら行こうぜ。あんたは何べんおれに、腹減ったって言わせるんだ?」

 男はそう言って、さっさと先を歩いて行きます。ぼくもしぶしぶついてゆくのです。とんだことになりました。これならまだ、パンナと一緒にいた方が良かったのではありませんか? そんな考えが頭をよぎりました。ぼくはパンナをなんだと思っているのでしょう。どうやらぼくはだいぶ弱虫になっているようです!

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