思い出
夕焼けが教室の中にさす中、部活の終了を促す音楽が学校中に響いている。
「また居眠りかー、そんなことしても背は伸びないし、むしろ優ちゃんに分けるべきだと思うぞー」
赤い教室の窓際一番後ろの席で一人の男が腕を枕にするようにして突っ伏している。その隣にいるのは学校指定の短めのスカートに上は大きめの黒いコートを着た女子生徒、両手を使って前から寝ている男の肩を揺らし、合わせるように後ろでまとめられた黒髪が小さく揺れている。
いくら揺すっても男が起きないことを確認すると、脇においてあった鞄を振り上げて、側面の平らな部分で頭をたたいた。
鈍い音が音楽に混じって響き、次いで男のうめき声が続いた。
「起きたー」顔を上げた男を覗き込むようにして「優ちゃんだぞー」
「他の起こし方はできないのかよ」
「てんとーがそれで起きてくれるならそれをするけど」それよりと続けた「今日はどこいくー」
「今日はちょっと寄るところがあるから、立花は先に帰れ」
立花は首をかしげてまた男の顔を覗き込む。
「もしかして」そして暗い影を落とした笑顔で「新しい女なのかー」
その顔を男は乱暴につかんで隠す。そして空いている手で机の横に下げてある鞄を掴む。
「違う」そして少し顔を上に向けて「犬に会うだけだ」
立花の顔を掴んでいた手を離すと教室の出口に向かって歩く。後ろから着いてくる足音には何も言わない。
あ、と男は声を漏らした。
それからついてくる立花を軽く押しのけて自分の席に戻った。
「言っとくけどー」そんな男を見ながら「二度寝はできないよ」
「違う」がさごそと乱暴に机の中に手をいれ「教科書持って帰ろうと思っただけだ」
目を丸くする立花を無視して、乱暴に机から教科書を取り出していく。裏には入学当時に書いた高原天道の文字が真新しく残っている。そこから高原天道という男の過去がわかるかどうかはさておき、今までまともに使われていないことだけは確かであった。
今まで教科書を机の中に置いて帰る所謂置き勉をしていたが、急に持って帰ろうとするには訳があった。
昨日であった女性が最後に言った言葉を覚えていたからである。
別に聞く必要があったわけではないが、そろそろ休みに入るので持って帰ろうと思っただけだ。高原はそう自分に言い聞かせて、乱雑に教科書をバッグにしまっていく。
その様子を見ていた立花は、特に何も言うこともせずに高原が帰る準備を整えるのを待っていた。
すべてつめ終えて重くなったバッグを背負う。この教室では一番多い量の置き勉をしている本人にその自覚はない。
やっと帰ることになり、二人は同じ方向に歩き出す。
「ついてくんなよ」
「いかないよー、商店街まで同じ方向なんだから仕方ないよー」
「……商店街までだからな」
「わかってるよ」それから少し間を空け「今日は早めに家に帰りなよ」
それには返事をせず、二人の影はゆっくりと廊下を進んでいく。