第八話「カムイのセンサーの警告」
「お疲れさまでした」
長峰はマキの頭半分を覆うVRデバイスを取り外しながら言った。
「どうです? 素晴らしい体験だったでしょう?」
「はい……とても衝撃的な体験でした」
「そうでしょう。そうでしょう。
いえっ、内容に関してはおっしゃらないでも良いです。
個人個人で違う事がありますしね。
さぁ、これで大丈夫。
立てますか?」
「はい」
マキはイニシエーションルームの椅子から立ち上がる。
長峰はカムイの方を向いて手で椅子へ招く。
「さぁ、次は貴方の番です」
マキに代わってカムイが椅子に座った。
「ではこれを」
長峰はマキに飲ませた物と同じ、『アムブロシアー』で満たされた銀色のグラスをカムイに手渡した。
「さぁ、一気に飲んで下さい」
【内臓システム:抗体ナノマシンHB0500A、生産総数3500。Ready】
【内臓システム:抗体ナノマシンHB0500B、生産総数3500。Ready】
【内臓システム:抗体ナノマシンHB0302C、生産総数1000。Ready】
【内臓システム:製造したナノマシンを人工血液循環システムを利用し、右手中指へ移動】
【ナノアーマー:右手中指内側に小型ブレードを形成、固化完了】
「頂きます」
カムイはグラスを受け取り、それを口元へと運ぶ。
マキはそれとなく、椅子の手すりに摑まるカムイの左手に手を伸ばした。
「!」
マキの右手中指に生成した小さなブレードでカムイの表皮に触れようとした瞬間、カムイはマキの手を払い、押しのけた。
「水野さん……」
(カムイさん! 一体何を考えているのですか!?
まともにアムブロシアーを飲めば、洗脳を受けてしまいます!)
マキは声にならない心の声を、必死で目と態度で訴えようと試みる。
だがカムイはそれを認識しながらも、マキの抗体ナノマシンを拒絶したままグラスをあおった。
「飲んだ。さぁ、続けてくれ」
「ではリラックスして心を落ち着けてぇ……。
いきますよ」
***
カムイはマキ同様にイニシエーションプログラムからの尋問により、自分の最も愛する人物、カノンの情報を引き出されていた。
「大したものだな。たったあれだけの抽象的な質問で個人を特定するなんて、相当な量の個人情報が蓄積されているのか?」
「それは貴方が関知すべき事ではありません。
貴方が今まで持っていた『愛』という感情は、人という動物が持つ原始的な性衝動に他ならないのです。
そしてその強い情動は、貴方が見るべき本当の世界、真実の世界から貴方の目を覆い隠し続けているのです。
貴方は更なる高み、次のステージへとステップアップをする為、この世の真実を見なければなりません」
「真実?」
「さぁ、自分の目を覆い隠す情動を、自分の手で切り裂いて取り除くのです。
これが貴方が越えるべき試練です」
カムイの目の前、VR空間に全裸で直立して浮遊するカノンの姿が現れた。
数年間、交際を続けた男女の仲でもある。
その裸体が、本物と同じ緻密なデータであることをカムイは察した。
「凄いな。医療データまで持っているのか。
で、俺にどうしろというんだ?」
「言葉通り、切り裂いて取り除きなさい」
VR空間のカムイの手元に刃物が現れた。
「出来るわけないだろう」
「恐れてはなりません。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。」
カムイはVR空間の中で刃物を構え、カノンの腹部に添える。
「次のステージへと昇る為、全能神エバの与えた試練、乗り越えるべき試練です。
貴方の原始情動を打ち壊し、真の世界を見るための試練です。
さぁ、刃物を動かし切り裂きなさい」
カムイが少し刃物を動かし、カノンの腹部の表皮を傷つける。
突如、VR空間の中のカノンは目を見開いて叫んだ。
「いたぁぁっ!」
「……出来ないよ」
「恐れてはなりません。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。
……戦いなさい。」
カムイの脳内のセロトニン、ドーパミンがアムブロシアーの影響で極端に減少し始める。
そしてカムイの世界を絶望感、無力感、苦痛が覆いつくしていく。
「貴方は先ほどの女性と違い、素直な方のようですね。
良いでしょう。
全能神エバが力の一部をお貸し下さるそうです」
突如、VR空間の中で空に強烈な閃光が走った。
燃え上がるような熱と共に、激しい微振動を起こしながら空からイニシエーションプログラムとは違う、中性的で力強い別の声が響いた。
「唱えよ! 『我はエバの戦士、穢れの子を滅ぼす者』」
「我はエバの戦士……」
「唱えよ! 『我はエバの戦士、穢れの子を滅ぼす者』」
「我はエバの戦士、穢れの子を滅ぼす者」
カムイの脳内に変化が起こる。
大量の興奮物質、快楽物質が充満し、VR空間内で刃物を持つ手の震えが止まった。
「唱えよ! 『我はエバの戦士、穢れの子を滅ぼす者』」
「我はエバの戦士、穢れの子を滅ぼす者」
カムイはVR空間の中で、泣きわめくカノンの体を切り裂いた。
恐怖や戸惑い、罪悪感は完全に消え去り、万能感、幸福感、喜びが体を支配する。
カノンの体はズタズタに切り裂かれ、骨と内臓があちこちに飛び散る。
だがカムイは今までにない程の充足感そして、頭の冴えまで感じていた。
天から響いていた辺りを振動させるような力強い声は収まり、再びイニシエーションプログラムの声が響く。
「おめでとうございます。
貴方は深淵のイニシエーションの中で試練に打ち勝ち、次のステージへと上がる事に成功しました」
***
カムイはVRデバイスを自分で外した。
すぐに長峰が尋ねる。
「どうです? 感想は」
「私は……神に出会いました!」
長峰は嬉しそうに、ホォォと声を上げかけ、マキを気にして音を出さずに顔で驚きを示した。
「それは良かった。ここに連れてきたかいがあったという物ですよ」
カムイは長峰から見えない側の手でマキに掌を向けて人差し指で『抗体ナノマシンをうて』と合図する。
マキはすぐさまカムイの手を握った。
そして右手中指の小型ブレードでカムイの表皮を少し切り、その隙間から抗体ナノマシンを注入する。
「それにしてもどっと疲れたよ。
ちょっと部屋に戻って休みたいな。
池上さんもそうでしょ?」
「はい」
「そうですね、分かりますよ。
イニシエーションでは集中力と気力と体力を使いますしね。
お部屋への戻り方は分かりますか?」
「何か特殊なエレベーター操作があるんでしょうか?」
「この階層から出るときは普通の操作で大丈夫ですよ」
「居住リング第二層で降りて、907号室、908号室でしたね」
「その通り。
ここの後片付けは私がしておきますのでどうぞ先にお戻り下さい。
そうですね……室内の案内ホログラムに聞いて頂ければフロントや私へ直通のコールをかける事も出来るので、そこから呼んでくださいね」
「分かりました。有難うございました」
***
マキとカムイは第二層でエレベーターを降り、居住リングへと続く連絡通路を歩いていた。
周囲に人影がないのを確認してマキが抗議する。
「カムイさん、何故あんな無謀な事をやったんですか?
抗体ナノマシンでアムブロシアーを除去しても、一度大量分泌された脳内物質の影響を消すことは出来ません。
脳に損傷を受けたかもしれないんですよ!?」
「言っただろう?
俺は自分自身を犯罪者や殺人者の精神に同調させて、その視点で対象を見つけ出すバウンティハンターだって」
「アムブロシアーは大量の脳内化学物質の吸収や分泌、さらには麻薬成分の生産を行っていました。
これは人間の行動原理を決め、生命の目的を定めてしまう物。
カムイさん、貴方が壊れてしまう危険なものです」
「そうだな。
そうなる人間も居るだろう。
だが、天声会を探るには天声会を知らなければならない。
成果は有ったよ」
「成果? それは一体何ですか?」
「このアトラスに居る人間、ここに来て、ここに来るまでに出会った人間全て。
最初は違和感としか感じなかったが、深淵のイニシエーションを受けた今なら、俺のセンサーが捉えたもののパズルのピースが全てはまる」
「具体的におっしゃって下さい」
「このアトラスに居る人間は全員、殺人をしている。
そして多くの人の凄惨な死か、それ以上の惨劇を目撃している」
「……全員……」
「ああ、全員だ」




