第八話「ネットワークダイブ」
マキの十数メートル先で赤いパトランプが点滅し、音を立てながら倉庫エリアの防火扉が閉じられた。
アイアン・エンジェルは既に倉庫エリアに逃げ込んでいる。
もう時間が無い。
マキはディバからの最後の無線を確かに受け取っていた。
このミッションのタイムリミットは30分間。
そして残り5分を切っているだろう。
マキは天井のエアダクトを見つけるとその蓋を即座に外し、生き残っているスパイドローン4機を侵入させた。
拡張視野デバイスに高速でエアダクト内の構造がマッピングされていき、その一箇所が倉庫エリアの天井を通過している。
マキは即座にエアダクト内に入り込むと倉庫エリアへと向かって匍匐前進した。
ホバーヘリ内では黒沢、その秘書、桃音博士、助手のディバ、ヘリパイロット2名は全員沈黙して状況を見守っていた。
戦略用ディスプレイに表示されている光体照射レーザー発射のタイムリミットの時間がどんどんカウントダウンされ続け、すでに4分台に突入している。
ディバは沈黙したまま俯いて目を閉じ、マキのミッション成功を祈っていた。
だが目をあけて眼の前のディスプレイを見るとまだ無数の光点、生きた人間が射程内にうごめいている。
おそらく数万人は居るであろう。
政府の管理下にある人々は体に埋め込んだチップから政府の緊急警告と避難指示を受けて自主的に避難するか、警官達によって避難誘導されている。
だが政府の管理下にない非合法に生きている人間達、スラム街や下水道内に生きている人間達は事件を認識しているかすら怪しい。
数万人規模の虐殺があと数分で起こる。
ディバはうろたえながら、脂汗を垂らす桃音博士や、凄まじい殺気を放つ黒沢に目をやり口を開こうとするが声が出ない。
そこには異様な空気が漂っていた。
ディバは生まれて初めて恐ろしい怪物、黒沢という人間の姿をした悪魔を見たと思った。
黒沢の隣に座る秘書はまだ人間のようである。
黒沢の方を向き、抗議の表情で口を開けようとするが声が出ていない。
ディバは合掌し祈った。
(マキ、お願い、なんとしても時間内にアイアン・エンジェルを倒すのよ。
何万人もの人間の命が貴方だけにかかっているわ)
マキは倉庫エリアの天井に到達すると、目からレーザーを出して音も無く蓋を焼き切り、エアダクトの外に飛び降りた。
だが地面に着地する前にマキはオーバークロックモードをActiveにして空中で一瞬身構えた。
アイアン・エンジェルが眼の前10メートル先でポータブルロケットランチャーを構えてこちらを向いている。
マキが地面に着地すると、即座にアイアン・エンジェルは着地点へとロケット弾を放った。
マキは全身のスラスターを最大噴射させて加速しながら右へ回避しつつ走ると、アイアン・エンジェルは右の地面に落ちているサーマルガンに向けて再度ロケット弾を放つ。
マキは逆方向へ全身のスラスターを噴射させて静かに停止して回避する。
アイアン・エンジェルの動きが止まった。
マキは違和感を感じて棒立ちでアイアン・エンジェルを観察する。
アイアン・エンジェルは動かない。
マキはスパイドローンを1機、隠していたエアダクトから降下させ、マキと反対側に移動させた。
そして小型マジックハンドで地面に落ちていたボルトを拾わせて勢い良くアイアン・エンジェルに向けて投げさせる。
アイアン・エンジェルは自分から距離5メートルほどの位置でボルトに気付いてロケット弾を発射してボルトを空中で撃墜した後、弾道計算したのかスパイドローンに向けて二発目のロケット弾を放ち、破壊した。
マキは棒立ちのまま情報分析を行った。
【エネミーアナライザー:アイアン・エンジェルのステータス、光学センサー2機完全破壊、レーダーシステム完全破壊、音響センサー状態60%】
【違和感検索モード:音も無く接近する物体を認識。
マキの位置を認識せず。
アイアン・エンジェルとの戦いでの不審点の検索】
拡張視野に今までの戦いの録画映像が高速で流れる。
そしてアイアン・エンジェルのセンサー破壊を行い、追撃している映像でポップアップが上がった。
録画映像が停止され、廊下の壁の一部分に注目点のサインが出る。
壁の情報端末の端子に、最初見た時は存在しなかったデバイスが挿入され、アンテナを立てていた。
【情報分析結果:セキュリティ情報アクセス用端末】
マキは自分の背後にあった同じ情報端末に自分のツインテールの中に隠されたアクセスケーブルを差し込んだ。
マキの視界が一瞬暗闇に代わり、10メートル四方ほどの四角い部屋の真ん中の空間に浮遊した状態で電脳空間に潜り込んだ。
四角い部屋は6つの面全てが格子状の木組みの天井のようになっており、それぞれの格子の中には古典的な和風の絵が並んでいる。
【ハッキングダイブ成功:第3世代セキュリティシステムネットワーク、天神】
情報は単純なものほど解析が用意である。
その為、ただの「こんにちわ」程度の情報を数十ギガ、数十テラの情報に細分化し、暗号化することで極めて解読困難なものにする。
その応用が第3世代セキュリティステム、天神であり、数多くのシステムがこれに倣って派生した。
具体的には電子情報内部に物理世界を再現し、原子レベルで仮想物体を擬似的に構築して情報のやり取りを行う。
その為、マキはその仮想空間へとセキュリティを破ってダイブしているのだ。
天神はいささか型落ちのシステムであり、最新鋭のテクノロジーの結集体のマキにはハッキングは容易であった。
マキは幾つもの部屋の出口を見つけて電脳スパイドローンを散開させながら情報を探る。
電脳スパイドローンの1機が目的の場所を発見し、マキは自分の潜入した部屋からケーブルを空中に伸ばしながら移動する。
部屋の入り口の壁に手をあてると何度も扉が閉まり、開く。
開く度に扉の向こうは別の風景が広がっていた。
目的の場所が現れるとマキは扉をロックさせてさらに進む。
しばらく電脳空間を漂いながらケーブルを伸ばして進み、遂にマキはアイアン・エンジェルが放ったと思われるハッキングプログラムの実体を見つけた。
羽のないセミのような姿をしており、地面に生えた端末に尖った口をさして延々と情報を吸って、自分からのびたケーブルに流している。
マキはそのセミの頭頂部に指を突き刺して情報を覗いた。
アイアン・エンジェルはセキュリティシステムの監視カメラ映像を集積し周囲の状況を把握していた。
アイアン・エンジェルの周辺の視界は監視カメラの角度のせいで限られており、マキが立ってハッキングしている場所はちょうど死角になって見えない。
マキは高速で電脳空間のその場を離脱して入り口に戻り、ハッキングモードから復旧した。
そして目から無音でレーザーを発射してその部屋の全ての監視カメラを破壊した。
アイアン・エンジェルは狼狽えて後ずさる。
マキはホバーブーツから少しだけスラスターを噴射させ、無音で滑るようにアイアン・エンジェルへと接近した。
アイアン・エンジェルは狼狽えて左右を見ているがマキに気付かない。
マキはアイアン・エンジェルの背後に回ってから逆立ちをするように頭に乗り、首を締める。
「ウオオオオオオオ!」
アイアン・エンジェルは脇腹のブレードを展開させて暴れる。
マキは片手からスピアーを出すとアイアン・エンジェルの鎖骨の辺りに突き刺した。
【液体爆薬注入中:3000グラム】
マキはスピアーを抜くと上空に飛び上がり、倉庫の天井のパイプに掴まった。
「ウオオオオオ!」
アイアン・エンジェルは最後の叫び声を上げると体内で猛烈な爆発を起こし、上半身と下半身にちぎれるように真っ二つになって床へと這いつくばった。
マキは未だに暴れるアイアン・エンジェルの上半身に歩み寄る。
そしてまだ動作可能な片腕の根本のケーブルにスピアーを突き刺し、無力化した。
今、アイアン・エンジェルが出来るのは叫ぶことだけである。
「パーパ! パーパ! 痛いよぉ! パパ助けて! 見捨てないでぇ!」
ホバーヘリ内部では二人のパイロットが光体照射レーザーの発射準備を行っていた。
「残り時間3分。 光体照射レーザーの発射準備を行います。
暗号入力完了」
「こちらも暗号入力完了、黒沢さん暗号入力をお願いします」
「……完了した」
「照準はH39地区、自動発射シークエンスを起動します。
……設定完了……、衛星が射程を離れる直前に自動発射されます。
あとはカウントを待つのみです」
戦略ディスプレイに表示されているカウンタがグングンと減っていく。
(残り2分)
(残り1分)
(残り50秒)
(残り49秒)
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突如ホバーヘリ内にマキからの無線通信が入った。
「こちらマキ、アイアン・エンジェルの無力化に成功しました」
ディバと秘書は目を見開いてパイロットに叫ぶ。
「中止! 中止よ」
「光体照射レーザーの発射は中止!」
黒沢が命令する。
「中止だ」
「了解しました。発射シークエンス中断……完了です」
戦術ディスプレイのカウンタは停止していた。
(残り時間:39秒39)
黒沢がマキに無線で話しかけた。
「アイアン・エンジェルのAIは無事か?」
「頭脳部分は現在生きています」
「よし、アイアン・エンジェルをそのまま回収する。何もするな!」
「回収してどうするのですか?」
「勿論ラボに閉じ込めて強さの秘密を探るために延々とモルモットにするのさ」