第二話「P-X断片流出の背景」
「紅茶とおつまみをお持ちしました」
隠し部屋の奥の簡易キッチンから現れた女性が机に近づき、レジスタンス達や豊国議員、マキの前にティーカップを置いていく。
そして最後に四角く細長いスティック状のビスケットのようなものが盛られた皿を中央に置いた。
「悪いね。ちょうど喉が渇いていたところだ」
豊国議員はティーカップを手に取って口に運ぶ、だがギブスやフレームで固められたような腕は小刻みに震え、こぼさずに飲むのにも難儀しているようである。
「大丈夫ですか豊国さん」
「自分の意志で動けない時間が長かったからね……。かれこれ一年か……。
まるで長い間正座して痺れた足のようで……笑いさえ込み上げて来る」
「筋肉は萎えて居ないようだから、コールドスリープから覚めた時の僕よりも回復は早いはずだよ。
それにしても奴等酷い事をするね……」
「酷い事……五十嵐が様々な場所で行っている酷い事はこの程度のものでは無い……」
豊国議員の表情がとたんに険しくなり、紅茶を黙って一口飲んでからカップを机に置いた。
「まずは私が五十嵐に拘束された経緯からお話ししなければならないね」
「やはりあの……P-Xの断片の受け渡しがきっかけでしょうか?」
「国家規定のレベル5のセキュリティを義務付けられるあれを、君たちの手の届く場所に移動させ、環境を整える手回しには、並大抵ではない苦労があった。
社会的には報道すらされず、人々に認知されもしない事件であったが、裏で動いた金と人は膨大だ。
その動きを、五十嵐に悟られないなんてことは不可能、正面切っての宣戦布告だと私は覚悟して動いていた。
議会で五十嵐が私を見る目に殺気が芽生え始めたのはその頃からだ……ふふふ」
「なぜP-Xをレジスタンスに渡そうとしたのですか?」
マキの発言に場が静まり、全員がマキに注目する。
豊国議員はマキを見て言った。
「P-Xがどんなものか、知っているかね?」
「世界の軍事バランスを覆すほどのソフトウェアと聞いています。
おそらく超高度な軍事管制システムか、もしくはハッキングプログラムと推測します。
しかし膨大な演算能力を持つコンピューターが必要で、現時点ではこの世に存在していないと……」
「その認識で構わない。ただし今までのソフトウェアとは次元が違う、超能力……もしくは神の奇跡。
それを扱えるソフトウェアだよ。
そのソフトウェアの実証実験がシミュレーターの中で行われた事がある。
最も正確な軍事情報が蓄積された、この日本の国防軍を仮想敵にした実験だ。
一日目、ソフトウェアの動かす3人の歩兵が九州を出発点として始まった。
そして300機以上の戦闘機、爆撃機、哨戒機を撃墜、四国に展開する陸軍大隊を完全制圧させ、四国を掌握した。
二日目、日本の全軍事力の半数が破壊された……」
「そんな……不可能です。そのシミュレーターの精度に問題があるか、何かバグがあってそこを突かれたのではないですか?」
「シミュレーターを提供したのは国防軍だ。実際の戦略分析に使っている世界でも最高度の正確さと現実の再現性を誇るもの。
P-Xには3人の兵隊の行動制御のアクセスを与えただけだ」
「……そんな危険なものをどうして持ち出そうとしたのですか?」
「五十嵐がその研究成果を自らの物にしようとしていたからだ。
すでに書類上の手続きは完了、あとは五十嵐の息のかかった軍事会社への受け渡しを待つのみ。
まさにギリギリの状況であった」
「それほどにその研究成果が欲しかったという事ですか?」
「それは少し違う。
五十嵐はそれまで、その研究を常に潰そうと力を行使して来たのだ。
あの手この手で難癖をつけて予算の削減を試み、人員の引き抜き、時には直接的なハッキング攻撃、研究者の抱き込みを交えてな。
だが完成して国と同額の助成金を出していた八菱重工へと渡る動きが出始めると、五十嵐はその成果を奪い取る形での阻止を試みた」
「阻止? 何を阻止するつもりだったのですか?」
「国防軍への配備だよ」
「理解しかねます。P-Xが国防軍へ配備されると、五十嵐という方は何か不利益を被るのですか?」
「他国が日本を侵略するのが困難になるだろう?」
「…………。他国の工作員だと言うのですか?
理解出来ません。
日本に住んで、日本で裕福な暮らしをして、日本での地位もお金も有る人間がそんな事をして何の得があるのでしょうか?」
ワンは机を手のひらで強く叩きながら苛立ちの混じった声で言った。
「奴等は精神が人では無い。爬虫類のように薄気味悪く、人の情を感じ取らず、相手を自分と置き換えて物を考える事もない。
人面獣心とはまさに奴等自身の事だ!」
「ワンさん、落ち着いて」
キットがワンを諫め、場が静まったのを見計らって豊国議員が続けた。
「日本が憎くて滅ぼしたい。端的に言うとこうなるかな」
「そんな……そんな馬鹿馬鹿しい理由で……。いくらなんでも政治家のトップの人間がそこまで愚かだとは思えません」
「愚かなんだよ。
人間の情緒というものは、数千年前からそれほど進化などしていない。
この軌道エレベーターを実現させ、宇宙への植民すら始めている時代においても、人類は結局自分の中の、肉の組織のフィルターを通して世界を見ている。
そしてそれは容易に歪むし、薬物で異常を起こす。
だがそのフィルターを通した世界こそが、人間にとっての真実だ。
五十嵐達の根底にあるのは、自分達だけの仲間意識と恨、憎しみの思想、そして選民思想、差別思想。
長い年月をかけて歪み、数千年前から変わらない……幼い情緒だ。
実際の所、私は彼らのEQは低いと見るね。
だがそれが実際に力を持ち、何百万、何億という人間に影響を持っていると笑えない事態となる。
コンプレックスを持った人間が自国民を大量に虐殺した歴史は幾つもある。
社会や文化、学問やスポーツ、様々な分野に高度なスキルを持つ人間が、幼児のような世界に生きる人間に虐殺される。
これほどの悲劇は無いだろう。
ワンが言う爬虫類のような奴等……、五十嵐に加担する一派だが……。
EQの差が開きすぎると、相手が理解出来なくなる。
理解しようとしてもその中身が存在しないからね。
爬虫類のような奴等か……ふふ……確かに。
……おおっと……話が大きく脱線してしまったね。
ええと、何だっけ?
そう、P-Xが五十嵐の元へと流れるのを防ぐため、私はギリギリの所で手回しをした。
ボルガ博士にも直接何度か会って話をしたよ。
そして彼は私の無茶な作戦に乗ってくれた。
彼は技術研究だけでなく、精神も思想も尊敬に値すべき立派な人物だったよ。
そしてカイ達がP-Xの断片を手に入れた一週間後、ついに五十嵐は実力行使に出た」
「前代未聞のVIP層居住アルコロジー襲撃ですね? 映像記録にもニュースにも一切出なかった。
僕達が密かに地上の協力者6名に調べさせたら4名がそのまま行方不明。
アルコロジーの豊国議員の住むブロックの目撃者数千人も失踪して今も行方知れず」
「そうだ。
マキちゃん。
君の居た八菱重工研究所を襲撃した部隊が私の住むアルコロジーを襲撃し、1ブロック丸ごと掌握して全てを闇に葬ったのだ。
拉致された私が即座に拷問されたりしなかったのは、私の友人が即座に圧力をかけてくれたからだ。
五十嵐は健康な私を、マリオネットインプラントを施した状態であっても日常的に人前に出さざるを得なくなった」
「そういう事だったんですね」




