第一話「真夜中の襲撃者」
深夜の12時を過ぎ、八菱重工研究所の52階、軍用アンドロイド研究ラボではほとんどの研究員が帰宅しあちこちが消灯している。
人気の無くなったラボで、ディバだけが一人、遅くまで残業を続けていた。
ディバはマキを安眠カプセルに入れてガラス越しに話しかける。
「そろそろ私は帰って寝るわ。
今から貴方をスリープモードにしようと思うけど、異常は特に無いわね?
デジタルハートも平穏な状態と思っていいわね?」
「はい。まだノイズだらけですが、特に異常な兆候は感じません。
体の全機能のステータスも平常値です。
お疲れ様でしたディバさん。
おやすみなさい」
「じゃぁ切るわね」
ディバはキーボードに向かって入力を行い、マキの機能を全てスリープ状態へと移行させていった。
アンドロイドに睡眠の必要は無く、エネルギーの消耗や部品の疲労を抑える意味しかない。
だが人間の監視外の時間に異常が発生するリスクを無くすため、マキは人間と同じ生活リズムで生活するのである。
「おやすみ。また明日ね。マキ」
マキは安眠カプセル内で機能を停止し、休眠状態に入った。
「忘れてた。明日の打ち合せ資料の整理がまだだったわ。はぁ……」
ディバは近くのドリンクバーに立ち寄ってコーヒーを入れた。
そして自席に戻ってPCに向かい、キーボードを叩き始める。
八菱重工研究所の地下2階。
ここには物資輸送用の地下鉄駅やHPTステーション、トラックなどの駐車場で構成されたフロアになっている。
無人のフロアに地上の道路から3台の兵員輸送車が列をなして降りてくると、静かに停車した。
後部のハッチが開き、光拡大バイザを付けて完全武装した兵員が20人ほど素早く降りた。
2体のダチョウ型二足歩行ロボも降りて後に続く。
ロボは両腕にガトリングガンを装備し、重装甲を施した明らかな戦闘マシーンである。
兵員輸送車から降りた一人の女性が足早に物資搬入エレベーターの受付けシステムへと向かい、機材を目視すると右手を自分の腹部へと突っ込む。
まるで電子レンジの扉のように開いた腹部の中で、女性の右手は一旦溶け落ちると、立体プリントのように別な手が作り上げられた。
女性はその右手を識別装置に突っ込む。
【生体認証:資材搬入責任者、佐伯 人志様を確認しました。
運用情報のサイン指定をどうぞ】
女性は機材の中に突っ込んだ右手で様々なハンドサインを形作る。
近くでは兵士が壁に穴を開けて情報端末を直結して操作している。
【運用タイプ:タイプB実験用大型資材搬入、スケジュールと照合……。
確認が取れました。資材搬入エレベーターのロックを解除します】
エレベーターの扉が開く。
中には円形の広大なフロアが広がっていた。
資材搬入用のエレベーターの為、中型トラックが一台まるまる入るほどである。
兵士達と戦闘用ロボが全員乗り込むと扉が閉まってエレベーターは上昇し始めた。
ジャックと豆の木に出る豆の木のような螺旋状のレールが周囲のガラス越しに見え、エレベーターの上昇に合わせてグングンと下へと降りて行くように見える。
アンドロイド研究ラボにて残業を続けるディバの隣にホログラム通信の映像が現れた。
フロア管理人の男からの通信である。
「ディバさん、また残業?
困るよ。ちゃんと残業するならするって事前に申告してもらわないと」
「ごめんなさい。もう直ぐ終わるわ」
「ちゃんとルールなんだから守ってくださいよぉ」
「ひょっとして私、最終退出?」
「いや、まぁどの研究室もまだまだ人は居るけども……。
ん? おかしいな。
何でこんな時間に資材搬入エレベーターが……」
「どうかしたの?」
「(エレベーターの方を向いて外部向けマイクを持ちながら)ちょっと、聞いてないよこんな時間に……な、何だ君らはっ!」
銃声が響き、ホログラム映像に映るフロア管理人は頭を撃ち抜かれて倒れた。
突如研究所に緊急事態の警報が鳴り響き、あちこちの廊下でパトランプが回る。
ディバは動転しつつも緊急時の訓練に従い、廊下に配置された緊急ボタンを押した。
眼の前の空間にフロア情報が映しだされる。
【保安プログラム:武器を持ったテロリストが侵入しました。
侵入経路は資材搬入エレベーター、ホバーカー専用駐車場口、来客者用エレベーター、非常階段、従業員用エレベーターです。】
「何よそれっ! 全ての出入り口じゃないのっ! 逃げられないじゃないっ!」
【保安プログラム:各通路の障壁を下ろします。
資材搬入エレベーター第一障壁、突破されました。
ホバーカー専用駐車場口第一障壁、突破されました。
来客用エレベーター第一障壁、突破されました。
:
:】
遠くのあちこちで銃声と悲鳴が聞こえ始める。
廊下の向こうからバイオハザードスーツに身を包んだ研究者が息を切らしながら駆けて来てディバに叫ぶ。
「君も早く逃げるんだ!
動物実験区画とアンドロイド研究区画の間のメンテナンス扉を入ると下水まで直結した空間がある。
有害廃棄物で溢れているから君もスーツを手に入れて逃げるんだ!
急げ! テロリストがそこまで迫ったら間に合わなくなるぞ!」
研究者は廊下の先へと走っていく。
「スーツ? スーツ……そんなものどこに……、そう言えば以前、生物兵器研究区画の友達に教えてもらった、あれが……」
ディバは生物兵器研究区画へと駈け出した。
廊下のあちこちで表示されている保安プログラムのホログラム。
それが映し出すフロア状況のマップは刻々と危険色で塗り潰されていく。
ディバは生物兵器研究区画の準備室へと駆けこむ。
目の前には円柱型水槽が並んでいる。
水槽の中には有機物で出来たセミの抜け殻を分厚くしてヌルヌルにして、さらに人型にしたような物が漂っている。
ディバは操作パネルに向かう。
水槽の中の液体が全て排出されてカバーが開くと、ディバは背中からその有機物を背負うように着た。
自動的に有機物の皮膚がディバの全身を覆う。
そして目の前に透明なカバーが被せられてインフォメーションが表示される。
【生体型バイオハザードスーツ緑蝉:対象者を認識しました。
完全密閉まで1分ほどお待ち下さい】
ディバの全身を生暖かい有機物が張り付きながら覆い尽くし、ピッタリと張り付いていく。
この生体バイオハザードスーツは自らがあらゆるウィルスや細菌に対する抗体を持つ。
そして独立した生物のように全身に血を通わせて自己修復を繰り返しながら内部の人間を守る。
もちろん銃弾を防ぐアーマーではない。
あまりにも長い1分を耐えた後、ディバは再び廊下へと出た。
曲がり角から完全武装の兵士が歩み出てディバに銃口を向け、同時に天井から障壁が降りる。
障壁を撃ちまくる音が数秒響いた後、兵士達の叫ぶ声が響いた。
「ターゲットのアンドロイドの位置はどこだ?」
「この障壁の向こうだ。グレネードで開けるぞ」
十数メートル背後のグレネードの爆発音を聞きながらディバは教えてもらったメンテナンス扉へと走る。
そしてアンドロイド研究区画を通り抜けようとしたディバは足を止めた。
あちこちで響く銃声と悲鳴が徐々にディバのいる場所に近づく。
1秒を争うギリギリの時間の中、マキの眠る安眠カプセルの前の端末を震える手で操作した。
【第三世代軍用アンドロイド、マキ、起動シークエンス開始します。】
起動シークエンスは各種ステータスチェックが走り5分ほど掛かる。
薄っすらと目を開けてまだぼんやりしているマキにディバが叫んだ。
「マキ! 緊急事態よ! 何とかしてこの研究所を脱出しなさい!
テロリスト達の目的は貴方よ!
決して掴まっては駄目!
逃げのびなさい!」
叫んだ後、ディバはメンテナンス扉へと走った。
本来ロボットなどより自分の命を優先するのが普通である。
だがディバは全翼旅客機での出来事を思い出し、どうしてもロボットのマキを見捨てることが出来なかったのだ。
マキの視野に徐々にインフォメーションが表示されていく。
【全機能:スリープモードから回復】
【人口筋肉:レベル1】
【ホバースラスター:disabled】
【ナノ・アーマー:disabled】
【オーバークロックシステム:disabled】
【EMPデュアルスピア:disabled】
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