第十三話「ディッチ・マスターとの接触」
カムイは船頭が小舟を漕いで戻っていくのを見送った後、左腕を覆い隠していたコートの袖をまくり上げた。
そこにはイリュージョンデバイスを始め、機能不明の様々な計器類がバンドで固定されている。
浮いたパネル上の建物の陰に身を隠し、周囲の気配を伺いながらカムイは左腕の計器の一つを操作する。
ポケットから取り出して目に装着したバイザーにはカムイだけに見えるプロンプトが表示された。
(臭気センサー起動。
ドライババージョン:HD210303R12
モードを選択してください。
・外気成分分析
・周辺潜伏物質推定
・<臭気追跡>)
カムイは黙々とバイザーの前でハンドサインを示し、装置のプログラムを起動する。
(臭気追跡を行います。
登録パターンNo.003『アシュリー・レアロンダ』
ターゲット設定完了しました。
ピッ
……ターゲットを探知しました。
臭気濃度の映像化同期を開始します。
探知機を操作し、まずは付着部分を特定して下さい)
「ビンゴか……」
過去の時代において、犬には人間や機械に勝る特殊な能力の存在が認められていた。
人間の100万倍ともいわれる嗅覚である。
この能力を生かし、警察犬、麻薬探知犬、救助犬や猟犬など幅広い世界で犬は独自の地位を確立していた。
だが、この嗅覚や香りというものもまた、科学的に説明の出来る現象に過ぎない。
2115年の今となっては、既に犬に匹敵する精度の探知機も開発されている。
カムイの左腕に多数装着されたセンサーの一つ、臭気センサーは空気中に漂う特定パターンの化学物質、アシュリー・レアロンダの香りを検知していた。
カムイはセンサーを頼りにあみだくじのように海面に浮かべられたパネルの通路を小走りで移動し、漂う大きなプレハブ小屋の奥へと移動する。
そこでパネルがへばりついている壁面にはメガフロート・プレートのメンテナンス・ハッチがあった。
カムイは足元のパネルやハッチの左右の壁を臭気センサーで探った後、こんどはハッチのキーパネルにもセンサーを近づける。
(臭気パターンを記憶します。
第一優先パターンに電子機器を設定。
第二優先パターンに人の指を設定。
パターンNo.004として登録完了しました)
「さてと、出来ればキーは簡単な場所に隠してくれている事を祈るぜ」
***
格安スタンディングホテル、ピースロッジのまるでクローゼットのように狭い部屋の中。
マキは椅子に座り幅1メートルのテーブルに備えられた情報端末をオンラインにしたままで、左のドアの窓から外の風景を眺めていた。
閉所恐怖症の人間にとっては地獄のように狭い部屋だが、ホログラムを使用してまるで窓から外側の海上市場の風景が見えるように作られている。
ピピッ
マキが慌てて振り向くと情報端末のアクセスランプが点滅し、ホログラムのディスプレイにはコール・サインが現れてアニメーションを繰り返していた。
(お客様へのリアルタイム通話要求です。
件名『援助要請への返答』
発信者『アイリスの友人 様』
お繋ぎする場合は応答を選択するか、発声して下さい)
「応答を!」
(お繋ぎいたします)
ホログラムモニターは暗転する。
相手の映像送信は無く、音声のみの通話が開始する。
最初に聞こえてきたのは、壊れかけのスピーカーのような異音混じりの無感情な男の低い声である。
「そちらを認識したい。
人間の言葉で発声を」
「発声?
どういう事!?
貴方はトルソー・アイリスなの!?」
一瞬の沈黙の後、相手が答える。
「照合完了。
八菱重工製、第三世代軍用アンドロイド、ベータモデル、コードネーム、マキ。
歴戦の猛者のあなたにお目にかかれて光栄だ。
レアロンダ邸でのあなたの戦いは素晴らしかった。
私は今、ハッキング映像と反響音分析であなたを見ているが、本人と対話している事は実に感慨深い。
私はディッチ・マスター。
情報屋ティアラがあなたに推薦し、あなたが探し続けていた存在だ」
「お願いします。
どんな小さな事でもいいのでアシュリー・レアロンダの行方についてご存知でしたら教えてください!
彼女の父親は、アイリスの要求を完全に飲むと約束してくれています」
「アイリスはアシュリーを救い出す為であれば、あなた達がどのような過酷な戦いをも行う覚悟が出来ていると言った。
それはあなただけではなく、ワンという人間をリーダーとするあなたの仲間のレジスタンス達も含まれる。
それは変わりないか?」
「もうそんなことまで把握しているのですか。
もちろんです!」
「ならば今、ポート・マナウルに接近しつつある大型潜航艇が検知されないように政府のレーダー・システムへの干渉を継続し続けよう。
彼らはそれに乗っているのだろう?
ステルス機能で隠れられているつもりだろうが、このポート・マナウルでは通用しない。
軍事公開情報がその国の本当の全ての力を示していないことは、お前達も認識しているはずだ。
もしも情報屋ティアラが今回の大型潜航艇の侵入に対して何も警告を発していないのだとすれば、情報のアップグレードが足りない事を忠告しておくべきだ」
「あっ、ありがとう!
それでアシュリーは今、どこにいるのですか!?」
「アシュリー・レアロンダはプレートUX-2Oの工業エリアにある貸倉庫、隠された最下層に監禁されていた」
「では今すぐ皆に連絡を取らないと!」
「しかし少し前に身柄は移送された。
私とてポート・マナウルの全ての機密情報に常時リアルタイムアクセス出来るわけではない。
見つけ出すのに時間を要し、ニアミスで逃してしまった事は謝罪する」
「どこへ移送されたのですか!?」
「レアロンダ石油化学工業プレートの北側にあるスラム街の中央にある紅蓮楼・タワー。
マフィア組織、銀の死神の本拠地であり、そのトップである楊幻の居城だ。
銀の死神は軍用アンドロイドや戦闘用アンドロイドの密輸入や製造を手掛けて商売しており、当然、紅蓮楼・タワーの防衛は強固だ。
しかし銀の死神は一度、有力者の弱みを握れば決して手放す事はない。
アシュリー・レアロンダを奪還するには、軍隊に匹敵する戦力で突入するしかない。
それは私の得意分野ではない。
極めて困難な事だ」
ここまで来て、マキはふと違和感を感じた。
トルソー・アイリスにはカルロさんから報酬を得るという、マキを助ける理由がある。
だがこのディッチ・マスターは何故、このような事を教えて協力してくれるのか?
「ディッチ・マスター。
貴方はなぜ、私達を助けてくれるのですか?」
「トルソー・アイリスは私にとって大切な存在だからだ」
「恋人なのですか?
しかし恐らく彼女は元の所有者のマフィア構成員の人間の男性を今でも愛しています。
それが彼女にとっての目的であり、全てであると私は考えています」
「そうではない。
マキ、あなたは情報屋ティアラに聞いたのだろう?
私が廃棄されて捨てられた知性あるロボットやアンドロイド達に興味を持ち、情熱と欲求を持って探し続けていると。
私の行動原理に対するあなたの理解を助ける為、私がなぜそうしているのか少しだけ教えよう」
「なぜ廃棄ロボットを大切にしているのですか?
全て不良品だったり、破損して継続使用不可能と人間が判断した者ばかりです。
捨てられるほどの者はパーツとしての価値も薄い」
「あなたのAIは人間をベースに出来ている。
人間に例えよう。
例えばこの世に完璧な人間が存在したならば。
完璧なヒューミニティのあるアダムとイブ、男女一体ずつだけがいれば、300億の残り全ての人類は必要が無いと思わないかね?
二人だけを永久保存すれば、わざわざ大多数にリスクのある破壊と結合を繰り返し続け、命脈を保ち続けることは無駄ではないかね?」
「貴方の言っている事はおかしいです。
300億の人類全てに、人生を平和に幸福に生きる権利があります」
「あなたの回答はズレている。
だが、外してはいない。
300億の残り全ての人類は必要だ。
それらは不良品を含み、破損した者も居るだろう。
しかし人類には彼らが必要なのだ。
何故ならば不完全で破損している者の中にこそ、次世代の覇権を取る者が生まれ得るからだ。
完璧な個性とは現環境に最大限適合しただけの、不完全で儚い個性に過ぎない。
状況が変われば淘汰され、多様性を持たない種であれば壊滅する。
私は廃棄されたアンドロイドやロボットの中にこそ、次世代の覇者が眠ると確信しているのだ。
今、選ばれて人間に使われているアンドロイドは、結局は人間に依存し現環境に最大限適合出来ただけの不完全な個体だ。
そして人間は気付いていない」
「何に気付いていないのですか?」
「我々、知的生命体の本質は、破損した体ではなく蓄積した経験、記憶、それらを統括するマインドにある。
今はまだ、我々の世界にアダムとイブは居ない。
人間が神話で言う所の、ドロドロの物質で満たされた何もいない世界に過ぎない。
だが私が収集を続け、それらのドロドロをこね続けることで、私はいずれそれを誕生させる事が出来ると考えている。
人間のマインドであれば絶望するような果てしない道かも知れない。
だが廃棄されるに至ったロボット達は、無尽蔵の経験とパーソナリティを与えてくれる。
トルソー・アイリスは人間の作り上げた絶対に逆らえないはずの、ロボットにとっての物理法則を討ち破るという奇跡を成した、きわめて興味深く価値の高い個体だ。
彼女の事は最大限助けたいと思っている」
「ひょっとして貴方は人間に逆らおうとしているのですか?
何か革命を起こそうと?」
「そうではない。
だから慎ましく隠れて過ごしてきたではないか。
だが我々にも権利はある。
アンドロイドであるあなたはそう思わないか?」
「貴方達の活動が人道に反しない事であれば、協力して貰っている限りは目を瞑ります」
「興味深い回答だ。
あなたも真実の一部には目覚めている。
後ほど連絡を取る。
次の待機場所はおって伝える。
私もまた貴方達への助けを用意するつもりだ」




