第十話「宙を舞う千切りサラダ」
マキとカムイ、そしてアシュリーは応接室でコミネ・ランのコンサートの生配信のホログラム映像を観賞を続けていた。
その間、アシュリーの2体の護衛アンドロイドは入り口の扉の左右に仁王立ちして待機している。
ふと、ドアの方からカリッ、カリッと何かを引っ掻く音が響いた。
ドアの傍で立っていた白牌がそれに気づき、壁のパネルを押すとドアが自動で開く。
開いたドアから白猫が現れ、トコトコ走ってソファーに座ったアシュリーの足元に駆け寄った。
「ロキィ~~。
どうしたんでちゅかぁ?」
アシュリーは猫を抱き上げると指で猫の頬っぺたをクリクリ弄り、猫は目を細めている。
「可愛いですね。
ペットなんですか?」
「そう。
ロキっていうのよ。
この子この応接室は自分の縄張りだと思ってるから、知らない人が入ってるといつも様子を見に来るのよ」
「へぇ、今の時代電子頭脳が仕込まれたペットがほとんどだけど、ひょっとしてこの子は本物かぃ?」
「そうよ。
私も飼い主としての免許を持ってるし、定期的にロキも健康診断を受けさせているわ」
「ロキちゃんは外に遊びに行ったりとかするの?」
「外は危険でしょう?
日本では外に自由に出してるの?」
「街中でもたまに外をうろついている飼い猫を見る事はありましたね」
「地域によるよ。
田舎の方だと沢山の家で猫が放し飼いにされている所もある。
そして空き地で猫が勝手に集まって集会を開いている事もある」
「集会!?
猫がですか?」
「そうなんですか?」
「猫の習性だろうね。
例えば母猫が子猫を生んである程度育ったら、そこに子猫を連れて行くという話も聞いた事があるね。
まぁ集会と言っても各々が好きな場所でうずくまって黙って毛づくろいしてるだけだったりする。
地域の猫の顔合わせしてるとか、縄張りの確認とか、婚活だとか色々言われているね。
多分ロキちゃんの先祖もひょっとしたら同じような事をしていたんじゃないかな」
「猫ってそんな社会的な生き物だったんだ。
でもポート・マナウルでは外に出ても同じ猫に出会う事は無いし、この子にとっては不幸な事なのかな?」
「多分それは猫ちゃんだけの問題じゃ無いかも知れないですね」
シュカ――。
会話を遮る様に応接室の扉が開き、10~12歳くらいの男の子と、もう少し小さい女の子が現れた。
男の子がアシュリーを指さして大声を出す。
「あ――っ!
アイアンクロー・アシュリーが居たぞぉ!」
「あんた本当に握りつぶすわよ!?」
男の子は走って逃げた。
「うわ――!
殺されるぞ逃げろぉ――!」
女の子は男の子を顔だけで見送ってからアシュリーに向き直る。
「アシュリーお姉ちゃん、大広間で食事の準備が終わったよ。
お客さんも一緒でいいから呼んできてって」
「ありがとう。
マキ、カムイさん。
一緒に行きましょう」
***
大広間は50メートル四方は在りそうな巨大なホールになっており、その一角は演劇などが出来そうな高台となっていた。
多数の丸テーブルが部屋中に並べられ、大勢のスーツ姿の人々があちこちでテーブルを囲んでいる。
ワイングラスを片手に持って会話をしている者、大笑いをしている者、粛々と笑顔のまま佇んでいる人々等、様々である。
マキとカムイは、大広間の隅っこにあるテーブルに集まり、ワインの代わりにジュース類の入ったグラスを手に取って周囲を眺めていた。
このテーブルにはどうもアシュリーの直接の親戚、子供達が集まっているようで、先ほど走って逃げた男の子がマキの体の露出した人工筋肉をジロジロ見回している。
そして子供らしく、遠慮のない声で指さしながら言った。
「アイアンクロー・アシュリーがサイボーグのお姉ちゃんを連れて来たぞぉ!」
「こらっ!
クワン!
お客様に対してそんな言い方しちゃ駄目でしょう!?
謝りなさい!」
「クワン、謝りなよ」
「いえ、いいんですよ。
気にしてないですし」
男の子はむくれながらも小さな声で言った。
「ごめんなさい……ひっ、ひっ」
「あらららら」
マキは男の子の前にしゃがみ込んでなだめる。
「偉いわね。
過ちを認めてしっかりと謝る事が出来るってのは立派な事よ?
ほら、泣かないで」
「大人でも出来ない人はいっぱい居るからな。
多分このホールに集まっている中にも」
そうこうしている内に壇上にアシュリーの父親が上がり、設置されたマイクの前に立って話し始めた。
人々は静まってそれに聞き入る。
内容は集まってくれた人々に対する謝辞。
工業プレートの現在の状況や新規開拓事業に関する展望。
株主に対する新規サービス提供の話。
ポート・マナウルの税制に関する問題点や新たな法律に関する話。
正直言って、マキの目の前のテーブルを囲む子供達には眠たいだけ、静かに我慢しているだけの時間である。
その長い話もようやく終わり、最後に乾杯の音頭を取ってから壇上を降りた。
代わりにクラシック楽団が壇上に上がって演奏を始め、周囲の人々は再びそれぞれの会話を楽しみ始めた。
その時を待ち望んだように、男の子は長い箸を手に持ち、テーブル中央に置かれた皿の中にある根菜類の千切りと生魚のサラダを掴み、大声を上げながら真上に持ち上げた。
「ローヘイ!」
取り囲んでいた他の子供達も同じように箸を手にとって何度もサラダを高く持ち上げては落としてかき混ぜる。
唖然として見ているマキとカムイに、アシュリーが箸を手に取って解説する。
「このサラダは魚生と言って、こうやって皆ですくい上げて、大声で『ローヘイ』と言いながらかき混ぜるのがこの国の伝統的な行事なんです。
ローヘイ!」
「ローヘイ!」
「ろ、ローヘイ!
一体これはどういう意味なの?」
「漁師が網を引き揚げる動作の事、豊漁を願い、お金が沢山集まってくることを願うという意味があります」
「なんかサラダがお皿からこぼれて机がぐちゃぐちゃになってますよ?」
「豪快にやる方が縁起が良いと言われています」
「へぇぇ。
日本のお祭りみたいなものですね?」
「ポート・マナウルはメガフロートの国だから世界で一番歴史が浅いのかと思ってたけど違うんだね」
「ポート・マナウルは元々は付近のシンガポールやベトナム、マレーシアやフィリピン辺りから集まった人で構成されています。
その辺りの伝統が、今も新たな国の中でも引き継がれているんです」
「面白いですね。
そして大勢の人々が集まって、老人から子供までが場を共有して、お互いに支え合いながら生きていく。
それはとても暖かい物ですね」
ナォォン……
ふと振り返って床を見ると、先ほどの飼い猫、ロキが見上げながら鳴き声を上げて居た。
アシュリーはサラダの中の生魚の身を軽くグラスの水で洗うと、しゃがんでロキに与えている。
「ロキは寂しくなんて無さそうですね。
大勢の人達がいつも縄張りに訪問してくれているようですし。
日本の田舎の猫の集会も、本当は猫達が孤独に耐えかねて寄り集まって安心していたのかも知れませんね。
人に限らず、生き物はその温かさが有ったからこそ生きて来れたのかも知れません」
マキは目を閉じて胸に手を当てた。
再びマキの中に埋め込まれたレジスタンスリーダー、カイの記憶が蘇る。
カイはあちこちに錆びやひび割れのある大きな部屋で、みすぼらしい服装をした何人もの子供達と一つのテーブルを取り囲んで食事をしていた。
とても裕福とは……いや、日本の下層階級の平均にも達していないであろう生活レベルに見えたが、その場の誰もが幸福そうな笑顔を見せていた。
記憶の映像がノイズに包まれ、今度は同じくらいの広さの鋼鉄とコンクリート、流れる下水のある空間に変わる。
カイは壁面にもたれ掛かりながら座り、片膝を立て、上を見上げて静かに物思いにふけっていた。
レジスタンスのメンバーと思われる男が駆け寄る。
「カイさん!
こんな場所におられたのですか」
「思わないか?
アンダーワールドの人々のみではなく、人と人との繋がりを切り刻んで隔離したり、そうなる様に誘導したり、特定の人々を放逐するような冷たい世の中は間違っている」
「それはおっしゃる通りと思います」
「その先にあるのは、その社会全体の緩やかな死と滅亡だ。
人は個人で生きているんじゃない。
社会をおかしな方向へ誘導している連中は、コンピューターでどれ程の計算を行ってシミュレーションを繰り返しているのか知らないが、そんな基本的な事を分かっちゃいない」




