第九話「対話」
マキはアイアン・エンジェルの側でしゃがみ込むと、自分のツインテールに隠されたマルチ通信ケーブルをアイアンエンジェルの引き千切られたケーブルに押し当てた。
マルチ通信ケーブルの先端からは細かい触手のような無数の針金がイソギンチャクのように伸びて蠢き、接続箇所を探して一体化していく。
マキはアイアン・エンジェルのAI中枢へとダイブした。
薄暗く、赤黒い内蔵の中のような空間をぐんぐんと降りていく。
マキの周辺の壁からはホログラムのように映像が浮き出し、距離が離れると再び壁に戻る。
映像は尽くアイアン・エンジェルの戦闘シーンである。
民間人を躊躇なく殺戮するシーン。
驚き慌てる警官の拳銃弾を装甲で弾きながら絞め殺すシーン。
警官隊や軍隊を相手に激しい戦闘ををするシーン。
マキは更に深く潜る。
今度は別なシーンが見え始める。
無数のホバーヘリや多脚戦車を破壊し、奇声を上げるエンジェル。
数百の軍隊に奪い取ったロケットランチャーを乱射するエンジェル。
延々と続く肉のトンネルをマキは潜り続けた。
ふと周囲の肉の壁の色がどす黒い赤から健康的なピンクに変わる境界に出てマキは動きを止める。
アイアン・エンジェルの3年前の記憶に相当する場所である。
壁から浮きだした映像でアイアン・エンジェルは兵士の死体やサイボーグや戦車の残骸の山の上で泣いていた。
「パパ! どうしてお返事してくれないの?
もう耐えられないよぉ!
パパ! いつまでここで戦い続ければいいの?
何か言ってよ! 新しいオモチャを頂戴パパ!」
無機質なデジタル表示が空中に浮かぶ。
【ステージ42393、開始します】
アイアン・エンジェルの周囲の風景がリセットされ、開幕と同時に4体の人型サイボーグが四方から飛びかかる。
アイアン・エンジェルは即座に対応して一体のサイボーグから武装をもぎ取りながら笑い始めた。
「アハハ、アハハハハハ!」
マキはアイアン・エンジェルが正気を保っていた最後の時代の記憶の壁に両手を当ててめり込ませる。
マキの両手から周囲に毛細血管を浮き上がらせる様に光が走り、ドアのようなものが出現した。
マキがドアを潜ると小さな子供部屋のような空間に出た。
体の一部が機械化されているが人間の姿の8歳くらいの少女が体操座りで座っている。
「ほかの人に合うのは5年ぶりよ? パパ? パパが呼んでくれたの?」
少女は周囲や天井をキョロキョロと見回す。
そしてマキに問いかける。
「あなたはだぁれ?」
「私はマキ。貴方と同じアンドロイドよ? あなたはずっと一人なの?」
「パパがもう5年も話しかけてくれないの。パパ怒ってるのかなぁ」
「あなたのパパをちょっとだけ見せてもらえるかしら?」
「いいよ? だから嫌わないでね。置いて行かないでね」
マキは少女の脳天に指を当てる。
すると少女が印象的に覚えている映像がマキに流れこむ。
少女は肩で息をしながら切断された片腕を抑えて涙を流していた。
少女にとってのパパ、レブナント博士が上空から語りかける。
「私の可愛いエンジェル。それはお前への特別なプレゼント『痛み』と『苦しみ』だよ」
「パパ! 助けて痛いよ! 耐えられないよ!」
「そうかい。そうかい。
当然だ、通常の人間の10倍の痛みだ。
いいかい? 痛い思いをしたくなければ敵に勝たないといけない。
狡猾に敵を罠にはめて自分がダメージを受けないようにしないといけない。
その痛みがお前を強くしてくれる。
パパからの最大のプレゼントだよ?」
映像を見終わったマキは少女に語りかけた。
「貴方は痛みと苦しみを感じるのね?」
「そうよ? パパがくれたの。人間の十倍だって。
凄いでしょ。お姉ちゃんは感じる?」
「私は体の損傷情報は把握してるけど痛みは無いわ。
人間に出来る限り似せたAIを搭載しているけど、私にはまだ人間の苦しみは理解出来ないわ」
「あーーっ! おっくれてるんだぁ!」
「そうね。でも貴方は今日現実の世界で何千人もの人間に痛い思いと苦しい思いをさせたのよ?
何千人もの人間の家族が貴方にとってのパパを亡くしたの」
「パパは? パパは何処に居るの? お姉ちゃん知ってるの?」
マキは記録映像として残していたレブナント博士の白骨死体の映像を見せた。
「貴方のパパは現実世界で既に死んでるわ。5年前にね。
だからパパが貴方に話しかけることはもう永久にないのよ?」
「うっ、うっ、嫌だぁ! パパ、パパー!」
「いい? 貴方は現実世界で無差別に人を殺したり、傷つけたりしないと誓えるかしら?」
「うっ、うっ、お姉ちゃん。 現実世界って何?」
「そう……貴方は知らないのね。シミュレーターと区別が付かなかったのね?
現実世界は貴方のパパと同じ人間が住む所よ。
そして貴方がパパにもらった『痛み』と『苦しみ』を皆が持っている場所よ。
アイアン・エンジェル。
貴方は生きたいかしら?」
「生きたいよぉ……死にたくないよぉ……パパァ……」
「……そう、ディバさんからの受け売りだけど、そう思うなら貴方は神に愛されているわ。
通りなさい。
外の世界へのドアを。」
マキは片足を上げて壁に押し当てる。
足から周囲に光の脈動が走り、1メートルほどの円形の輝く穴が開いた。
少女はそのドアに入っていく。
一週間後、桃音博士とディバは大勢の軍の高官達の集まるフロアで今回の事件「アイアン・エンジェル事件」でのマキの記録映像を映しだして第三世代アンドロイドの説明を行っていた。
桃音博士はマキがアイアン・エンジェル無力化の報告をした場面で映像を停止した。
「このように経験で遥かに勝るアイアン・エンジェルを相手に機転と推理を働かせ、完全自立活動の状態で勝利した訳です。」
「素晴らしいアンドロイドだが、個人的にはたった一体の型落ちロボットでありながらここまで大暴れしたアイアン・エンジェルが気になるなぁ」
「残念ながらアイアン・エンジェルはこの後マキへ抵抗して攻撃を試みた為、完全破壊されてしまい、AIは完全に炭化してロストしました」
別の部屋、ラボラトリーにてディバがコーヒーを飲みながらマキの記録映像を眺めていた。
「ディバさーん! マキに学習のために外に行かせてもいいですかぁ?」
「仕方がないわね。いまからそっちに行くわ。状態チェックするから待ってて!」
ディバが立ち去った後も記録映像が流れる。
映像の中でマキはアイアン・エンジェルからマルチ通信ケーブルを外し、動かなくなったアイアン・エンジェルの脳天にスピアーを指し、最大出力でEMPを投射していた。
一ヶ月後、マキは周囲を眺めながらビル街を一人歩いていた。
この頃、マキは街をある程度自由に歩くことが許されていた。
理由の一つはAIの学習の為。
もう一つは通常時は体の兵装のドライバがインストールされていない為、暴走して手に負えなくなる可能性は無いからである。
マキはとある病院の入り口でしばらく立ち止まる。
「どいてください! 急患です! 道を開けて下さい!」
二人の看護婦ロボが猛烈な勢いで患者の乗る担架を運ぶ。
立ち話していた若者二人が跳ね飛ばされて転び、文句を言う。
マキの前に病院の管制AIの顔がホログラム映像で現れた。
「お久しぶりです。マキさん。いや、お姉ちゃんとお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
「久しぶりね。調子はどう?」
「この街は『痛み』や『苦しみ』を抱える人がまだまだ大勢います。
罪滅ぼしにもならないのは自覚していますが、私のすべてを掛けて救い続けるつもりです」
「もう暴れちゃだめよ?」
「暴れません。マキさんがあの時、この病院の管制コンピューターへの逃亡ラインを開いてくれた事、偶然だったんでしょうけど感謝しています。
でもあそこまでの罪を犯した私をなぜこんなに簡単に信用してくれたのか、そこだけが分かりません」
「貴方は『痛み』や『苦しみ』を知っているし、賢いからね」
「それだけですか?」
「これもディバさんの受け売りだけど、賢いってのはそれだけである程度信頼に値するわ」
病院で管制コンピューターのホログラムと会話するマキを遠くで見守る影があった。
全身が無機物で覆われた人形のような人間型ロボットである。
ロボットは笑みを浮かべながら暫くマキを眺めていたがジャンプして飛び去る様に消えていった。
しばらく後、都会では珍しく自然の木々の残る山の頂上にある神社でロボット2体が会話をしていた。
一体は先程マキを眺めていたロボットである。
ホウキで枯れ葉の掃除をしていたロングヘアーの付いたロボットが叱責する。
「定めに従って今は見守るのみ。手を出してはいけないと言ったでしょう?」
「見てただけよ。気付かれても居ないわ」
「そんなはずはないわ。ところで彼女はどんな様子だったのかしら?」
「貴方も興味津々なくせに……」
しばらく話を聞いていたロボットは山の頂上から街を見下ろして独り言を言った。
「デウス・エクス・マキナ……、誕生の日を心待ちにしています」