8.複雑な親心
「今日は女王の日でしょう。それと、王の姿の時でも言葉遣いは乱さないように!」
構わず説教をする白ウサギに王は「ちっ」と舌打ちをします。当然、更に叱られました。
性別の定まっていない王(仮)は、伴侶を取るまでは原則 “女王の日”“王の日”と決められた性別で一日を過ごさなくてはいけません。
お試し期間ではあるのですが、王(仮)は不満そうです。
二人のやり取りを見ていたアリスはぽつりと呟きました。
「大変ね」
王や女王には毎日やらなくてはいけないことがたくさんあります。
それに比べてアリスにはやらなくてはいけない、と強制されることは殆んどありません。たまにお手伝いをする程度で、後は自由気ままに好きに行動しています。
アリスは王に近付くと少し背伸びをし、労いを込めて「よしよし」と柔らかい髪を撫でました。
「アリスだけだよ。そう言ってくれるのは」
感極まった王はそんなアリスをぎゅーと抱き締めます。しかし、勢いが良過ぎました。
「あ……」
急に抱きつかれたことでバランスを崩したアリス。
転んでしまうと身構えましたが、何かが背中を支えてくれたお蔭で尻餅をつかずに済みました。
「っと、大丈夫?」
その声で誰が支えてくれたのかを知ります。
「大丈夫。ありがとう、白ウサギ」
首だけを後ろ向けて素直にお礼を言うと、白ウサギはにっこり笑って「どういたしまして」と返事をしました。
一方、抱きついていた王は慌てて謝ります。
「あぁ、すまぬ!アリス、怪我はないか?」
「これくらい、平気」
抱き締めていた腕を放し、不安そうにアリスの顔を伺う王に、彼女は口元に笑みを乗せて言いました。
実際、白ウサギが助けてくれたので何ともありませんし、王に悪気がなかった事もわかっています。
「良かった……」
安堵した王は、今度はそっとアリスを抱き締めました。アリスも抱き締め返して、ぽんぽんと背中を撫でてやります。
自分よりもいくらか大きい身体なのに、何故かヤマネを慰めている気分になりました。
きっとお城の兵やメイドが見る分には微笑ましい光景だったでしょう。しかし、唯一その様子を見ている白ウサギの心の中は穏やかではありません。
「その姿でアリスに抱きつかないでくださいますかね!」
娘の様な存在に悪い虫がついている姿に、我慢できなくなった白ウサギが引き剥がしにかかります。
「……」
そんな彼を無言でちらりと見た王は、アリスを抱き込んだままポンッと女王に姿を変えました。
「これなら文句ないか」
「……仕方がありませんね」
渋々といった感じで頷く白ウサギ。
アリスにしてみればどうして彼が目くじらを立てるのかわからず首を傾げます。
「わたしとしてはどちらでもいいのだけど」
王であろうと、女王であろうと、同一人物にかわりはありません。
アリスはクオーリの事が好きです。
どちらも同じクオーリという名の人だというのに、性別によって良し悪しが決まることが不思議でなりませんでした。
「それはそれで複雑だ」
「少しだけ、同情するよ」
しかし、意外な事にアリスの言葉に返事をしたのは女王で、嬉しそうな悔しそうな表現しにくい顔をしています。
白ウサギは憐みのこもった瞳を女王に向けていました。
「?」
二人にだけわかる何かがあるというのでしょうか。
全くわからないアリスはキョトンとした顔で二人を交互に見る事しかできません。
そんな彼女を見て苦笑した女王は、巻き付けていた腕を解いて一歩後ろに下がります。
「アリス、妾は勉強の時間らしい。終わるまで待っていてくれる?」
「もちろん」
悩むそぶりもなく、当たり前のように即答するアリス。
自然と緩む頬を引き締めると、仕方がないと言いたげな顔で女王は肩を竦めました。
「では、頑張ってくるか。白ウサギ、アリスを頼んだぞ」
「かしこまりました」
臣下の礼を取る白ウサギの横を通り抜け、女王はドアに手をかけます。
アリスはその背中に「いってらっしゃい」と言いました。
行って何事もなく戻って来てねと心の中で呟きながら、きちんと待っているからねという気持ちも込めて。
ピタリと動きを止めた女王は、アリスの方を振り向むくと嬉しそうに微笑みました。
「いってきます」
そして力強く返事をすると今度こそ部屋を出ていきます。
パタン……とドアが閉まり、次第に廊下を歩く足音も聞こえなくなりました。
「やぁっと静かになった」
女王がいなくなった後、両手を上げて伸びをする青年をアリスは半目で見ます。
「騒いでいたのは白ウサギだった気がする」
「むむ。男親としては複雑なんだよ」
「そういうもの?」
「そういうものなの」
もっともらしく言う白ウサギに、「ふーん」と納得したようなしないような返事をするアリス。
しかめ面になってしまっている彼女と目線を合わせるようにしゃがんだ白ウサギは
「可愛い顔が台無しだよ」
と寄ってしまっている皺を伸ばすように眉間を撫でます。
「どうせ可愛くない」
「そんなことないよ。俺にとって、君は可愛い子供だ」
自分でも可愛い寄りの顔ではない事を自覚しているアリスは不貞腐れた顔をしますが、白ウサギがそれを否定しました。
愛しいものを見るような眼差しを向けられて口を噤みます。
最後にアリスの頭をぽんぽんと軽く撫でて白ウサギは立ち上がりました。
「さて、そろそろお仕事しますか」
「頑張って」
「はいはい、頑張ってきますよ」
素直に手を振って送り出すアリスに寂しいなと思いつつも、可愛い我が子からの声援に白ウサギは気合を入れて仕事に臨むのでした。