6.ツンデレにゃんこ
アリスは早速大きなハンカチを草の生える地面に敷き、その上にお弁当箱を広げました。
「へぇ、サンドイッチか」
中身を覗いたチェシャ猫が感心したように言います。これならばそうそう失敗することは無いだろうと心の中でほっとしました。
潰したゆで卵や、ハムと野菜を挟んだ惣菜から、ジャムや生クリームをぬったデザート風なものまであります。
野菜サンドを頬張っているチェシャを観察しつつ、アリスはバスケットから水筒を出しました。
「飲み物もある」
「紅茶?」
「コーヒー」
「ならもらう」
家では帽子屋が紅茶派のため特に主張がないアリス達は紅茶をよく飲みますが、チェシャ猫は唯一のコーヒー派です。それを知っていたアリスは白ウサギに教わりながら今回初めてコーヒーを淹れました。
味見はしてみたものの、飲み慣れないせいか味の良し悪しが全くわからなかったためドキドキです。
コップに注いで渡すと「ありがとう」と言ってチェシャ猫は受け取りました。
一口飲んで僅かに首を傾げましたが特に何も言わなかったため、可もなく不可もなくといった所でしょうか。
次はもっと上手く淹れられるように勉強しよう、とアリスは心に決めました。
その語も黙々と食べる彼をじっと見つめていたアリスは、ずっと聞きたかった事を訊ねます。
「美味しい?」
「まぁまぁかな」
行儀悪くもチェシャ猫は口をもごもごと動かしながら答えました。
特段美味しいわけでもないし、不味いわけでもない。その返事にアリスは「よかった」と胸を撫で下ろしました。
どこか嬉しそうな顔を見て、チェシャ猫は眉を顰めます。
「なんで喜んでんの?」
「やっとまともな評価をもらった気がして……」
「どうゆうことさ」
警戒する彼に、アリスはここに来る前にあった出来事を話し始めました。
思い出すのは初めてサンドイッチを作った昨日の事です。
「自分でも試食して、不味くはないなって思った。けど白ウサギたちが……」
「白ウサギたちが?」
「どんなものを食べさせても美味しいとしか言わなくて」
どこか遠い目をして話すアリスに、なんとも言えない顔をするチェシャ猫。
あいつらなら言いそうだ、と思いました。
「……なんとなく予想着くわ」
「たぶん、予想通り」
「アリスが作ったものなら何でも美味しいよって?」
「それは帽子屋が。けど、口に合わない物はそっと白ウサギの方に避けていた」
「ババァならやりそうだ」
チェシャ猫の口の悪さに本人が聞いたら絶対怒るだろうな、と思いつつもアリスはあえてスルーします。
「ヤマネは何でもおいしそうに食べるし」
「あのネズミちゃんは味覚音痴のきらいがあるしな」
「三月は……」
「え、あいつも駄目だったの?」
三月ウサギもどちらかといえばはっきりと物を言うタイプです。特に努力次第で上達するものに関しては、言葉を濁すことも優しい嘘を吐くこともしません。その方が相手の為になると思っているからです。
意外そうな声に、アリスは軽く首を振りました。
「いや、最初は普通に答えようとしたのだけど、圧力がかかったみたいで」
せっかくちゃんとした評価が得られそうだったのに、三月ウサギが「ふ……」と一文字目と発した瞬間、一気に部屋の温度が下がったのです。
「三月?」
にこやかな顔で三月ウサギを見つめる白ウサギ。そして、何も言わないながらも、微笑んでじっと三月ウサギから視線を逸らさない帽子屋。
徐々に重くなるプレッシャーに、空気を読める彼は「美味しいよ、うん」と言い直しました。
さすがにこれには、アリスも申し訳なくなった程です。
「そして、白ウサギは……特に酷くて」
「アリスの事大好きだしな、アイツ」
お父さん……というよりもお母さんの様な白ウサギは、傍から見てもアリスを溺愛しています。もちろん、悪い事は悪いと叱りはしますが、基本は褒めて伸ばそうとするのです。
今回、料理に初挑戦したアリスに対してそれは顕著に出ていました。
「わたしも食べる気が起きないような、ゲテモノを出しても美味しいと言って食べていた」
「おい、地味に白ウサギの扱い酷いな。しかもサンドイッチでゲテモノとか、いったい何を挟んだんだか」
「……」
「目を逸らすな、恐い」
まさかあんなものを出しても本当に食べるとはアリスも思いませんでした。流石に怒られるだろうと心構えもしていました。
しかし、彼は帽子屋や三月ウサギが一切手を付けようとしなかったアレさえも口にしたのです。
真っ青な顔をしつつも「美味しいよ」と言われれば罪悪感が多少なりと湧きます。
「まぁ、そんな感じで誰一人まともな感想が来なくて」
「さらっと流したな」
半目でチェシャ猫に見られましたが、アリスは気付かないフリをしました。
「ちゃんと、こうして評価してくれるのは嬉しいな、と」
褒めてもらえることが嫌なわけではありません。ただ限度というものがあるでしょう。
もちろん、白ウサギが自分に対して適当な態度を取ったとはアリスも思っていませんが、もやっとしました。
だから、彼女はチェシャ猫に「まぁまぁ」と言われたことが今の自分の評価をきちんとしてもらったようで悔しくも嬉しかったのです。
「ん、まぁ、嘘つく必要もないし」
持ってきた分を完食したチェシャ猫は、コーヒーを啜りながら当然とでもいうように頷きました。
「また、作ったら食べてくれる?」
空になった容器を片付けた後、じっと見つめて訊いてきたアリスから目を逸らし、チェシャ猫は答えます。
「……気が向いたらね」
そう言った彼は口を尖らせ不本意と言いたげな顔をしていても、尻尾はゆったり大きく揺れていました。