3.働かざる者食うべからず
コンコンコンー……
誰かがドアを叩く音が聞こえましたが、部屋の主であるアリスは身動き一つしません。
「起きたら、まけ……」
コンコンコン、コンコンコンー……
懲りもせずにまたノックの音が聞こえた気がしましたが、それすらもスルーしました。
さっさと諦めればいいのに、と包まっている布団をぎゅっと握ります。
しかし、ドアの向こう側にいる人物は諦めることはせず、あろうことか無断で部屋に入ってきました。
「アリス―、朝だよ」
「……」
聞き慣れた男性の声に眉を顰めました。
次にシャッと聞こえたのはカーテンを開けた音。
窓から入る爽やかな日の光が薄暗かった部屋を照らして……いるのでしょうが、布団に包まっているアリスに効果はありません。
「起きて」
「んんー……」
身体を揺す振られ嫌そうにうめき声を上げますがまだ起きません。
丸まって芋虫どころかダンゴ虫状態のアリスの布団を彼は剥ぎにかかります。
「起きなさい!」
「……」
アリスは無言で布団を握る手に力を込めました。
「こーらー!」
強い力で引っ張られましたが、手加減をしてくれている事を経験上アリスは知っています。
もう少し小さい頃に同じやり取りをした際、勢い余ってベッドから床に落ちてしまったことがありました。
それを彼は未だに気にしているようなのです。
別に白ウサギが悪い訳じゃないから、気にしなくてもいいのに……。
なんて思いながらも、手の力は抜きません。
「ったく……」
やっと諦めたらしい相手は、布団から手を離します。
これ幸い、と眠るために目を閉じたアリスでしたが、次の言葉で一気に目が冴えました。
「今日の朝食はパンケーキなのにな~」
パンケーキ。それはアリスの好物です。
これは罠なのだと、相手の作戦なのだとわかっていても、自分の欲求|(食欲)に忠実な彼女は勢いよく起き上がりました。
「おはよう」
「はい、おはよう」
予想通り横に立っていたのは白ウサギ。
にっこりと笑って挨拶をした彼は、気合を入れさせるように二度手を鳴らしました。
「さぁ、みんな待っているから着替えておいで」
「わかった」
今度はアリスも素直に頷いて身支度を始めます。
パジャマを脱ぎ、エプロンドレスに着替え、洗面所で顔を洗い、寝癖を整え、最後にリボン付きのカチューシャをつけて完成です。
ダイニングキッチンになっている部屋に行くと、ドアからひょいと中を覗いたアリス。それに気が付いた帽子屋が声をかけました。
「やっと起きたのですね、アリス」
その言葉にすぐさま反応したのは、テーブルの上で腕を枕にして顔を伏せていたヤマネです。
「ありすちゃん?」
がばっと起き上がり周りを見回した後、アリスの姿を見つけて嬉しそうに笑いました。
「ありすちゃん!おは、よぅ……くぅ……」
「……おやすみなさい、ヤマネ」
しかし、元気よく挨拶した後すぐにまたテーブルに突っ伏して眠り始めます。頭をテーブルに叩き付けていましたが、それでも起きることはありません。
日常風景であるそれに動揺することもなく、アリスは朝の挨拶をすることにしました。
「おはよう、帽子屋」
「おはよう、アリス」
激しく打ったヤマネの額の確認を手早く済ませた帽子屋は、口元に笑みを浮かべながら挨拶を返します。
灰色の髪を一本に束ね、男物の服を着た姿は文句なしに美青年。
薄紫の瞳を細めて微笑む姿は見惚れてしまう程に美しく艶やかで、見る人を魅了する程。
この姿を見て本当の性別を当てられる人はどれくらいだろうかと考えながら、アリスは席に着きます。
そこへ丁度よく、朝食の準備を済ませた白ウサギがやってきました。
「さぁ、朝ご飯は一日の元気の元。温かいうちにお食べ!」
目の前に出されたのは、まだほかほかと湯気の出ている厚焼きのパンケーキ。
上には生地の温かさで若干溶けたバターと、たっぷりかかった黄金色の蜂蜜。
「いただきます」
手を組んで食材に感謝したアリスは早速、左手にフォークを右手にナイフを持ちます。
一口サイズに切り分けたパンケーキを口の中に入れると途端に蜂蜜の甘さが広がり、とても幸せな気分になりました。
「おいしい」
「それは良かった」
アリスがとても幸福そうな顔をして食べるので、白ウサギは嬉しくなり、その様子をにこにこと眺めます。
頑張って作った甲斐があるというものですね。
黙々と食べていたアリスは、不意に空いている席に気が付いて首を傾げます。
「チェシャと三月は?」
「猫は行方不明。三月は閉じこもっていますよ」
紅茶を啜ってから答えた帽子屋の言葉に、アリスは呆れた顔をしました。
「また?」
チェシャというのはチェシャ猫、三月というのは三月ウサギの事なのですが、アリスの言葉からうかがえるように共に食事をしない時の理由は毎回同じなのです。
片や誰にも言わず家を出たきり暫く帰らずに行方不明、片や研究に没頭して自室に籠りっきり。
勝手に出ていくチェシャ猫に対しては諦め気味ですが、家の中にいる三月は声をかければ出てこないこともありません。
しかし集中すると食事を抜くこともよくあるため、皆の食生活を預かっている身として白ウサギは頭を悩ませています。
「三月君、出てきてくれないんだよねぇ」
「どうせまた変な研究でもしているのでしょ。……ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。……ってことで、はい」
パンケーキの他にもサラダやスープなど、皿の中身を完食したアリスが席を立つと、待っていましたとばかりに白ウサギがアリスにトレーを渡しました。
反射的に受け取ってしまった彼女はきょとんとした顔で両手で持ったそれを見ます。
「……?」
トレーの上には、先程アリスが食べた物と同じ料理が並んでいました。
これをどうしろと?と見上げると、にっこり笑った白ウサギが言います。
「ご飯、届けてきてね」
「なんで、わたしが」
顔を顰めたアリスでしたが
「うちは働かざる者食うべからずです。おやつも入れているから、一緒に食べるんだよ?」
白ウサギの言葉に反論できず、渋々頷くのでした。