転生したらば
真夏の夕暮れ時、帰宅ラッシュの交差点。
不意に鋭いブレーキ音がしたと思ったら、次の瞬間自分の身体が宙に浮いていた。
その後のことはもう、何がなんだかよくわからない。
救急車のサイレンがどこか遠くに聞こえた。
……あーあ、ツイてない。
別れ話の直後に事故に遭うとか。
なぁにが『彼女は俺がついててやらないと駄目なんだ』よ。
クソが。腐ってもげろ。
こんな死に様迎えるんだったら、物分かりの良い女の振りなんかしないで、ギャン泣きして大暴れしてやればよかった。
とある拗らせ系の自称サバサバ女が、不慮の事故で二十余年の人生に幕切れを迎える瞬間、ふと何気無く願った。
『もし自分に来世があるなら、素直で可愛げのある女子に生まれ変わりたい。絶世の美女とか贅沢言わないから、せめて愛嬌のある娘に。
今世の全てを洗い流して、まっさらな自分で人生やり直したい……』
───というような前世を、ネモフィラはたった今思い出した。
商売道具の手入れをしていて、占いに用いる銀の水盆を直に覗き込んでしまったせいだろう。
動揺してつい盆を床に落とすところだった。
先代から譲り受けた道具の数々は、どれも曰く付きの物が多い。
「……塩辛ぇぇぇ。なんだこの記憶。もうちょいマシな回想なかったんか」
ネモフィラは占いや失せ物探しを得意とする呪い師で、女性相手の恋占いや良縁祈願の呪いを主な稼ぎにしている。
ネモフィラが暮らす環國の民は総じて迷信深く、何かにつけて占いや呪いを頼る事が多い。
民間に輪廻転生の思想が根付いていることもあって、老若男女を問わず『前世占い』は特に好まれている。
かつての己が“救国の英雄”だとか、“傾国の美女”だったとかいうような、前世に浪漫を求める人間はわりと多いのだ。
「かつての貴女は外つ国の高貴な身分の女性───。身分違いの恋に身を投じた末に、儚くなられている。相愛でありながら幾度となく擦れ違い、成就は叶わぬまま……」
雰囲気作りのために敢えて薄暗くした天幕の中、銀の水盆を覗き込みながら、幾分厳かな口調で結果(脚色済み)を告げると、占いの依頼者が前のめりで食いついた。
「まぁ、劇的!まるで吟遊詩人が唄う物語みたい。それで!?お相手はどんな男性なのかしら。友人に自慢するから、そこのところ詳しく!追加料金払うわ!」
「まいどありー」
占いの卓に差し出された小銀貨に、ネモフィラの頭の中で“チャリーン”という擬音が響き渡った。
「…何だって皆そんなに知りたがるかねぇ。前世なんて今の自分にゃ何の関わりもないだろうに」
ネモフィラ自身ついこの間、前世の記憶らしきものが甦ったけれども、かつての“自分”に対して何一つ共感できる部分がなかった。
( 別れ話ひとつで茫然自失の体になって、自動車とやらに撥ねられてお終いになったあの女(前世の自分)。
死に際にあんな後悔するぐらいなら、相手の男をグサリと殺ればよかったのに )
男女の付き合いで、途中で他によろめくような奴は、決まって何度も同じことを繰り返す。
なにしろ何年も恋愛絡みの案件を扱ってて、このての相談事で心変わりした人間が、鞍替えした相手に一途だったと聞いた試しがない。
「次の方、中へどうぞー」
ただ前世の自分がどうであれ、一度死んで生まれ変わった以上、この自分が今の自分。
彼女が望んでいた素直さや可愛げが、欠片も備わってなかったとしても。
街角から昼の喧騒が遠ざかり、夜の気配がひたひたと間近に迫る頃合いになると、占い通りの客層にも些か変化が現れる。
「金なら言い値を払う、商売敵を消してくれ。それが無理なら相手が二度と立ち直れなくなるような損害を与えてほしい」
───というような輩だ。
「悪いけどお客さん、あたしは呪殺はやらない。死んだ師匠の言い付けでね。どうしてもと言うなら、依頼人本人の寿命が対価だ」
「なんだとっ…!?」
客のそれでは意味がない、と言いたげな表情。
あくまで自らの手を汚さず、己の身に害が及ばない形を前提にしていたのだろう。
「呪詛返しなら報酬次第で請け負うけどね。こちらから先に仕掛けるのは、どうも性に合わないのさ。呪詛ってやつは失敗したときの反動が半端じゃないんだよ。悪いけど、他を当たってくんないかな」
「チッ、期待外れもいいとこだ!腕利きの呪術師ってのは単なる噂で、ただの腰抜け呪い師か!」
盛大な舌打ちと共に入り口の垂れ幕をバサリと乱暴に跳ね上げ、その場から足早に去ってゆく男性客。
ネモフィラの天幕ではしばしば見られる光景だ。
「……ったく、どいつもこいつも」
“呪い”は祝福にもなれば呪いにもなる。
そして優れた呪い師ほど、そのどちらにも通じていなければならない。
ネモフィラはそちら方面の心得があっても、余程の事でなければ関わらない方針を貫いている。理由は単純。
『気が乗らない』から。
当事者の手を汚さず他者の力を利用して相手を追い詰め、場合によっては死に至らしめる手管が、あまり──というかかなり好かないというか。
なんなら以前『気に食わない奴がいる?ならテメェでなんとかしろ』と客を叩き出した事すらある。
本来の呪い師の在り方を真っ向から否定する言動なのだが、最早これは性分なのでどうにもならない。
何故これを生業にしたのか、ネモフィラ自身たまにわからなくなるが、他に選択肢がなかったんだからしょうがない。
浮浪児上がりの賤民が就ける職は、限られているのだ。
「……“天秤の魔女”にお願いがあるの」
次にネモフィラの天幕を訪れたのは若い街娘だった。
見るからに窶れ、血の気のない青白い頬が痛々しい。
「『二代目』のあたしでよければ話を聞くけども。──まず、あんたはそこの椅子に座んな。足元がフラついて今にもぶっ倒れそうじゃないか」
虚ろな表情をした娘は、言われるがまま椅子に腰を降ろした。
「先代の通り名を持ち出したってことは、あんたの依頼は呪いの方か。先に行っとくけど、あたしは殺しはやらない」
先代の通り名は、対象者に『相応の報い』を受けさせる、公平な仕返しの範疇だったことから付いたもので、『やりすぎない』が“天秤の魔女”の口癖だった。
「……殺し?」
無気力に見えた娘の眼に、鈍い怒りの火が点いた。
「殺して終わりなんて!そんなんじゃあたしの気が済まないわ!!あいつらには生きながら地獄を見てもらうのよ!!」
「あー、落ち着きなって。まずは詳しい話を聞こうか」
興奮のあまり過呼吸を起こしかけた娘を宥めながら、ネモフィラが聞き取った話はこうだ。
娘には将来を誓い合った相手がいたにも拘わらず、強突張りで有名な商家のどら息子の妾として、支度金目当ての親に金で売られた。
若く見目の良い娘をなぶるのが趣味のどら息子に散々弄ばれたあげく、どら息子の加虐行為によって付いた顔の傷を理由に、無一文で追い出され。
心身共に傷だらけになって、縋る思いで頼った元の婚約者は、娘の親から受け取った手切れ金で身代を改めて、とっくに新しい家庭を築いていた──と。
なんとも救いのない話だ。
けれども世の中ではありふれた話でもある。
前世のネモフィラが生きた世界と比べ、この世は未だ男尊女卑が強固であり、婚姻に関しても当人の意思より家長の意向に重きが置かれる。
つまるところ、泣き寝入りする他の選択肢が女には残されていないと言ってもいい。
そしてその無力な女達が最後に頼るのは大抵、ネモフィラのように裏側の闇に片足を埋めた存在だ。
「あんたが望む報いの対象は?」
「わたしの親と、あのどら息子よ。それから……彼にも少しだけ仕返ししたいの。
……その、対価についてなんだけど。わたしお金あんまり持ってなくて。でもっ、でも、魂でも何でも差し出すから!お願い!」
「そんなんイラネーし。そうだねぇ、対価はあんたが苦しみを受けた月日の分の寿命てとこか。どうだい?」
「寿命…?それだと一年にも満たないけど、そんなものでいいの?」
「そんで充分さ。その分あたしが長生きさせてもらうわけだし。で、相手方には同じ月日の間、地獄を味わってもらおう」
「………どうするの?」
「そこはまぁ、“天秤”の名に恥じない呪いをお見舞いするよ」
『ネモフィラ、お前の呪力は強すぎる。呪詛で与える損害が尋常ではない分、術を返された場合の反動も大きい。
だからお前はけして自ら先に仕掛けてはならないよ。
仕掛けられて祓うのは、致し方ないけどね』
( …はいはい、解ってるって婆さん )
「じゃ、こんなのはどうだい?」
───と、ネモフィラが提案した呪詛の内容に、娘はあんぐりと眼を見開いた後、仄暗い愉悦に満ちた笑みを浮かべて、契約は成立となった。
「あんたはこれからどうするんだい?」
「……街を出ようかと思ってる。ここは思い出したくないものが多すぎるから」
「なら、方角は南西が吉。出立はなるべく早めがいい。道中拾ったものが、今後の助けになるかもしれないよ」
「占いまで頼んでないけど」
「新しい門出の餞別さ。あたしのは結構当たるよ」
ネモフィラのその言葉通り、数日後に思わぬ拾い物をした娘は、それを正直に役人に届け出たため、報償金というなの金子を手にすることになる。
「さて、仕上げと行こうか。
…ったく。何処の世界でも男って奴は、結局見た目で女を選ぶんだね。なんだか余計なことまで色々思い出してきちまったじゃないか」
自らの冴えない容姿がずっと劣等感だった前世の自分は、敢えてガサツに振る舞うことでサバサバ系女子を装ってたけど、内面はササクレだらけで相当拗れまくってた。
見た目の女子力が低い上に、性格まで悪いと思われたくなくて、誰からも親しみを持たれるキャラを長年演じ続けて、迎えたあの最期。
この男なら素の自分を見せても良いかも、と初めて思った相手は、お決まりの常套句を言い放ってアッサリ別の女に鞍替えしやがった。
「ああ……なんだか今更腹が立ってきちまった」
さっきの娘の事の発端だって、ろくでなしのどら息子か若くて見目の良い女を狙い打ちにしたようなもの。
昔の自分がなりたかった、素直で可愛げのある女子が、あんな結末を迎えて嘆くような生き方しかできない世の中なら、あたしは素直でも可愛げがなくたっても構わない。
「さぁ、とびきりの地獄を贈呈しようじゃないか」
その後。
好色で知られたとある商家の若旦那は、女に興奮するたび切れ痔が増えるという謎の病に罹り、円座布団が手放せなくなった。
あまりに興奮する回数が多いので傷が増えまくり、毎日の用便を足す際地獄の苦しみを味わっているという。
またある一家の夫婦は、痛みに快楽を覚える癖に目覚め、ところ構わず鞭や刃物をちらつかせるようになって、周囲から距離を置かれるようになった。
そしてある新婚家庭の新郎は、妻の名を何度も呼び間違うようになり、繰り返し違う女の名を呼んだことで妻に浮気を疑われ、肩身の狭い思いをしているという。
約一年後、呪いは解けるだろうが、その後の彼らの人生が持ち直すかどうかは、本人次第ということで。




