戦から帰って来たら、皇女殿下が嫁になりました。
華美でなく、しかし立ち入った者が息を呑むほどに貴さを感じる玉座の間。なんともいえない重厚な空気が満たされたその一室には、玉座に皇帝が座り、脚を組んでにっこりとご機嫌な様子だ。
「此度はよくやってくれた。褒美をやろう」
攻めいられそうになった国を小部隊で蹴散らしたバオ・ロンは皇帝の言葉にさらに頭を下げた。
「恐れ多ございます。陛下とこの国の為に力を尽くしたまでです」
皇帝直属の侍衛、禁軍に所属する第三位将軍のバオ・ロンは今年34を迎えた。
建国当時から皇帝に仕える名門中の名門である公爵家の次期当主。
日頃の鍛錬で鍛え上げられた筋骨隆々な体躯、高い身長、誰もが羨む武力を備えた武人。しかし残念なことに表情筋が死んでいるのか、感情が一切表に出ず、端正な顔立ちながらも怖がられていた。
上位アルファで文武両道、誰もが羨むはずなのに、能面のせいで婚期を逃しまくってもいる。
特に結婚に興味がなさそうに見えて、実は本人は結婚願望があるのだ。
身分など関係なく、自分だけを愛してくれる番と幸せになりたいと。
しかし、長年剣がお友達、戦でついた恐怖のあだ名が功を奏して残念なことになっている。
おまけに、今は戦で伸びに伸びた髭が年相応に見えず、髪も国を出立する前は短髪だったが今はもっさり伸び、後ろで纏めてはいるが逆に野生人のような風貌がプラスされてさらに残念になっていた。
もう一つおまけを言えば、浅黒い素肌には今まで武勲を上げた傷跡があちこち残っている。
これも見慣れない者達にとっては怯える要素の一つらしい。
「お前は昔から欲がないな。本当に面白くないやつだ。しかしだな、国の英雄に褒美を与えないのも国の名折れだ」
褒美など要らない。このまま体が動くまで皇帝を護り抜くだけだ。
「結婚はどうだ?」
突然のその言葉に、バオ・ロンは眼を瞠る。
「け、結婚ですか?」
「お前も良い歳だろう。独り身がいいというならいいが、お前は国を背負ってゆく高位貴族だ。結婚して妻を娶れば箔もつく」
何気なく言われているが、結婚したくても出来ないのだ。モテにモテまくる皇帝と一緒にされては困る。最悪、先祖には悪いが自分の代で公爵家は終わりかなと思ってさえしていた。
「結婚したくないのか?」
「願望はございます。ですが、私のような猛者に嫁いでくださる方はいないと……」
「いるだろう」
即答されて、バオ・ロンは「は?いる?え?どちらに?」と、なんの冗談かと皇帝を見つめた。皇帝はニヤッと笑って「余のすぐ近くにいるだろう。とびきり可愛いのが」と言う。
皇帝の近く?どう言う意味だ?とびきり可愛い?
「もしや皇后陛下……もしくは妃様方でしょうか?」
怪訝に言うと、皇帝が目を吊り上げた。
「馬鹿者。次言ったら縛り首にするぞ。余の大事な愛する后達をお前にやるわけがないだろう。どうなったらそうなる。──ルドヴィカだ。余の可愛い末姫のルドヴィカを嫁にやろう。他の男どもには絶対嫁にやらんが、お前ならば……まあ大丈夫だろう」
「ありがたき……は?」
予想外の、何やら聞き捨てならない皇帝からの言葉に、バオ・ロンは呆けた声を出してしまう。
「未姫のルドヴィカ皇女殿下を?私の?伴侶に?」
「そうだ。余の可愛い子供達の中でも特に可愛い未子のな。気遣いも出来る、優しい笑顔、物腰柔らかで見合い状など数え切れないくらいなんだぞ」
「はあ……いや、ですがルドヴィカ殿下が私ではご不満ではないかと……」
皇帝には十人子供がいる。皇后と側室数名との間に皇子皇女が生まれていた。その子供達のうちの一人、未子は皇后が母だ。
皇子ながら皇后によく似て、皇子皇女の中でも一番に可愛いのではないかと評判でもある。
バオ・ロンも皇帝の護衛につく傍ら、皇女にも会う。
今年で16になられる。
生まれた時から知っているし、なんなら遊び相手になったこともある。
最近は戦へ出掛けていたので会う機会があまりなかったが、皇城で会えば気さくに話しかけてくださる優しい女子だ。
人懐こく、誰に対しても平等に接し、おまけに庶民目線で物事を考えるので国民からは皇太子の次に絶大な支持を得ている。
そんな超がつくほどの優良物件が、何故自分の花嫁候補に?
何かの間違いではなく?
「昔からお前に懐いておっただろう。可愛いルドヴィカを嫁にしたら、お前は一線から退け。今回もルドヴィカに口を聞いてもらえなんだからな。あれは流石に堪える。幸いにも、此度の戦で戦況は落ち着いた。我が国に攻め入ろうなど甘く見た国はいないだろう。戦場で何かあればルドヴィカが哀しむからな。今日までよくやってくれた。別の褒美も近々に渡そう」
「は?え?は?」
はいじゃ決まり〜っと皇帝は勝手に話を進め部屋から早々に去って行く。引き止める間もなくポツンと残されたバオ・ロンは呆気に取られた。
「皇女?私に?嫁?」
そもそも自分の身分に対しては皇子と釣り合うが、こんな面白みのない自分の嫁になるのは嫌だろう。歳の近いもっと見目の良い王侯貴族が皇子にはお似合いだ。見合い状も山ほど送られてきていたと言った。
まずは皇女に会って断ってもらうように言おう。こちらから断れば皇女としてのプライドに傷がつく。
「何考え込んでるの?」
「いえ、ルドヴィカ殿下からお断りを……」
「断るって?私との結婚を?なんで?」
「そうです。何でと言われましても……私には全くもって不釣り合いなお話です」
「はあ?なんでそうなる?私は絶対断らないからね」
「そうは言われましても、こんなむさ苦しい巌のような見目で、おまけに歳の離れた私ではあまりにも無相応です」
「お前が決めるな。それは私が決める」
「ですが……」
うーんうーんと考え込んでいたバオ・ロンは、無意識に会話していた聴いたことのある声にハッとする。首を勢いよく振って視線を向けると、渦中のルドヴィカがバオ・ロンを見上げていた。
「!?ル、ルドヴィカ殿下!?」
艶やかな黒の髪に、皇后譲りの澄み切った青の瞳が瞬時に視線に入った。
シミひとつないキャラメル色の肌は、滑らかで年相応の張りがあり、バオ・ロンよりも頭二つ半分ほど身長が低い。可憐で美しいという言葉がぴったりの容貌。
「久しぶり」
ニコッと笑うルドヴィカは、それすらも美しいと感じさせるほどに人形めいていた。発せられる言の葉でさえずっと聞いていたいほどに滑舌が良く心地良い。それに、優しさがほんわりと含まれている。皇族の中で言葉遣いは一番砕けているが、それすらもチャームポイントになるほど親近感を湧かせていた。
「殿下」
即座に膝を折ったバオ・ロンの手を取って、「立って」と言った。
恐る恐る立ち上がり、ルドヴィカを見つめる。
「話す前にまずは国の為に戦ってくれたことに感謝の意を。お前と優秀な軍隊がいたから、こうして国は平和になっている。大きな怪我は無いと聞いたけど、心配でずっと身を案じていた。この国を守ってくれたお前と軍隊に再度厚い感謝を」
立ち上がっていたが、バオ・ロンは、床に膝をついて軍式の最上礼をする。
「もったいなきお言葉です」
包帯の巻かれた左手を労るように、ルドヴィカはそっと手のひらを被せて俯いた。瞬きをするたびに揺れる長く黒いまつ毛を見つめながら、同じ男でも全く違うんだなと、呑気にそんなことを思ってしまう。「立って」と再度言われてゆっくりと立ちあがる。
「他の誰よりも殿下は一番お美しいですね」
思わず口から滑り出た。
生まれた時から知っているが、どの皇子皇女よりもバオ・ロンはルドヴィカが一番美しいと思えていた。
パッと上を向いたルドヴィカに、バオ・ロンはドキッとしてたじろぐ。心臓がドキドキする。しかしルドヴィカはバオ・ロンの胸ぐらを掴んで、一気に引き込んだ。
「──なっ──で、殿下!?」
可愛く美しい顔が間近に迫り、心臓が忙しない。
「父上から話は聞いてるよね?私をお前の嫁にって」
その言葉が終わりを告げると同時に、ルドヴィカの唇がバオ・ロンの唇に一瞬重なった。
バオ・ロンは乙女のように顔を真っ赤にして視線が合うルドヴィカを見つめる。
「殿下っ!何をなさいますか!」
「お前、髭剃ってくれない?口の中に毛が入ってチクチクする。あと髪も切って。モッサイ。折角の男前が台無し」
「モッサ……申し訳ございません。と言いますか
、巌の私が男前など殿下はお優しい……しかし髭はこのあとすぐに剃って髪は切ります」
整えただけではいけなかったか。
此処に来るまでにすれ違った使用人達はまるで熊にでも遭遇したかのような怯の視線を向けていた。
大きな体をしょんぼりさせていると、バオ・ロンの額にルドヴィカがちゅっとキスをする。
「ふふ、そうして」
にっこり笑うルドヴィカの笑顔に心臓がドクンと高鳴った。なんだこれは。何かの病気だろうか。
見つめられて照れつつ、ハッとする。
「そんなことよりも殿下!私とせせせせせ接吻するなど!ご結婚前の大事な体を!私のような者に!」
「五月蝿いな。一瞬の接吻で狼狽えないでくれない?お前だからしたかったのよ。なに?私じゃあ嫌だったとかいうわけ?小さい頃はほっぺにちゅってしてくれたじゃん?」
「そんな!滅相もない!舞い上がるほどです!お小さい頃はその時です!今はもう御成人ですよ!むしろドキドキし──」
言いかけて、バオ・ロンはまたしても顔を真っ赤にする。
「ふーん?舞い上がるほど嬉しいって?ふーん?」
ニヤニヤとするルドヴィカに、バオ・ロンはしどろもどろする。
「……あの、う、嬉しかったです」
もじもじしながら呟いた。
少し眼を瞠ったルドヴィカが、バオ・ロンをその場に押し倒した。
小柄なのになんという力だろう。
自分の腹に腰を落とすが、軽すぎて心配になる。
昔からやんちゃでいたずら好きではあったが、それは親しい身内だけの前でだけだ。
この今の状況は非常にまずい。
誰かが部屋にでも入ってきたならば、皇女に噂が立ってしまう。
バオ・ロンが体勢をどうにかしようとしたら、ガシッと頭を両手で掴まれた。
「ひぃ!?」
今日は目を見開きすぎて乾く。
バオ・ロンの髪にルドヴィカが豪快にキスをする。
「やっぱお前大好き!」
「はぇ?」
「大好きよ!」
「そ、それは光栄です……?」
どこに大好きの要素が含まれていたのか、何を喜ばれたのかさっぱりわからなかったが、ご機嫌になってくれているのでバオ・ロンも眼を細めた。
「さて、殿下。お立ちくださいませ。皇女がこのような御行儀は宜しくないと……それから、ご結婚について今一度お話し合いをさせていただき──」
言い終える前にルドヴィカの顔が目と鼻の先になる。
「ででで殿下っ!何をなさいます!?」
きゃーっと口を両手で覆って眼を見開く。
「この日が来るのをどれだけ待ち侘びたか……やっとお前が手に入る」
「ど、ど、どういうことでしょうか?私のような巌に殿下の隣は厚かましく烏滸がましく……」
「私が物心ついてからお前のこと好きだったの気づいてるでしょ?まぁでも無理か。お前鈍いし、私のこと護るべき皇女って必死だったもんね。子供の私に眼中にも無かったのだって知ってるし。噂は噂。お前が誰よりも優しくて格好良くて可愛いものが好きなのは私だけが知ってる。永遠に私だけが知っていれば良い。幸いにお前の恐るる武勲が虫除けになってここまできてくれたのは本当運が良かったとしか言いようがない。お前の良さをわかってるのは私だけで十分」
次々と驚愕のことを言われ、バオ・ロンは開いた口が塞がらない。
自分を好いている?皇女が?まさか!
「嘘じゃないから。私はお前と結婚する為に生まれたの。ずっとお前だけを見てた。父上にもバオ・ロンと結婚するからって言いくるめたんだから。私の運命はバオ・ロンよ。物心ついてから今日まで、ずっと想い続けてた。でもねぇ、流石に疲れた。私以外の女性が近づくとドキドキハラハラするし、お前が戦場行く時は生きた心地がしなかったし。今回の戦は流石に肝が冷えた。でも、帰って来てくれたし、やっと私のだ」
そう言いながらルドヴィカはバオ・ロンに可愛すぎる笑みを向ける。確かに、昔から何故かバオ・ロンに懐いてくれていた。それが好意として向けられていたなんて。
嬉しい──いや、ありがたすぎる。こんなモサイ相手に天使のような皇女が──。
しかし、バオ・ロンはハッとする。
「ドッキリですか?──あいたぁ!」
ぎゅっと鼻を摘まれた。
「そんなわけないでしょ。バオ・ロン。お前は?私のことどう思う?好きか嫌い?どっち?」
「!?そ、れは……」
嫌いなど無い。しかし、好きと言うのもどうなんだろうか。ルドヴィカを女性として見たことがなかった。臣下の分際で無礼も承知だが、恋など自分には遠のいたものだと思っていたから、どうしたら正解なのかもわからない。皇女は自分の立場では護るべき存在。好きなど烏滸がましい。けれど、ルドヴィカは自分のことを好いてくれている。
けれど頭の中で葛藤が凄まじい。
此処で逃したら嫁もらえないぞと脳内悪魔が囁く。
「私が皇族じゃなくて、帝民だったら?お前は身分が好き?」
もしも、仮にルドヴィカが帝民だったならば、どこで会うだろう。愛想も良くて話し上手だと聞くし飲み屋の看板娘ならば客はひっきりなしだろう。バオ・ロンも馴染客として通っているかもしれない。
「あ、なに想像した?その顔は良い感じってこと?」
頬をムニムニと指で摘まれて、バオ・ロンはあたふたする。
「いえ。申し訳ございません。殿下が帝民でしたら飲み屋で運命的な出会いをするのだろうかと少し想像してしまいました」
「私が飲み屋の給仕?へぇ面白そう。もしか私が皇族じゃなくなったら私と一緒に飲み屋する?」
その時を想像して、バオ・ロンは目を細めた。きっと楽しそうだ。
帝民だと例えても全く怒らないルドヴィカの柔軟性に、バオ・ロンはホッとする。
「身分など関係なく、自分だけを愛してくれる妻と幸せになりたいと……この風貌で馬鹿にされそうですが、私は厚かましく心の底で密かに思っておりました」
ポツリと言うと、ルドヴィカは愛おしそうに眼を細めた。
「それは私が叶えてあげる」
「!?いえ、ですが、私は──」
「グダグタ五月蝿い。私が叶えてやるって言ってる」
「殿下が……私を……私だけを愛してくださるのですか?」
「私は物心ついた時からお前のこと愛してるけど。バオ・ロン、お前のことは私が永遠に愛してあげるわ」
「そんな願ったりなことは──」
「ねぇ、それがお前の答えね?」
答えになっているのかはわからないが、思っていることはそうだ。
「っはい!許されるならば私は殿下と添いとうございます!」
「言質はとったから」
「は?はあ……」
やはり痩せすぎではと思わず細い腰を見つめていたら、ルドヴィカがニヤッと笑う。
「えっち」
「──!?ひぃぃ!申し訳ございません!決してっ!決して助平心ではござりませぬ!!」
目を慌てて両手で覆うと、その手にチュッとルドヴィカがキスをする。
「嘘嘘。私はもうお前に関して我慢するの疲れたっての。お前にとっては困惑案件だろうけど、結婚してからでも私のこと好きになれるでしょ?」
「好き!?」
不敵な笑みを浮かべたルドヴィカは、獲物を狙い定めた獣のようににっこり笑った。
「私はもうお前を離すつもりないから。私の愛しい夫、バオ・ロン」




