第2話 奈落の底
「……っ、いててて……」
全身が痛い。
目を開けると、そこは真っ暗だった。
冷たい石の地面。湿った空気。重苦しい静寂。
「……ここは……?」
思い出す。
王。処分。
ブラックホールのような闇。
「……あのクソジジイめ……」
そうだ。俺は落とされたんだ。
ゆっくり体を起こす。
そのとき。
カラン……
足元で何かが転がった。
「……ん?」
目を凝らすと、骸骨だった。
「うわっ!?」
驚いて後ずさり、そのまま尻もちをつく。
「いててて……」
……ここは、そういう場所だ。
処分された人間の、成れの果て。
そのときだった。
カサッ。
何かが手に触れる。
恐る恐る掴むと、それは古びた革のカバンだった。
上に、紙が挟まっている。
俺は震える手で、それを読む。
⸻
迷い人よ。
この奈落には危険なモンスターが無数に徘徊している。
俺はもう間もなく死ぬだろう。
だが、もしこの文章を読んでいる者がいるのなら——
どうか生き延びろ。
このダンジョンで遭遇した魔物の情報は、図鑑に記した。
即死級の個体、回避不能の罠、奴らの弱点も書いてある。
北側の崩れた岩壁の裏に、小さな隠れ穴を作ってある。
魔物はそこに気づきにくい。
一時しのぎにはなるはずだ。
——生きろ。
by アルマロス
⸻
「アルマロス……?」
知らない名前だ。
でも、確かにこの人はここで生き延びようとしたんだ。
そして——死んだ。
俺はカバンを開く。
中には、
•松明(火打石付き)
•錆びた短剣
•“基礎魔法入門”と書かれた本
•分厚いモンスター図鑑
•“成長理論”と書かれた手書きノート
「……マジか」
ガチのダンジョンサバイバルじゃねぇか。
そのとき。
ドスン……
ドスン……
地面が、揺れた。
「……は?」
重い。異常に重い。
まるで象の三倍はありそうな何かが歩いているような音。
図鑑を慌てて開く。
松明に火をつけ、震える手でページをめくる。
“重震獣”
推定体長:六メートル
特徴:視力は弱いが、振動感知能力が異常に高い
対処法:絶対に走るな。息を潜めろ。
見つかれば、即死。
「……やばい」
足音が近づいてくる。
アルマロスのメモ。
“北側の崩れた岩壁の裏”
俺は必死に松明をかざす。
あった。
岩壁が不自然に崩れている場所。
その裏に、人ひとり入れる隙間。
「頼む……!」
滑り込む。
息を止める。
ドスン……
ドスン……
巨大な影が通り過ぎる。
岩の隙間から見えたのは、
岩のような肌を持つ怪物の脚。
鼓動がうるさい。
頼む、気づくな。
数十秒が、永遠のように感じた。
やがて。
ドスン……
音が遠ざかる。
「……はぁ……」
助かった。
本当に、ギリギリだった。
手が震えている。
だがそのとき、ふと違和感に気づく。
さっき尻もちをついたとき、
かなり強く腰を打ったはずだ。
でも——
「……あれ?」
痛みが、もうない。
⸻
その頃——王宮
「なんで進を落としたんだよ!!!!」
叫んだのは、進のクラスメイト——黒瀬陽斗。
少し長めの黒髪をかき上げながら、
王を真っ直ぐ睨みつけている。
進とは中学からの付き合いだ。
何度も助け合ってきた親友。
「進は頼りになるんだよ!!
あいつがいれば、何か変えられたかもしれねぇのに!!」
「そうだそうだ!!」
他の生徒たちも声を上げる。
教師の一人も前に出た。
「説明を求めます。
生徒を危険に晒すなど——」
王は静かに言った。
「……一旦落ち着け」
「は?」
陽斗の目が怒りで揺れる。
「落ち着けるわけねぇだろ!!
お前らの都合で進が死ぬかもしれねぇんだぞ!?」
「ふざけんなよ。
なんで進なんだよ。
なんで“無能力者”だからって、それで終わりなんだよ!」
王は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
「……すまない」
「“すまない”で済むかよ!?」
陽斗が一歩踏み出す。
「召喚したのはそっちだろ!?
責任取れよ!!」
王の部下が前に出る。
「分を弁えろ」
だが、王が手を上げて制した。
「よい」
低く、疲れた声。
「我らが召喚した。
非があるのはこちらだ」
「しかし——」
「良いと言っとるだろ」
王は続ける。
「今は、それほどの時間がないのだ」
陽斗は睨みつけたまま言う。
「時間がない?
それで進を落としたのかよ」
王は、静かに答えた。
「……あやつしかおらぬ」
広間が凍りつく。
「何だと?」
王はゆっくりと言葉を続ける。
「この世界は、あと数年——
いや、もっと早く崩壊する」
ざわめきが広がる。
「そして崩壊は……
お前たちの世界にも波及する」
陽斗の顔色が変わる。
「……は?」
「異世界の崩壊は、やがて“地球”を侵食する」
再び、広間に沈黙が落ちた。
やがて陽斗が口を開く。
「……なんで」
その声は低く、鋭かった。
「なんで“地球”って知ってんだよ」
教師も続く。
「我々の世界の名称を、なぜあなた方が……?」
王はわずかに目を細めた。
「王家には、古くから伝わる記録がある」
「記録?」
「この世界と、お前たちの世界は決して無関係ではない」
陽斗は食い下がる。
「……それだけで納得できると思ってんのかよ」
王は答えない。
ただ、静かに言った。
「今は……詳しく話している時間がない」
その沈黙が、疑念をより深くした。
王は視線を落としたまま言う。
「進とやらに託すしかないのだ」
「生きるか死ぬかは、あやつ次第」
陽斗の拳が強く握られる。
「ふざけんなよ……
賭けみたいに言うなよ……」
王は、誰にも聞こえぬほど小さく呟いた。
「……成否は、あやつが“限界”に縛られておらぬことに賭ける」
その言葉の意味を、まだ誰も理解していなかった。
⸻
奈落の底
隠れ穴の中で、俺は息を整える。
痛みが消えた腰。
震えが止まらない身体。
「……なんなんだよ」
図鑑を抱きしめる。
俺は——
無能力者じゃ、ないのか?
暗闇の奥で、何かが光った。
それは一瞬だけだった。
まるで、俺を“見ている”かのように。
そして——
脳裏に、声が響いた。
《……適合確認》
「……は?」
誰もいないはずの奈落で、
確かに、何かが囁いた。




