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【①-1/6】【01】白猫を愛した結果


「雪乃《ゆきの》 愛してる」


 荒い息のまま、口づけを交わす。


「にゃあ」


「ああ、相思相愛だな」


 幾度となく繰り返された、愛の囁き。



 彼女は


 蒼い瞳のとても美しい


 白猫だ


◆◆◆


 赤神《あかがみ》 魁《かい》 二八歳。探偵事務所を開いている。

 とある神社の次男として生まれ、幼少時より父である鎮政《しずまさ》から合気道と棒術を叩き込まれて育った。

 体格にも恵まれ、身長は一九五㎝、体重九五㎏と、かなり育った。

 彫りの深いはっきりとしたタイプの顔立ちで、"イケメン"というより"男前"なので、好みは分かれる。

 温厚な性格だが、やや口数は少ない。

 一時髪を伸ばしてみたが、面倒なのでバッサリと切ってしまい、今は短髪だ。

 以上のように外見スペックは高めなので中々に女性人気はあったのだが、魁にはずっと、恋人と呼べるような存在は居なかった。

 どんなに美しいとされている人間女性でも、魁にとっては人間である時点で恋愛対象になり得ない。



 魁は、猫科動物しか愛せないのである。


 性的な意味で。



 猫科の"女性"が至高であり、その次に、猫科の"男性"が存在する。

 魁は猫科動物を"オス"や"メス"とは呼ばず、"女性 男性"、或いは"男子 女子"などと呼ぶ。


 なお、魁が性愛の対象として認識しているのは猫科の"女性"だけである。

 猫科の"男性"も、愛らしくも美しい存在ではあるが、性愛の対象ではない。


 また、猫科動物が至高ではあるが、人間を嫌悪しているわけではない。

 人間の男女共に、それなりの数の友人は存在する。

 ただ、人間の女性は友情より愛情を求めてくるのが鬱陶《うっとう》しいので、基本的に一線を引いて接している。


 そんな訳で、二八歳になった今も、魁は童貞だ。



 探偵事務所を開業したのは二年前。


 大学在学中、叔母である蒐《あかね》から【便利屋】の轟《とどろき》という人物を紹介された。

 【便利屋】といえば男手が必要な作業のヘルプで、なんでも請け負う作業員というイメージだった。


(力仕事なら自信があるし、給料もいい。

 蒐さんの紹介だし、変なところじゃないだろう)


 そう考え、轟の事務所で働くことにしたのだが、予想に反し、初仕事は地方都市にある廃墟での物探しだった。


 それ以降も轟の事務所に呼ばれては、山中で廃村を探したり興信所のように浮気調査をしたりと色々な仕事を手伝ったが、単純な力仕事のお手伝いのなどはごく僅かだった。


 魁は集団に属することが苦手……いや、嫌いだった。

 だが轟の仕事は集団をあまり意識せず、数々の業務を単独、或いは少人数でこなしていく仕事だったので、

(この仕事なら、なんとかやっていけるかもしれない)

 魁には、そう思えた。


 結局大学卒業後もそのまま轟の助手として働き、数年間経験を積んでから独立したのだが、独立は自分で言い出したのではない。


「いずれは独立させるつもりだったんだ。早い方がいいだろ。

 独立の支援もするし、仕事も回す。分業みてえなもんだ」


 轟からそのような内容の説明を受け、独立することになった。

 支援までしてわざわざ独立させる利点が何なのか。

 むしろ人手が減ってマイナスなのではないか。

 そう思ったが、雇用主から言い出したことに異議を唱えても仕方がないので、従うことにした。


「オメェは勘がいい。便利屋より、探偵の方がいいかもしれねえな」


(小説やドラマのように、殺人事件の推理をするわけでもなし。

 探偵に勘が必要なのか?)


 とも思ったが、否定するほど探偵に詳しくなかったため、それにも従った。


 独立しても仕事内容に大きな変化は無く、独立したことで収入が大幅に増えたくらいのものだった。


 収入が増えた大きな要因として、轟から回されてくる【特殊調査】の報酬が挙げられる。


 【特殊調査】は、それほど難しいものではない。

 大半が、轟の助手の頃からやっていたような内容の、何かを探したり調べたりするようなものだった。

 場所が遠かったり山奥だったりはするが、犯罪行為でもなく、法の隙間をくぐるようなグレーなものですらない。


 ――そんな依頼に、なぜこんな破格の報酬が出るのか疑問に思い、何か裏があるのか轟に聞いてみたことがある。


「オメェには才能があるから、簡単に感じるだけだ。

 才能が無きゃ絶対達成できねえ依頼だから報酬が高え。

 あとな。お前に回してんのは俺が不得意な仕事だから、実際俺も助かってんだ」


 と説明された。

 

 確かに轟は大雑把な、良く言えば大様な人物だ。

 あまり細かいことは気にしない性格なので、探し物などが苦手そうだ、とは思った。

 だが轟から告げられた"才能"が何なのかは未だに不明だし、探し物に必要な才能とは何なのか考えてみても、やはりよくわからないままだった。


◆◆◆


 そうして開業から一年が過ぎた頃。

 つまり去年、彼女と出会った。


 それは、依頼のために訪れた街だった。

 刺すように冷たい雨が降りしきる秋。

 暗い路地裏で、彼女は雨を避けて物陰にうずくまっていた。


 白の被毛は薄汚れていたが、魁に向けられた視線は青い炎のようだった。


 目と目が合った瞬間、もう恋に落ちていた。


 人間と猫。異種族同士であったが、お互い同じ気持ちだと確信していた。



「君を愛してる。一緒に暮らそう」



 想いを込めて声をかけ、屈みこんで手を伸ばすと、

「にゃあ」

 と一声。ためらいもせず左肩へ飛び乗り、愛しいひとに頭を擦り付けた。


 それ以来、左肩が雪乃の定位置になったのだ。


 彼女と出会った日、帰宅後まずは一緒に風呂に入った。

 彼女は水を嫌がる素振りは無く、洗われている間も魁を見つめるだけだった。

 初めは冷静に体を洗っていた魁だったが、薄汚れた彼女の被毛が白く輝き始めるにつれ、心が騒ぎ始めた。


 裏路地で出会った姿ですら、一目で愛してしまったのに。


 濡れた毛並みがすっかり乾き、輝く雪原に蒼い月が瞬いた頃、魁は彼女を抱きしめていた。


「愛してる……雪、乃……」


 それまで名前は考えていなかったが、忘れていた名前を思い出すように、自然に名前を口にした。


 そして、彼女は"雪乃"になった。


 翌日からは共に暮らすための準備を始めた。

 部屋の模様替え。彼女の食糧確保。食器や各種道具の購入。動物病院で健康状態の確認。ワクチン接種……

 詳しくチェックして貰ったところ、永久歯になったばかりの生後半年前後だろうとのことだった。


 避妊手術を勧められたが、雪乃にはありのままの姿でいて欲しかったので、手術は断った。


◆◆◆


 日々は足早に過ぎ、街はいつの間にかクリスマス一色に彩られていた。

 雪乃と過ごすクリスマス。

 愛する女性と過ごすクリスマス。

 初めての経験だ。


「メリークリスマス」


 雪乃は皿に入れた猫用ミルク。

 魁はシャンパン。

 並んでリビングのソファーに腰を下ろし、軽く器をぶつける。


 チキンは生の丸鶏を買って、そのまま焼いた。調味料は雪乃に有害だ。

 ササミや胸肉を解して雪乃に。残りは調味料を振って魁が食べた。

 それだけでは少々物足りないので、フライドポテトも購入しておいた。


 明かりを消し、ペットショップで買った猫用ケーキのキャンドルを灯すと、揺らめく炎が雪乃を照らした。


 少しの間、そのまま雪乃に見とれていた。

 雪乃も、じっと魁を見つめていた。


 はっとして、ケーキからキャンドルを取り除くと、

「にゃー」

 と鳴いてケーキを食べ始める。


 咀嚼《そしゃく》するように口を動かしながら、しきりに舌なめずりを繰り返す雪乃。

 "ちゅーる"を食べた時も同じようにしていたので、気に入ってくれたようだ。


 間もなく完食というところで"マタタビスプレー"を取り出す。

 スプレーに注がれる視線。

 ケーキの残りに何度かスプレーを吹き付ける。

 すかさず、マタタビのかかった残りのケーキも平らげる雪乃。


「にゃ~~~ にゃ~~~~~~ にゃ~~~~~~~~~」


 マタタビが効いたのか、何度も声を上げ始める雪乃。

 寝転がってうねる体は、キャンドルに照らされ、いつにも増して妖艶に映る。


「美味かったか?」


 湧き上がる衝動を抑えて頭や体を撫でていたが――


「にゃあぅんっ……」


 いつもとは違う淫靡《いんび》な鳴き声。


「雪乃……雪乃!」


 もう耐えられない。

 雪乃への衝動を閉じ込めていた扉が強引にこじ開けられる。



 雪乃を抱き上げ、激しい欲望を、優しく叩きつける魁。



 ――床には、吐き出された"欲望"が飛び散った。



 雪乃は荒い息で上下する魁の胸の上で喉を鳴らし、全身を魁の上に投げ出したまま魁の腹に頭を擦り付ける。


 と、雪乃はふわりと立ち上がって、魁を振り返り、

「にゃあ」

 と声上げ、床に降りた。


 そして、放たれた魁の"欲望"へ近付いて匂いを確かめた後、それをぺろりと舐め取った。


「雪乃……」


 魁はその行為を見て雪乃に声をかけるが、それには構わず一心不乱に"欲望"を舐め取り、食べ続ける雪乃。


「雪乃……愛してる」


 献身的にも見える行為に、幾度も囁いた言葉が漏れる。


 その言葉に、床に放たれた"欲望"を綺麗に舐め取った雪乃が応えた。


「にゃあ」


 魁の耳に、雪乃の鳴き声が届く。

 と同時に、人間の言葉も聞こえた。


 驚きを露わに跳ね起きる魁。

 恐る恐る、もう一度雪乃の名前を口にする。


「雪乃……?」


 名を呼ぶと、再び、

「にゃあ?」

 応える声と、言葉が聞こえた。


「雪乃、俺が言ってること、わかるか?」

 少し簡単な言葉で問いかけてみる。


「にゃあ にゃあ……」

 鳴き声と共に、切なげな雪乃の言葉が聞こえる。


 魁の問いかけに答えてはいても、自分の言葉が伝わらないことを、理解しているのだろう。


 魁は、雪乃が言った言葉を復唱した。

「なんとなく わかる……」


 目を伏せていた雪乃が、大きく目を見開き、魁を見つめた。


「にゃあ……にゃあ?」

「ことば……わかるの?」


 再び、魁は雪乃の言葉を復唱する。


 その瞬間、雪乃の大きく見開いていた目が、更に張り裂けそうな程に見開かれた。


 雪乃は両足を伸ばし、前のめりになって魁を見てから、大きく二、三度鳴き声を上げる。


「に、にゃあ! にゃ~あ!!」


 数度の鳴き声から少し間を置き、魁へ飛びかかって体中を擦り付ける雪乃。


「ああ、わかる。脳が溶けるような、かわいい声が聞こえるよ」


「にゃ~あ? にゃにゃにゃにゃにゃ」


「おいおい、そんな声ですきすき連呼されたら、幸せ過ぎて気絶しそうだ」


「にゃあ!」


「俺も嬉しいよ。これからは、色々話せるんだな」


「にゃ~」


「ああ、ずっと一緒だ。愛してる」


 再び顔を擦り付けてから、ぴこりと耳を立て、悪戯な笑みを浮かべながら魁の耳元へ顔を寄せる雪乃。


 そして、精一杯甘えた声で囁いた。


「にゃぁん にゃぁぁん」


 その囁きを聞いた瞬間、魁は仰向けにソファーへ倒れこみ、意識は途切れたのだった。


◆◆◆


 この日を境に、真の意味で、魁と雪乃は意思疎通が可能となった。


 それまでは、普通とは色々違う子だとは思っていたものの、一般的な猫と同じように扱っていた。


 また、様々な危険から守るため、完全に室内で暮らしてもらっていた。


 当初は単語を繋げて話すだけだったのが、徐々に流暢な言葉を発するようになり、人間の行動や心情まで理解できるようになっていった。


 そして数か月経った頃にはもう人間と話しているのと変わらない程になっていた。

 自由に外出できるよう猫用の扉を設けたのは、その頃だった。


 あの日、なぜ突然雪乃の言葉が理解できるようになったのか。


 文献や事例を当たってみたが、怪しげな伝承と、喋っているように聞こえる猫の動画が見つかっただけだった。


 創作の世界ではポピュラーな現象だが、現実では動物の言葉が理解できないからこそ創作で用いられるのだ。


 調べたからといって、何かがわかるはずもない。


 調査の過程で見つけた、喋っている風の猫動画をループ再生して眺めていると、雪乃が無言で見つめてきた。




 魁は、そっとブラウザを閉じた。



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