バルクエ洞穴
バルクエ岬は平坦な地形を呈していた。大陸の最先端に位置するだけあって人気はなく、大都市のような雄渾さもない。景色は潮騒を立てる海が果てしなく広がり、かつて何かが建っていたであろう大地には、砂が入り混じった塵芥を残すばかりである。
「クロード、そっちに一匹いったわ!」
「了解!」
クロードが聖剣で何体目かの魔物を斬り伏せる。
バルクエ岬へ到着した勇者一行の前に立ちはだかったのは、ミノタウロスではなく「スライム」と呼ばれる小型の魔物の大群だった。
「ちっ、キリがないな...!」
襲いかかるスライムを切り捨てながら、エルリックが悪態を吐く。
スライムは体内にある核を壊せば生体機能を停止する。透明な液体状の体から核の位置も把握しやすく、仕組みさえ理解していれば初心者でも討伐可能である。しかし、こうも立て続けに湧いてくると、対応するのも億劫になってくる。
暫くの間、剣と魔法がせめぎ合う。スライムの猛攻が留まる事は無かったが、一匹避けては蹴散らし、また一匹と葬っていく。
やがて、辺り一面に水たまりが広がった頃、クロードが剣を鞘に収めた。
「ふう...ようやく片付いた。皆、怪我はないかい?」
彼がリーダーとして仲間の安否を確認する。
「私は平気よ、クロード」
「こちらも問題ないよ、クロード君」
レイラとエルリックが身の安全を伝える。Eランクの魔物相手に、勇者一行が苦戦する要素はなかった。
そんな時、仲間の回復を担う聖女だけが異を唱えた。
「私は駄目かも...」
「レイソン嬢、どこか怪我でもされたんですか?」
クロードが心配する。聖女はスキルの力で万人を癒やす事が出来るが、あくまでそれは他人にしか作用しない。
その為、彼女が負傷することは、パーティの機能が大きく損なわれる事となる。
「俺がもっと敵視を引き付けていれば、こんなことには...」
クロードが自らの非を責めるも、ミリーが彼へ不満を露わにする。
「本当よ、どうしてくれんのよ!」
「申し訳ありません...」
「お陰で服が汚れちゃったじゃない。せっかくお気に入りのやつだったのに...」
「えっ?」
自慢の一張羅が汚れた事を悔いるミリー。よくよく見ると、彼女の体には傷一つなく、服の袖先が僅かに濡れているだけであった。
「ちょっとミリー様ぁ?紛らわしい発言はやめて下さいね?」
「聖女は常に綺麗でないと教会の品位まで下がってしまうでしょ?身嗜みが大事なのよ」
「戦いの最中に身嗜みを気にしている場合じゃないでしょうに...」
「何よ!あなたなんか年中ローブのくせに!」
「これが一番動きやすいんです!」
思わぬ形で口論するレイラとミリー。服など戦闘に適していれば何でもいいのでは?そう思うクロードだったが、迂闊に首を突っ込むと痛い目に合いそうなので口を閉ざした。
代わりに、ミリーの恋人であるエルリックが仲裁に入る。
「大丈夫さミリー。服ならまた新しいのを買ってあげるよ」
「本当!?エルリック様大好き!」
「ははは、私もだよ」
仲睦まじく抱擁を交わす二人。随分と緊張感のない光景だが、正直助かったと胸を撫で下ろすクロード。改めて、彼女の手綱を握れるのはエルリックしかいないと感じるのだった。
口論が収まったところで、クロードが周囲に視線を向ける。
バルクエ岬は海に面した場所という事もあり、水を好む魔物が集まりやすい傾向にある。スライムの大量発生もそれに伴うものだろう。
特にこの一帯は比較的水嵩も浅く、魔物の水飲み場としてうってつけの環境といえる。この近辺に件のミノタウロスが生息している要因も、これに考えられた。
その事を踏まえて、クロードが気を取り直す。
「皆、ミノタウロスが何処に潜んでいるか分からない。警戒しながら進もう」
リーダーの言葉に仲間が静かに頷く。毎度、この切り替えの早さにはクロードも関心を覚えずにはいられなかった。
勇者一行が岬の周辺を探索していると、やがて平坦な地形から少し斜面に差し掛かった。
足元の漣は勢いを増していき、水嵩も高くなっていく。辺りに霧は出ていないが、空気中には多分な水気が含まれており、湿った風が僅かに居心地を悪くする。気が付くと、岬の最先端まで入り込んでいたようだった。
そんな中、傾斜な地形の突き当りで、クロードが遠くに何かを発見した。
「あれは...洞穴?」
それは一つの巨大な洞穴だった。
一面が石灰岩から成る岩壁には、長径十メートル程の洞口が空いており、奥へと暗闇が繋がっている。
「かなり大きな穴ね」
レイラが月並みな台詞を言いながら呆然とする。
岬の周囲には、同じように空洞のある岩壁が幾つか見られるが、それらは大体長径二、三メートル程のものであって、水流の影響で作られたものだと解る。しかし、この洞穴はそれらと比較にならないほど大きな穴が空いている。作為的なものを感じてならなかった。
「もしかして、ここがミノタウロスの住処なのかしら?」
「間違いないと思う。ほら、入口付近に巨大な足跡が残ってる」
「あ、本当だわ!」
クロードが指を差した地面の砂地には、幅五十センチ以上の足跡がはっきりと残っていた。さらに足跡の周辺には腐った肉片や骨まで散乱しており、少なくとも、ここを巣窟としている魔物がいる事が予想出来た。
「ミノタウロスの場所が特定出来たのは何よりだが、どうする気だい?暗くて何も見えないぞ」
エルリックが至極真っ当な意見を口にする。
「手間が掛かりますが、一度街へ戻って松明を準備して来ましょう」
「ふむ...気が進まないが仕方がないな」
クロードの意見にエルリックが溜息を吐く。洞穴内はかなり見通しが悪く、このまま奥へ進むのは自殺行為であった。
「ええー、また街へ戻るの?私もう、あまり歩きたくないわ」
その場にしゃがみ込みながら、ミリーがくだを巻く。バルクエに着いてからというものの、今日は領主の一件やらでずっと動き詰めであった。普段パーティの後衛として回復や補助を担う彼女からすれば、慣れない運動に疲労を感じても仕方がないと、前衛のクロードはそう思った。
「大丈夫ですよ。俺が急いで準備してきますので、皆はここで休んでいて下さい」
「え、本当!?」
「はい、元々パーティの運営はリーダーの役目ですから。準備不足は俺の責任です」
勇者一行のメンバーは、全員が腰に持ち運び用の収納袋を下げているが、中身は戦いの傷を癒やす「回復ポーション」や、魔力の回復を促す「魔力ポーション」。それから、一人分の飲み水が入っているだけである。
持ち運ぶ量を少なくしているのは、偏に戦いの妨げにならないようにする為であるが、今回のように緊急性を要する場合は対応出来なかったりもする。
──荷物を持ってくれる人でも雇えれば良いのだけども、そうなると常に危険に晒してしまう事になるからな。
いっそのこと、次からは俺が多めに荷物を持った方が良いのかもしれない。
クロードが今後の方針に頭をひねっていると、エルリックがミリーの肩に手を置いた。
「まあ、そういう事なら我々はお言葉に甘えようか。良かったね、ミリー」
「ええ!クロード、あなたの事をほんの少し見直したわ」
露骨に顔色を明るくするミリーに、クロードが苦笑する。ちゃっかり岩に座っている辺り逞しい。
「では直ぐに準備してきますね」
「ええ!なるべくゆっくりお願いね」
すっかり調子を取り戻したミリーが言うと、クロードが来た道を引き返そうとする。
そんなとき、パーティの賢者が待ったを掛けた。
「待ってクロード。その必要はないわよ」
「え?」
全員の視線がレイラへ集まる。彼女はいつもの落ち着いた顔のまま、指先を洞穴の方へ向けると、短く詠唱を始めた。
「天より賜りし光よ、暗闇を照らす道標となれ。──ライト」
レイラの指先から拳大ほどの球体が現れると、それが洞穴内を明るく照らし出した。
「これで照らしながら進めば、松明は必要ないんじゃない?」
目配せをするレイラ。彼女が使ったのは、光属性魔法の一つである「ライト」だった。
ライトとは、火を点ける過程を必要とする松明と違い、比較的短い時間で発動可能かつ、一瞬で視野を確保出来る優れた性能を持つ。その為、今回のように暗い場所では光源として一役買ってくれるのだ。
その一方で、発動中は微量ながらも魔力を消費し続けてしまうので、長時間の探索には向かないのが欠点として挙げられる。
クロードもライトの性能は認識していたが、魔力の消耗を懸念して敢えて避けていた。
「確かにそれなら松明は必要ないけど、魔力の方は大丈夫なのか?」
「私なら平気よ。こう見えても魔力量には自信あるんだから」
レイラが得意げに言う。その姿は日頃から、魔法を研究している彼女ならではの説得力があり、それを間近で見てきたクロードもまた、根拠のある信頼感があった。
「そういう事なら、明かりの確保はレイラに任せようかな。ただ、定期的に魔力ポーションを飲むこと。戦闘中に魔力不足になったら元も子もないからね」
「ええ、勿論よ」
話がまとまったところで、クロードとレイラが仲間の方へ視線を向ける。
「そういうわけですので、早速、洞穴内の探索を開始しましょう」
「う、うむ。余計な手間を省けて何よりさ。はっはっは」
若干頬を引く付かせながら、エルリックが変な笑い声を上げると。
「レイラ、やっぱり貴女に聖女は無理だわ...」
ミリーもまた、重い腰を持ち上げると、回復ポーションの入った瓶の蓋を開けたのだった。
梔子色の灯りが周囲を照らし出す。洞穴内は思った以上に暗く、ライトの灯りでも奥の通路までは見えなかった。
「外からだと分からなかったけど、思った以上に暗いわね...」
目を細めながら、レイラが重々しい口調で告げる。岬の潮が満ちていたのだろうか、岩壁は窪んで風化しており、所々に苔のような緑色が付着している。足許にはざらつく砂が音を立て、湿気も篭ったように強い。
「嫌な場所ね...」
ミリーが全員の気持ちを代弁するかのように言う。洞穴内は妙に静かで、魔物の呻き声一つも聞こえず、入口の通風が不気味に奥へと抜けるばかりである。さっきまで耳障りなほど聞こえていた潮騒も、今は全く気にならなかった。
「慎重に進もう。レイラはそのまま光源の確保に集中、エルリック殿下は最後尾で周囲の警戒を。レイソン嬢はレイラの補助をお願いします」
「了解」
全員が頷く。クロードを先頭として、続いてレイラとミリー、エルリックの順である。洞穴内は次第に間隔が疎らになっていき、幅が不規則な空間となっていく。それに伴うように、足場の砂が陰を潜め始めたので、濡れた地面に足を滑らせないようにしながら、細心の注意を払って進んでいく。
勇者一行が奥へ奥へと慎重に進むこと数分。それは濃すぎる湿気にもようやく慣れ始めてきた頃だった。クロードの足元に重みのある何かが当たる。
「これは...」
足で小突いたのは固い金属片だった。鉄で作られたそれは随所に傷跡が付いており、不格好ながらも人一人分の急所を守るだけの面積を残している。
「プレートアーマーね」
クロードの隣でレイラが言う。プレートアーマーとは、帝国では冒険者や騎士団が好んで着用する防具の一つであった。
「肩当てに入った紋章からして、これは騎士団のものね」
「何だと?それは確かなのか?」
最後尾のエルリックが声を上げながら、地面のプレートアーマーに近づく。レイラが言ったように、肩当ての紋章は現帝国の紋章と一致しており、皇太子の彼が長年見てきたものだった。
「くそ...!我が国の誉れある騎士団がこんな...」
地面を蹴るエルリック。その怒りは騎士団を襲った魔物に対してのものなのか。はたまた、魔物に遅れを取った騎士団に対してのものなのか。それは彼にしか分からなかった。
「エルリック様、大丈夫ですか?」
「...ああ大丈夫さ、少し冷静さを欠いてしまったようだ。済まないねミリー」
普段あまり目にする事のない皇太子の取り乱す姿に、クロードが胸を傷ませていると、鎧を見ているレイラが彼の袖を引いた。
「クロード。これ見て」
「ん?」
レイラが指を差した鎧の断面には、線の太い体毛のようなものが付着していた。色は焦茶色をしており、よくよく注視すると、周辺にも同じものが落ちている。
「まさかこれは、ミノタウロスの?」
「分からないわ。でも可能性は高そうよ。この切り口から想定して、騎士団を襲ったのは尋常でない破壊力を持った魔物だわ」
若干語尾を震えさせながらレイラが告げる。鉄製の鎧は胸当て部分から中途半端に上の部分を残して、真っ二つに両断されていた。しかし、彼女が恐怖を覚えたのはそこだけではなかった。
「それと、肝心の装備者の遺体がどこにも見当たらないのよ。普通なら、人骨の一つでもあって不思議じゃないのに」
低い声で告げるレイラに、クロードが固唾を呑む。
「それはつまり...」
「ええ、岬の潮が満ちた時に流されてしまったのか。それとも......」
そこまで言いかけて、彼女は先の言葉を呑み込んだ。徐ろに立ち上がったクロードが奥の暗闇へ視線を向けると、懐疑的な声で呟く。
「まさか、ミノタウロスは街の食料だけでなく、人そのものを喰っているのか...?」
洞穴内は照らされているにも関わらず、陰は深みを増している気がした。




