勇者一行
クロードが最愛の母を亡くして四年の歳月が流れた現在。今日もレグイット帝国は人々で賑わっていた。商工業が盛んな都会には多くの建物が立ち並んでおり、城下町や港街を中心に人口が集中している。その経済力の発達ぶりは四年の歳月を経て尚も健在である。
そんな喧騒に囲まれた都会の一角。人々で賑わう酒場を抜けた先にある、人気のない場所で剣を振るう青年の姿があった。項まで伸ばした黒髪は、毛先の部分が僅かに赤く変色しており、黒い瞳は夜のように深い。靭やかな腕は重たい聖剣を軽々と振るい、華奢だった体には鍛えられた筋肉がついている。当時は憧れでしかなかった勇者の剣は、いつしか人々へ憧れを与える側へと変わっていた。
「クロード、少し休憩したらどう?」
素振りをする彼の元へ聞き慣れた声が届く。振り返ると、そこには茶髪の小柄な女性がこちらを見つめていた。どうやら、夕食後の日課へ没頭し過ぎてしまっていたようだ。辺りはすっかりと暗くなっている。
「もうこんな時間か。全然気が付かなかったよ」
「クロードってば、目を離すとすぐに悪さをするんだから」
「なんだよそれ。別に悪い事はしていないだろう?」
「鍛錬に夢中になりすぎて、私の事を放ったらかしにしてたのはどこの誰かしら?」
「うっ...悪かったよ。今日はいつもよりも早く素振りをしたい気分だったんだ」
水の入った木製の器を受け取りながら、彼が苦笑をこぼす。
もっとも、内心では悪い気などしておらず、今では大切な恋人である彼女に胸を打たれるばかりであった。
「クロードは直ぐに無茶をするんだから。やっぱり私が見張ってないと駄目ね」
「いつもお世話になっております。お姫様」
膝と腰をやや曲げて、貴族風の挨拶をするクロード。彼の整った容姿と相まって随分と様になっている。
それを見たレイラが微笑む。花が開いたような表情は、鍛錬終わりの彼の心臓をさらに脈動させた。
「冗談よ。クロードはいつも頑張っていて凄いわね、感心しちゃう」
「そんな事はないよ。俺はまだまだ勇者として未熟だし、他の皆の足を引っ張らないようにするので精一杯さ」
首を横に振るうクロード。その慎ましい返答にレイラが口を開く。
「ミリー様が聞いたら『嫌味ったらしい』って言われそうな台詞ね」
「ははは、そうかもね」
想像に難くない姿が思い浮かぶ。
彼等の言うミリーとは、勇者一行で聖女を務めているレイソン伯爵令嬢の事であった。
綺麗な金色の髪と翠色の瞳が特徴的な彼女は見目麗しく、その美貌は多くの異性を虜にして止まないほどである。巷では慈愛の女神と囁かれているが、多少性格に癖があり、高飛車で傲慢な一面も持っていた。
「救世の旅を続けて今日で三年か。何だかあっという間だったな」
近くの石垣に腰を下ろして、クロードが沁み沁みと言う。
「もうそんなになるのね。思い返してみると、色々な事があったわね」
クロードの隣へ腰を下ろすと、レイラが星空を見上げながら感慨深く言う。
いまから三年前──彼等が成人を迎えた年に行われた選定の儀では、四人の英雄の出現が確認された。
勇者と賢者のスキルが覚醒したのは、カカオット村出身のクロードとレイラ。そして聖女と剣聖には、それぞれ貴族出身であるミリー・レイソン伯爵令嬢と、帝国第一皇太子であるエルリック・ルーベルトが覚醒した。
選定の儀を間もなくして国から召集が掛かると、四人の英雄達は皇帝から「勇者一行」として、救世の旅への使命が下された。
救世の旅とはすなわち、帝国各地に蔓延る魔物を討伐して国の安寧を図るという目的である。
レグイット帝国には、魔物討伐を主な生業とする職業に冒険者と呼ばれるものがあるが、勇者一行も名義上はこの冒険者に当てはまる。しかし、通常の冒険者と大きく異なるのは、魔物討伐が”義務化”されているところにあった。基本的に冒険者は依頼を受けることを個人の自由とされているが、勇者一行が国から斡旋される依頼を断る事は許されないのだ。
「レイラや他の皆が居たからこそ、ここまで頑張ってこられたんだ。本当にありがとう」
「クロードったら、まるでもう旅が終わるみたいな口ぶりね」
「何だか感謝の気持ちを伝えたくなってしまってね」
「気が早すぎない?まだ巡っていない諸国が半分以上もあるのよ」
無骨な肩に凭れ掛かりながら、レイラが言う。
彼等はこれまで様々な地域を渡り歩いてきたが、未だ救世の旅の規模は半分程度にしか満たない。ひとえにその理由は帝国領土の広さにあった。
レグイット帝国、スコルピア王国、そして魔王国。この世界で生きる人間ならば、誰もが知っている三大国家である。その中でも帝国は長い歴史を経て、諸国を傘下として領土を拡大してきた。地図で表すのならば、三分の二が帝国の色で染まっていることだろう。
広大な国土を巡る救世の旅は一朝一夕とはいかず、三年が経過した現在でも、巡っていない地域が沢山残されているのだ。
「世界に平和をもたらせるのは、あとどのくらい先になるのかな...」
「さあ、それは分からないわ。でも...私達ならきっと大丈夫よ!」
クロードの肩に顔を預けるレイラが微笑む。その笑顔は、四年前に亡くなった彼の母親を彷彿とさせるもので、蟠る不安が軽くなるのが分かった。
「二人共、こんなところで逢瀬の最中かい?」
外から聞こえる喧騒に紛れて、クロードとレイラの耳に声が届く。そこに立っていたのは、小綺麗な礼装に身を包んだ金髪の青年だった。
「エルリック殿下、お疲れ様です」
直ぐにその場を立ち上がり、頭を下げるクロードとレイラ。その態度はおおよそ仲間に向けるにしては他人行儀であるが、相手の身分を省みれば当然の所作だった。
「やあ、クロード君にレイラ君。酒場の近いこんな場所で話し込んでいたら、物盗りに遭ってしまうかもしれないよ?」
頭を下げる二人を手で制しながら、冗談めかして告げるエルリック。微笑む端正な顔立ちには気品が感じられ、彼が貴族社会のみならず、平民の間からも広く人気があるのを頷かせる一面だった。
「エルリック殿下ったら、相変わらず御冗談がお上手ですね。私達なら物盗りも返り討ちにしてしまいますよ」
「それもそうか。これは失敬」
もはや幾度と目にしてきた光景だが、身分が異なる王族と平民が分け隔てなく会話しているのは不思議なものだ。クロードはそう思った。
それも「勇者一行」という肩書あっての物だが、貴族が中心とされる帝国の流儀に倣うならば、彼の振る舞いは実に寛容な部類に当て嵌まるだろう。
「そうだクロード君。ギルドへ提出する報告書はもう仕上がっているのかい?」
「あ...」
クロードが間の抜けた声を出す。うっかり今日の基準を満たしていないことを忘れていたようだ。
「おいおい、まさか忘れていたのかい?困るよ、君は我が勇者一行のリーダーなんだからね。そんなんじゃ周囲に示しが付かないだろう」
「申し訳ありません...」
頭を下げるクロード。こうして彼が叱られることは珍しくはないが、ここ最近はその機会も増えてきていた。
すかさず、レイラがフォローに入る。
「エルリック殿下、あまりクロードを責めないであげて下さい。日頃から気になっているのですが、彼だけやることが多すぎませんか?」
「仕方がないだろう?これは皇帝陛下による勅令なのだから」
「それはそうですが...」
レイラが口を噤む。勇者一行には救世の旅の使命以外にも、皇帝陛下より個人へ役割が課せられていた。
例えば、リーダーである勇者には、冒険者ギルドへ提出する報告書の作成や帳簿の記入。旅先で扱う物資の補給や宿屋の手配など、パーティ運営を担う義務が生じる。これは救世の旅をより円滑に進める為の措置に他ならない。
ギルドとは「冒険者ギルド」の略称の事で、冒険者が活動する機関の事を指す。名義上は冒険者である勇者一行も例に漏れず、この冒険者ギルドに所属する団体となる。
当初は、平民出身であるクロードが書類仕事に手を付ける事は悪戦苦闘ものだったが、賢者であるレイラの指導の甲斐もあってか、今ではすっかりと知識が身に付いている。
その一方で、勇者一行の賢者には、魔法に関する論文の作成や研究が課せられており、これは帝国の魔法の水準レベルの底上げを目的としたものである。同じように、聖女には教会での礼拝をはじめとした各滞在地での奉仕活動。剣聖でありながら第一皇太子であるエルリックには、帝国へ提出する報告書の作成が義務付けられている。
救世の旅は基本的に中二日かけて行われる為、 依頼を終えたその日のうちに事後処理へ取り掛からなければ、次の区間までは間に合わなくなってしまう。その為、先を見据えた迅速な行動が基本となるのだ。
「クロード君、きみが勇者として良くやっているのは理解しているつもりだが、旅はこれから更に本格化していくんだ。仮にも今の君はこの私の上に立つ人間なのだから、もっと自覚を持ってもらわないと困るよ?」
エルリックの言い方は些か高圧的なものだったが、彼の言い分はもっともであった。
それを理解しているクロードもまた、素直に自分の非を認める。
「本当に申し訳ありませんでした。すぐに報告書の作成に取り掛かります」
「分かれば良いんだよ、君には期待しているんだからね。では私はミリーのところへ戻るから、明日中には報告書の提出を宜しく頼むよ」
クロードの肩に一度手を置くと、エルリックが宿泊先である宿屋の方角へ引き返していく。これから彼と恋仲であるミリーと過ごすのだろう。
「全く何なのあれ。あんな言い方しなくたっていいじゃない」
遠ざかる皇太子の背中を眺めながら、レイラが不満を露わにするが、彼の言い分は全て的を射ていた。
クロードが彼女を宥める。
「いいんだ、レイラ。元々は俺が悪いんだから」
「あんたも少しくらいは怒りなさいよ、いつも言われるがままじゃない。今日だってクロードが魔物の敵視を取ってくれたから、依頼の達成が出来たのに」
頬を膨らませる恋人の姿に、クロードが小さく笑みをこぼす。
こうして自分を思って怒ってくれる人がいる事は、彼の心を軽くした。
「ありがとうレイラ。でも、それとこれとは話が別だよ。それに何処で誰に聞かれているか分からないから、滅多な事は言わないほうがいいね」
「むう...なんだか腑に落ちないわ」
まだ納得がいかない様子のレイラをそっと抱き寄せるクロード。
「レイラが代わりに怒ってくれたから、俺はもう大丈夫だよ」
「そう...?」
頬に優しく口付けを受けて、レイラの頬が朱色に染まる。
その少し照れた表情は、夜間を照らす魔導具の街灯に映えて綺麗なものだった。
「ねえクロード」
「ん?」
「今月もまた村に仕送りしたの?」
「うん、昨日の間にギルドで手続きを済ませてきたよ」
ふと、遠くの方角を眺めながらクロードが言う。
村への仕送りというのは、彼等の生まれ故郷であるカカオット村への援助の事であった。勇者一行に選定されてからというものの、彼は欠かさず報酬金の半分を村へ仕送りしていた。
その援助の甲斐もあって、カカオット村の生活基盤は随分と改善され、最近では外敵である魔物の侵入を防ぐ塀まで建てられていた。
「あんたのそういう優しい所は好きだけども、たまには自分の為に使ってもいいんじゃない?」
何処か不満そうに、されど気遣わしげに見上げるレイラ。
「あ、もしかして何か欲しいものでもあった?それなら...」
「違うわよ。ただ...クロードが無理してないか心配になっただけよ」
レイラが言葉を遮ぎる。その瞳は僅かに揺れていた。そんな彼女の頭を撫でながら、クロードが小さく微笑む。
「大丈夫だよ。元々勇者になりたかったのだって、世界を平和にするって目標もあったけど、それ以上に村への恩返しがしたかったって理由もあるんだからね。今はそれが叶ってきていて凄く充実しているよ」
「もう...クロードってば昔からそう。いつも自分の事より他の人を優先するんだから」
「嫌いになった?」
「好きに決まってるでしょ、バカ」
さらに強めに体が預けられる。頭を優しく撫でると、目を細める姿が愛らしい。
「今日も遅くなりそうだから、レイラは先に休んでいてね」
「何言ってるのよ、私も手伝うに決まってるでしょ」
「でも明日は移動日だし、依頼に支障が出たりしたら大変だろ?」
「なら、せめて私の見えるところで仕事しなさい。しっかり見守っててあげるから」
「仰せのままに。お姫様」
夜空の下で彼等の影が揺れ動く。彼女が居ればどんな苦難も乗り越えられる。
クロードはそう信じて疑わなかった。




