天気で性格が変わる彼~愛はハリケーン~
朝、スマホのアラームよりも早く、私の隣が大きく沈み込んだ。目を覚ますと、カーテンの隙間から眩しい光が差し込んでいる。
「いい天気…」
私は思わず目を細めながらそう呟き、枕元に置いていたスマホを手に取った。彼と付き合ってからずっとお世話になっている、デフォルトで入っているものより精度の高い天気予報アプリを開くと、画面には太陽のマークが並んでいる。
最高気温は28度、降水確率は20%。突発的な雷雨にご注意、だそうだ。
…今日のデートも波乱の予感
「おはよ、琉流美」
背後から、元気いっぱいの声が飛んできた。振り返ると、彼が満面の笑みでこちらに近づいてくる。機嫌はとっても良さそうだ。
「…おはよう、和哉。寝癖すごいよ」
「はは、いいじゃん! 天気いいし、最高の気分だ!」
ぴょんぴょんと跳ねる寝癖のことはどうでも良いらしく、軽い足取りで朝食の準備をし始めた。冷蔵庫から卵を取り出したのを見て、琉流美もベッドからのっそりと立ち上がった。
彼は私の恋人、佐倉和哉だ。そして、私は和哉と付き合い始めてから、毎朝必ず天気予報をチェックする。
なぜなら、和哉は天気によって性格が変わるからだ。
晴れの日は、陽気で社交的で、思い立ったらすぐ行動する。朝から家事をテキパキとこなし、一日を全力で楽しむ。私の気分が乗らなくても、彼のパワーに引きずられるように、自然と笑顔になってしまう。
曇りや雨の日は、ネガティブで憂鬱で、家から一歩も出たがらない。まるで世界が終わったかのように落ち込み、ベッドから出ようとしない。そんな日は私が彼の気分を盛り上げなければならない。
そして雷が鳴ると……
「今日のデートどうする? もう完璧なプランがあるんだけどさ!」
彼の表情は、まさに快晴そのものだ。きらきらと輝く瞳は、これから始まる一日に期待を膨らませている。
「完璧なプラン? まさかまたサプライズとかじゃないよね?」
「いやいや、そんなんじゃないって!最高のカフェ見つけたんだ。そこのパンケーキがマジでやばいらしい。で、そのあとショッピングして、夜は……」
次から次へとアイディアが降ってくるらしく、彼の口は止まらない。晴れの日の和哉は、マシンガンのように言葉を紡ぎ出す。楽しそうで何よりだが、いかんせん私は朝が弱い。
「分かった分かった、とりあえず歯磨いてくる」
私がそう言うと、彼は「はーい!」と元気よく返事をした。彼とは真逆のゆったりとした足取りで洗面所へと向かう。ミント味の歯磨き粉と冷たい水で、ようやく頭が働きだす。
「じゃじゃーん」
「美味しそう!ありがと〜」
焦げ目の綺麗なフレンチトーストが、陽気な彼の掛け声と共に披露された。即席だけれど、バニラビーンズ入りの甘い液がたっぷりと染み込んでいて、とっても美味しい。
朝から家でこんなに美味しい朝食が食べれるなんて、最高の贅沢だ。
「見てみてこれ」
にこにこと和哉がイ◯スタのプロフィールを見せてきた。投稿にはふっくらとしたスフレパンケーキがずらっと上げられている。スクロールしていくと、クロワッサンのサンドイッチやアボガドトーストもあるらしく、オシャレなお店だ。
「いいね」
「でしょ!楽しみだね」
最高のスタートを切った私たちのデートだったが、雲行きは急に怪しくなる。
「…あれ、なんか暗くなってきた?」
フルーツがたっぷり盛られた、目にも鮮やかなパンケーキを食べている途中、和哉が不安そうに窓の外を見つめた。
空はさっきまで快晴だったのに、いつの間にか厚い雲に覆われている。灰色がかった雲は不穏な空気を醸し出す。これは、もしや。
琉流美がフォークから手を離すのと同時に、ピロンとアプリの通知がきた。
「雨雲接近中…」
私の言葉に、和哉は肩を落とした。彼の顔から、さっきまでの快活な表情が消えていく。
「…マジか。せっかくのパンケーキなのに。パンケーキデートは別の日の方が良かったかな……」
晴れの日の彼から、一気に曇りの日の彼へ。彼の性格の切り替わりは、まるでスイッチを入れ替えるように突然で、複数の人と付き合ってるみたいで面白い。一粒で二度美味しいみたいな?
「琉流ちゃんこの後、どうする?ショッピングはやめとく?早めに家に帰ってゆっくりした方がいいかも」
さっきまであんなに「写真通りだ!」とパンケーキにはしゃいでいたのに、全くの別人だ。私にプランを尋ねるが、その表情はすでにやる気を失っている。
パンケーキがまるでベルトコンベアに乗せられたかのように、彼の口へと次々流れ込んでいく。
「ショッピングは屋内だし、雨降っても楽しめるよ。夜はお家で食べない?」
「でも買い物が終わって雨だったらどうするの。傘持ってきてないよ」
「こんなこともあろうかと折り畳み持って来てるよ。帰りは相合傘かもね」
彼のこの変わり様はいつものことなので、今度は琉流美が陽気に返す。パチっとウィンク付きだ。
「分かった」
和哉はそう言ったものの、表情は相変わらず浮かないままだった。彼の口に流れ込んでいくパンケーキの速度はさらに上がり、まるで憂鬱さをかき消そうとしているようだ。
目にも止まらぬ速さで口に運ぶ姿はカ◯ビィを彷彿とさせる。
琉流美はそんな彼を微笑ましく思いながら、ゆっくりと自分のパンケーキを口に運んだ。スミ◯キーみたいで可愛い。
パンケーキを食べ終えた琉流美たちは、予定通りショッピングモールに向かう。幸い、モールまでは雨に降られることなくたどり着くことができた。しかし、和哉の気分は上向きにならない。
「ねぇ、このTシャツ可愛いよね?」
私がポップな柄のTシャツを手に取って押し付けると、和哉は気のない返事をした。
「うん…まぁ、良いんじゃない」
「本当に?嫌じゃない?」
「うん服なんてどうでもいいじゃん…」
彼のネガティブ思考が全開だ。琉流美は「ふふ」と笑いながら、彼の隣で服を選び続けた。こんな時はどんなにヘンテコなものを選んでも、嫌とは言わないから正直面白い。
誰がみてもこれは…となるだろう、奇天烈なデザインの服に対しても「良いんじゃない?」と返ってくるのだ。晴れの日はちゃんと「これは少し顔が負けちゃうよ」って言ってくれるのに。
そして、ショッピングモールを出ると、外は土砂降りの雨だった。
「…最悪だ」
和哉は肩を落とし、私を見つめた。
「琉流ちゃん、ごめん。僕のせいで…」
「大丈夫だよ。ほら、ちゃんと持ってるから」
予想の範囲内だった琉流美はそう言って、カバンから折り畳み傘を取り出し広げた。二人で一つの傘に入る。ラブラブ相合傘である。
「…傘、ありがとう」
「いいえ。あのね雨の日の和哉も嫌いじゃないから。むしろ、こっちの方が可愛いかも」
私がそう言うと、彼は顔を赤らめた。彼の可愛らしい反応に、私は心が温かくなる。
「荷物は私が持つよ」
今彼は傘と、さっき買ったお揃いの靴下のショッパーで手が塞がっている。
「いいよ、琉流ちゃんは濡れないように気をつけて」
「いいの!こういうこともあろうかと+料金でビニール袋に入れてもらったんだから」
琉流美は和哉の手からショッパーを奪い取り、空いた左手に自分の手を重ねた。
「こっちの方がいいでしょ!ね?」
確かに、と深く納得したかのように頷く彼に、琉流美はぴたっと身体をくっつけた。彼女の機嫌は、和哉と全く逆のチャートを描くように、どんどん良くなっていく。
———
「琉流ちゃん、これ」
そういって彼が見せてきたのは、博士と名乗る人からのメッセージだった。
今日は朝から一日中ポツポツと雨が降っていたので、家でまったり休日をエンジョイしていた時のことだった。
「知り合い?」
「ううん、でも少し興味あって」
天候による性格への影響を遮断する装置?を発明したらしく、やってみないかとのことらしい。いかにも胡散臭い。原理を長々と説明しているが本当かどうかは別の話だ。それに、
「私、和哉のコロコロ気分が変わるとこ直してほしいなんて思ったことないよ」
最初はどう接していいか困ったこともあったけれど、そこが彼の魅力でもあるのだ。
「分かってる。でも僕琉流ちゃんのこと振り回してるよね?直せるなら試してみたいかも」
おずおずと顔を窺ってくる様子に、もしかしたら彼はずっと気にしていたのかもしれないと、琉流美は申し訳なく思った。
私は、そこが彼の素敵な部分で面白いと思っていたけど、彼はそうじゃ無かったのかもしれない。
「和哉がそうしたいなら何も言わない」
琉流美がそう言うと、和哉の顔がパッと明るくなった。翌日、二人は胡散臭い博士のラボへと向かった。
ラボは、たくさんの奇妙な機械や装置で埋め尽くされていた。どれも用途がさっぱりだ。案内してくれた博士は興奮した様子で、大きなヘルメットのような装置を差し出した。
「これです!私の最新の発明、メンタル・ウェザー・シールド・ヘルメット!これを被れば、どんな天候でもメンタルは常に穏やかなままですよ!」
和哉は少し躊躇いながらも、ヘルメットを被った。スイッチがオンになると、ヘルメットから怪しい光が放たれる。目がチカチカした。
キュイーンと中で何かが回るような音が次第に弱まっていく。
「どう?何か変わった?」
琉流美が尋ねると、和哉はぼんやりとした表情で頷いた。
「…うーん、なんか、脳みそがマシュマロになったみたい」
博士は「成功です!」とガッツポーズをした。何を根拠にと思ったが、二人が何とも言えない表情の中、博士だけが成功、成功と小躍りしている。
最初から最後まで信用できない人だったと、琉流美は和哉を連れて帰路に着いたが、その日から和哉の性格は天気によって変わることがなくなった。
晴れの日でもはしゃがず、雨の日でも憂鬱にならず、常に穏やかで平和な和哉。
一見すると、理想的な恋人だ。
しかし、琉流美は次第に物足りなさを感じ始める。
雨が降っても、彼はただ「雨だね」と静かに窓の外を眺めているだけ。雲一つない快晴の時も「いい天気だね」と優しく微笑むだけ。感情の上限と下限が決められてしまったかのようだ。
以前のような、コロコロと変わる彼の予測不能な行動はもうない。それは確かに楽かもしれなかったが、どこか寂しかった。
そしてある日、琉流美は堪えきれなくなり、和哉に問いかけた。
「和哉…、本当に、このままでいいの?」
和哉は不思議そうな顔で、彼女を見つめる。
「うん、いいよ。僕、もう琉流ちゃんを振り回さなくなったし、これでいいんだ」
優しい笑顔。しかしそこに以前のような彼特有の感情はない。全てが私のためにとプログラミングされたコマンドをなぞっているような言動には、もう我慢できない。前の彼に戻ってほしい。
琉流美はあんな男の元へ彼を連れて行ったことを後悔した。
「和哉、アメリカ行くわよ」
琉流美がそう告げると、和哉は「アメリカ?」と首を傾げた。彼の表情は依然として穏やかなままだ。
「私があなたを元に戻してみせるわ」
今夜の航空券を予約し、ぼやっとしている彼の手を引いて、猛烈なハリケーンに見舞われているアメリカ行きの飛行機に乗り込んだ。機内は揺れまくり、数少ない他の乗客たちは必死に手すりを掴む。しかし、和哉だけは平然としていた。
「琉流ちゃん、大丈夫?僕はあんまり何も感じないから安心だよ」
彼の言葉に、琉流美は思わず「それが問題なのよ!」と叫びたくなった。
飛行機が荒れ狂う風雨を突き抜け、何とか着陸すると、二人の目の前には信じられない光景が広がっていた。街路樹はまるでマッチ棒のようにへし折られ、車のボディが軽々と宙を舞っている。
耳をつんざくような雷鳴が轟き、空がビカビカと輝く。
日本ではほとんどお目にかかることのないレベルのハリケーンだ。空港内をバタバタと職員たちが行き来する。
「和哉、行くわよ!」
琉流美は彼の腕を掴み、嵐の中へと走り出した。周りからは頭の狂ったカップルだと思われただろう。それでも構わない。琉流美は重くなった扉に全体重をかけた。
風は二人を押し戻そうとし、顔に打ち付ける雨粒はまるで氷の礫のようだ。和哉は、相変わらずぼんやりとした顔で琉流美の手を握っている。
「琉流ちゃん、危険だよ。僕、大丈夫だから、安全な場所に戻ろう」
彼の言葉に、琉流美は思わず立ち止まった。
「大丈夫なわけないでしょ!今、この状況を見て、なんとも思わないの!?」
「ひどい嵐だなって…」
「それだけ!?」
琉流美が叫んだその時、突風が吹いて、どこかの看板が凄まじい勢いで視界に入ってきた。それは真っ直ぐに二人の頭上へ向かってくる。
「っ、和哉!」
琉流美は彼の腕を引いて避けようとしたが、和哉は迫りくる看板をぼんやりと見つめている。
「…あ、看板だ」
その時、琉流美の頭に、以前博士から聞いた説明がよみがえった。
「脳内の感情シールドが、外部からの刺激をすべて遮断します」
このままでは、彼は看板に潰されたとしても何も感じないかもしれない。
琉流美は、叫んだ。
「イヤアアアアァァァァァァァァァァ」
嵐すら切り裂くような金切り声が響き渡る。どれほど悍ましいものを見ればここまでの声が出せるのか。ムンクとは比にならない悲鳴に全米が震撼した。
琉流美、人生最大の叫び声は大切な彼氏のため。元の彼を取り戻すために外聞を捨て去った。
周りに人がいなかったのが不幸中の幸いか。
彼女の愛の絶叫が届いたかのように、彼の脳裏で何かが弾けた。迫りくる看板に、彼は初めて恐怖を感じた。
「…うわっ!死ぬかと思った!!!」
和哉は顔を歪め、目からは涙が溢れ出した。瞳に正気が宿った。
「琉流ちゃん、なんでこんなとこにいるの!僕たち死んじゃうよ!」
その言葉を聞いた瞬間、琉流美は嬉しくて、涙が止まらなかった。
「おかえり…!」
彼女の言葉に、和哉は「おかえりって何だよ!」と叫んだ。彼の声は、怒りと恐怖、そして困惑が混ざり合った、以前と変わらない雷の日の彼の声だった。
「…本当になんで、アメリカに連れてきたの。パンケーキ屋のリベンジ?」
「パンケーキにはとっくに満足してるわ!和哉ずっとマシュマロだったのよ!」
「マシュマロ!?さっきから何の話!?いやいい、とりあえず帰ろう。こんな時にアメリカ来たって何も出来ないよ。旅行はまた別の日にしよう。帰ろう、一刻も早く。」
和哉は彼女の手を掴み、急いでビルの中へと戻っていく。
二人の機嫌は嵐のように不安定だ。しかし、それが二人の愛なのだ。
琉流美は、もう二度と彼の性格を治させないだろう。
なぜなら、彼に振り回されることこそが、彼女にとって最高の幸せなのだから。