第98話 小さな悪魔と悪魔語翻訳薬
「お嬢様、準備はよろしいでしょうか?」
セレーナが心配そうに錬金術道具を確認している。
今日は学院で『悪魔語翻訳薬』の実験をする予定。
昨日のフローラン教授の手紙を読んでから、あの小さな悪魔との意思疎通が急務になったの。
「大丈夫よ。理論上は『言語理解の石』『意思疎通の花』『心の架け橋の水』を組み合わせれば完璧なはず」
私は自信満々に答えた。でも正直、少し不安もある。悪魔語なんて今まで扱ったことないし。
「ふみゅ…?」
ふわりちゃんが肩の上で首をかしげる。彼女も昨日から何だか落ち着かない様子。
「ピューイ」
ハーブはポケットの中で丸くなっている。きっと緊張してるのね。
学院に到着すると、カタリナとエリオットが既に魔物保護施設の前で待っていた。
「おはようございます、ルナさん」
「おはようございますわ。あの悪魔の様子はいかがでしょう?」
カタリナの表情は普段より硬い。きっと昨夜の出来事を聞いているのでだろう。
「実は、朝からずっと施設の結界の近くで『キーキー』鳴いてるんです」
エリオットが困った顔で説明する。
「なるほど。それじゃあ早速『悪魔語翻訳薬』を作って、話を聞いてみましょう」
私たちは魔物保護施設に入った。中にはスライムキングや虹泡スライムたちがいるけれど、みんな施設の奥の方に固まっている。そして結界の近くには—
「キーキー!キーキキー!」
小さな悪魔が必死に何かを訴えるように鳴いていた。昨日よりも焦っているような印象。
「プルルン…」
スライムキングも心配そうに見守っている。
「よし、早速薬を作りましょう」
私は錬金術道具を取り出した。
『言語理解の石』を細かく砕いて、『意思疎通の花』の花びらと混ぜ合わせる。そこに『心の架け橋の水』を注いで—
でも、ちょっと待って。普通の翻訳薬だと、悪魔語には対応できないかもしれない。
もう少し強力な成分を加えた方が良いかも。
「あ、そうだ!『魔界の苔』を少し加えてみよう」
以前、古い魔導書で読んだことがある。
『魔界の苔』は異界の言語を理解するのに効果的だって。
幸い、学院の薬草園に少しだけ栽培されている。
「ルナさん、それは少し危険では?」
エリオットが心配そうに声をかける。
「大丈夫よ。少量だから」
私は『魔界の苔』をほんの少しだけ加えて、魔力を注ぎ込み始めた。
でも、いつもより慎重に、少しずつ…
「あ、でもやっぱり効果を高めるために、もう少し魔力を—」
その瞬間—
ーードッッドッカーーーン!!!
今まで以上に派手な爆発が起こった。今度は黒と紫の煙がもくもくと立ち上がって、なんだか硫黄のような臭いも混じっている。
「きゃー!」
「うわあ!」
「ピューイ!ピューイ!」
煙に巻かれてみんなが咳き込む中、私は手を振って煙を払った。
「だ、大丈夫よ〜!これも成功の証拠なの!」
煙が晴れると、鍋の中には不思議な黒紫色の液体ができていた。表面には小さな稲妻のような光がちらちらと踊っている。
「お嬢様…今度の爆発、いつもより硫黄臭いです…」
セレーナが顔をしかめながら窓を開けている。虹色の髪が煙でちょっと色あせて見える。
「確かに、これは今まで見たことのない色ですわね」
カタリナも恐る恐る薬を覗き込んでいる。
そして肝心の悪魔は—
「キー…キー…?」
煙を吸い込んで、きょろきょろと周りを見回している。まるで何かが変わったような表情。
「よし、早速試してみましょう」
私は完成した『超強力悪魔語翻訳薬』を小さなスプレー容器に入れて、悪魔に向かって一吹き。
「キー…あ、あれ?」
「わあ!しゃべった!」
悪魔が驚いた表情で自分の口を押さえる。
「え?僕の声が…人間の言葉で聞こえる?」
「成功よ!『超強力悪魔語翻訳薬』の効果ね!」
私は嬉しくて跳び跳ねた。
「すごいですわ、ルナさん!」
カタリナも拍手してくれる。
「えっと…あの…」
小さな悪魔が恐る恐る話しかけてくる。
「こんにちは。私はルナよ。あなたのお名前は?」
「僕は…僕はデビィ。小悪魔のデビィだ」
なんて可愛い名前!でも表情はとても深刻。
「デビィ君、昨夜から結界の近くで何かを探していたそうですが?」
エリオットが優しく尋ねる。
「実は…実は大変なことになってるんだ!」
デビィの表情が一気に青ざめる。
「僕がこっちの世界に来た時、魔界と人間界を繋ぐ扉の鍵を落としちゃったんだ!」
「鍵?」
「そう!その鍵がないと、扉が完全に閉じられないんだ。そうすると…」
デビィが震え声で続ける。
「魔界の大悪魔たちがこっちの世界に来てしまうかもしれない!」
「えええ!?」
これは大変なことになった。
「プルルルン!?」
スライムキングも慌てている。
「それで僕は必死に鍵を探してたんだ。でも全然見つからなくて…」
デビィが今にも泣きそうな表情になる。
「大丈夫よ、デビィ君。一緒に探しましょう」
「本当?」
「もちろんですわ。みんなで協力すれば、きっと見つかりますもの」
カタリナも微笑みかける。
「ありがとう…でも、実はもう一つ問題があるんだ」
デビィが申し訳なさそうに小さくなる。
「その鍵、普通の人には見えないんだ。魔界の物だから、特別な薬か魔法じゃないと…」
「なるほど!それなら『魔界探知薬』を作ればいいのね!」
私の中で新しい実験への興奮が湧き上がる。
「ルナさん…」
エリオットが不安そうな顔をする。
「大丈夫よ。『魔界感知の石』『異界探査の花』『次元透視の水』を組み合わせれば…」
「お嬢様、今度こそ慎重にお願いします」
セレーナが必死に止めようとするけれど、もう実験欲が止まらない。
「ふみゅ…ふみゅみゅ…」
ふわりちゃんも心配そう。でも、みんなを守るためには必要な実験よ。
その時、魔物保護施設の結界が微かに震えた。
「あ…始まってる…」
デビィが青ざめる。
「何が?」
「魔界との繋がりが強くなってきてる。このままじゃ本当に大悪魔が来てしまう!」
結界がまた震える。今度はもっと強く。
「急いで薬を作りましょう!」
私は慌てて材料を取り出した。でも、こんなに焦って実験して大丈夫かしら?
「落ち着いて、ルナさん」
エリオットが肩に手を置いてくれる。
「そうですわ。慌てては良い薬はできませんもの」
カタリナも励ましてくれる。
「うん、そうね」
深呼吸をして、丁寧に材料を調合し始める。
『魔界感知の石』を砕いて、『異界探査の花』の花びらと混ぜて…
でも、結界の震えがだんだん強くなってくる。急がなきゃ。
「えいっ!」
少し多めの魔力を注ぎ込んだ瞬間—
ーーーバァァァン!!
またもや大爆発。今度は金色と黒色の煙がもくもくと。
「今度は何の匂いですの?」
「硫黄と…薔薇?」
変な組み合わせの香りが漂う中、薬が完成した。
「よし!『超特急魔界探知薬』の完成よ!」
私は薬を施設内にスプレーした途端—
「あ!光ってる!」
施設の隅っこで、小さな鍵のような物が金色に光っている。
「あった!僕の鍵だ!」
デビィが嬉しそうに飛んでいく。
でも、鍵を取った瞬間、結界がものすごく激しく震え始めた。
「うわわわ!もう間に合わない!大悪魔が来る!」
デビィが慌てふためく。
その時、結界に大きな亀裂が入って—
「グオオオオ…」
低い唸り声が聞こえてきた。
これはまずい。本当に大悪魔が現れそう。
でも、ここで私が諦めるわけにはいかない。みんなを守らなきゃ!
「デビィ君、その鍵でどうやって扉を閉じるの?」
「ライトダンジョンの魔法陣の中央に鍵をさして、魔界語で封印の呪文を唱えるんだ!」
「分かった!急いでライトダンジョンへ!」