第95話 氷雪の国境線と温もりの錬金術
「お嬢様、緊急事態です!」
セレーナが慌てた様子で私の実験室に飛び込んできた。
手には王室からの緊急召集令状が握られている。
「どうしたの、セレーナ?」
私は『保温薬』の調合を一時中断して振り返った。
今日はとても寒いから、屋敷の暖房効果を高める薬を作っていたところよ。
「北の国境で敵国軍が動いているそうです。王国軍の補給支援として、錬金術師の派遣要請が来ました」
「えええ?戦争?」
私が驚いていると、兄も慌てた様子で現れた。
「ルナ、すぐに支度をしろ。私も一緒に国境へ向かう。アルケミ伯爵家の代表として、王国を支えなければならない」
「でも兄さん、私なんかが戦争の役に立つの?」
「錬金術は戦争でも重要な技術だ。特に冬の国境戦では、寒さ対策や補給物資の保存が勝敗を左右する」
そうこうしているうちに、カタリナとエリオットも駆けつけてきた。
「ルナさん、私たちも一緒に参ります」
「カタリナ!でも危険よ」
「お友達を一人で行かせるわけにはいきませんわ。それに、ローゼン侯爵家も王国軍への支援を約束しております」
エリオットも頷く。
「シルバーブルーム工房の技術も必要とされているはずです。古代の防寒技術の知識が役立つかもしれません」
こうして急遽、私たちは北の国境へ向かうことになった。
馬車で二日かけて到着した国境地帯は、想像以上に厳しい環境だった。
雪が絶え間なく降り続き、風は骨まで凍らせるような冷たさ。
「さ、寒い…」
「ピューイピューイ…」
ハーブがポケットの中で震えている。
「ふみゅ〜…」
ふわりちゃんも普段より小さく縮こまっている。
「皆さん、こちらへどうぞ」
国境砦の司令官、グランヴィル将軍が私たちを迎えてくれた。
厳格そうな顔つきだけれど、目には安堵の色が浮かんでいる。
「錬金術師の皆さんには、まず兵士たちの寒さ対策をお願いしたい。このままでは、戦う前に凍死してしまう者が出てしまう」
確かに、砦の中の兵士たちはみんな震えながら薄い毛布にくるまっている。
暖炉はあるけれど、薪が不足しているみたい。
「分かりました!すぐに『大型保温薬』を作ります」
私は持参した錬金術道具を砦の一角に設置し始めた。
「ルナさん、材料は足りますの?」
カタリナが心配そうに尋ねる。
「うーん、『暖炎の石』が足りないわね。でも大丈夫! 代用品を作ればいいのよ」
私は空間収納ポケットから『普通の石』と『火の粉』を取り出した。
「普通の石に火の粉をしみ込ませて、魔力をたっぷり注げば…」
ぐつぐつと煮立つ鍋の中で、石がオレンジ色に光り始めた。
「おお、成功ですわね」
でも次の瞬間—
ーーーボボボーン!
予想以上の大爆発が起こって、砦の壁に大きな穴が開いてしまった。
「きゃあ!」
「ルナさん!」
煙が晴れると、なぜか砦全体がぽかぽかと暖かくなっていた。
「あ、あれ?暖かくなってる」
「本当ですわ。まるで春のような暖かさ」
エリオットが感心したように呟く。
「どうやら爆発の衝撃で、『暖炎の石』の効果が砦全体に広がったようですね」
兵士たちも毛布を脱いで、驚いた表情を浮かべている。
「これは素晴らしい!兵士たちの士気が一気に上がりましたぞ」
グランヴィル将軍が感激している。
でも喜んでいる場合じゃなかった。
「将軍!敵軍が氷の峡谷を越えて接近しています!」
斥候兵が慌てて報告に来た。
「何だと?あの峡谷は人が通れるはずが…」
「敵は氷魔法を使って、峡谷に氷の橋を架けたようです」
これは大変!予想より早く敵がやってくる。
「ルナさん、何か敵の侵攻を遅らせる方法はありませんか?」
「うーん…そうだ!『融解薬』を作って氷の橋を溶かしちゃえばいいのよ」
私は急いで新しい調合を始めた。『熱の結晶』『溶解の水』『拡散の風』を混ぜ合わせて…
「でも、どうやって峡谷まで運ぶんですの?」
カタリナが実用的な問題を指摘する。
「任せて!『飛翔薬』と組み合わせれば、薬が自分で飛んでいくわ」
調合が完成すると、薬の入った瓶が空中にふわりと浮き上がった。
「峡谷の氷の橋に向かって、お行き!」
瓶は窓から飛び出していく。しばらくすると、遠くから大きな水音が聞こえてきた。
「やった!氷の橋が溶けたみたい」
でも安心するのは早かった。
「将軍!敵軍が別のルートから迂回してきます。雪山の尾根伝いに!」
「なんと、そんな険しい道を…」
敵もなかなかしつこいわね。
「今度は『雪崩薬』よ!」
私は次の調合に取りかかった。『震動の粉』『雪の結晶』『重力の石』を組み合わせて…
「ルナさん、雪崩なんて起こして大丈夫なんですか?」
エリオットが心配そうに言う。
「計算通りにやれば、敵軍の進路だけを塞げるはず」
でも実際に『雪崩薬』を山に向かって投げてみると—
ゴゴゴゴゴ!
予想以上に大規模な雪崩が発生して、敵軍どころか周辺の山全体が雪で埋まってしまった。
「え、ええええ?」
「ルナさん、ちょっとやりすぎでは…」
遠くから敵兵の「撤退〜!」という叫び声が聞こえてくる。どうやら完全に戦意を失ったみたい。
「とりあえず成功…よね?」
グランヴィル将軍が呆然としている。
「こ、これほどまでとは…一人の錬金術師が戦況を一変させるとは」
「でも結果的に敵軍を退却させることができましたわね」
カタリナがほっとした表情を浮かべる。
その後、砦では私たちを英雄扱いする盛大な宴会が開かれた。
「ルナ・アルケミ嬢に乾杯!」
「乾杯!」
兵士たちが声を揃える。
でも私としては、もう少し計画的に行きたかったのよね。
「お嬢様、今回は比較的被害が少なくて何よりでした」
セレーナが安堵の表情で言う。
「失礼ね、被害だなんて。山が少し形を変えただけよ」
「少し…ですか」
翌日、王都に戻る途中で振り返ると、雪崩で山の形が完全に変わっていた。
「まあ、自然の造形美ということで」
兄が苦笑いを浮かべている。
「それにしても、ルナの錬金術は戦場でも威力を発揮するものだな」
「でも今度は、もう少し制御可能な薬を研究したいわ」
「ピューイ…」
ハーブが疲れたような声で鳴く。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも同感みたい。
でも、緊急時には錬金術師も国を守る戦力になるのね。いい勉強になったわ。
家に着くと、王室から感謝状が届いていた。
「『国境防衛貢献賞』ですって。やったわ!」
「おめでとうございます、お嬢様」
でも一つ心配なことが。あの『雪崩薬』、まだレシピを記録してないのよね。
もし同じことがもう一度起こったら…
「まあ、きっと大丈夫よ」
そう言いながら、念のため『山岳復旧薬』のレシピを考え始めた私だった。