第89話 泡立つ謎と虹色の真実
「お嬢様、今度はまた何を爆発させるおつもりですか…」
セレーナが実験室の扉を恐る恐る開けながら、既に覚悟を決めた表情を浮かべている。
虹色に染まった髪が朝日にキラキラと輝いているのは、先週の『虹色治癒の雫』の実験の名残だ。
「爆発なんてしないわよ!今日は『魔物感知薬』を作るの。冒険者ギルドから依頼が来てるのよ」
私は実験台の上に材料を並べながら説明する。
『風の草』『感知の石』『透明な水』—どれも穏やかな材料のはずなのに、なぜかセレーナの表情は晴れない。
「その『爆発しない』という言葉を、一体何回聞いたことやら…」
ハロルドが白髪を整えながら入ってくる。
眼鏡の奥の目が既に疲れ切っているのは、長年の経験によるものだろう。
「失礼ね、ハロルド!今度こそ本当に安全な実験よ」
肩の上のふわりちゃんが「ふみゅ〜♪」と賛成してくれる。ポケットの中ではハーブが「ピューイ」と元気よく鳴いている。
「…はい、そうですね」
ハロルドの返事には、明らかに信頼が込められていない。
まず『風の草』を魔力を込めた火で煮詰めていく。薬液がふわりとした緑色に変化すると、さわやかな風のような香りが立ち上った。
「いい感じ!次は『感知の石』を粉末にして…」
石をすり鉢で細かく砕いていると、薬液がぐつぐつと泡立ち始めた。
「あら、予想以上に反応が…」
そこに『透明な水』を一滴垂らした瞬間—
「あ、これ、もしかして—」
シュワワワワー!
今度は爆発ではなく、実験室が虹色の泡でいっぱいになった。天井まで届くほどの泡の柱が立ち上がり、部屋中がまるでお風呂場のようになる。
「きゃああああ!」
セレーナの悲鳴が泡に包まれて響く。
「…またでございますね」
ハロルドの呆れた声が、もはや達観の域に達している。
泡が少しずつ消えていくと、セレーナの虹色の髪に無数の小さな泡が付いて、まるで宝石のように輝いていた。ハロルドの燕尾服も泡まみれで、普段の威厳がどこかコミカルに見える。
「ピューイピューイ!」
ハーブがポケットの中で大興奮している。泡遊びが楽しいのね。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんは肩の上で少し困ったように鳴いているけれど、小さな翼に付いた泡がキラキラ光って、より一層可愛らしい。
「あー、ごめんなさい!でも見て、大成功よ!」
私は床に転がった薬瓶を指差した。中の液体が淡い青色に変化し、まだぷくぷくと小さな泡を出し続けている。
「これは…泡を作る薬になってしまったのでは?」
ハロルドが眉をひそめながら薬瓶を観察する。
「でも、この泡から不思議な魔力を感じます」
セレーナが髪に付いた泡を払いながら言う。確かに、ただの泡にしては妙に存在感がある。
その時、屋敷の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「お嬢様、お客様です!冒険者ギルドのギルドマスターがお見えになっています!」
マリアの声が廊下に響く。あ、そうそう、今日はTri-Orderとしての依頼の日だった。
「大変!急いで身支度を整えなくちゃ」
でも泡だらけの実験室を見回すと、セレーナもハロルドも泡まみれ。これじゃあとても人前に出られない。
「お嬢様、とりあえず『浄化の薬』を…」
「あ、そうね!」
私は慌てて『清浄の葉』と『浄化の水』を混ぜ合わせた。今度は爆発も泡立ちもせず、透明な液体ができあがる。それをみんなにかけると、泡がきれいに消えた。
「よし、準備完了!行きましょう」
応接室では、ギルドマスターが丁寧にお辞儀をして待っていた。
「ルナお嬢様、本日はお忙しい中ありがとうございます」
「こちらこそ。それで、今回の依頼は?」
「はい。王都近郊の『泡の森』で目撃されている『虹泡スライム』の生態調査でございます」
「虹泡スライム?」
私は目を輝かせた。さっき偶然にも泡の実験をしたばかり。これは運命的な出会いかもしれない!
「通常のスライムと違い、体から虹色の泡を出すことで知られております。しかし住民の方々が、その泡を見ると何となく不安になるとのことで…」
ギルドマスターが地図を広げながら詳しく説明してくれる。
「承りました。すぐにカタリナとエリオットに連絡いたします」
一時間後、王立魔法学院でカタリナとエリオットと合流した。
「ルナさん、今日はどのような調査になりますの?」
カタリナが縦ロールを揺らしながら優雅に尋ねる。
「虹泡スライムの生態調査よ。実は今朝、偶然にも泡の実験をしてたのよ」
「偶然…ですか」
エリオットが少し疑わしそうな表情を浮かべる。
「本当よ!ほら、これ」
私は今朝作った『魔物感知薬』を取り出した。まだぷくぷくと小さな泡を出している。
泡の森は王都から馬車で一時間ほどの場所にあった。森の中に入ると、本当に虹色の泡がふわふわと漂っている。
「まあ、美しいですわね」
カタリナが感嘆の声を上げる。
「興味深いですね。魔力の流れが可視化されているような…」
エリオットが銀の剣で泡を軽く突いてみる。泡は弾けることなく、剣先を包み込むように変形した。
「あ、いた!」
小さな池のほとりで、虹色に輝くスライムが泡を出し続けているのを発見した。
「可愛い〜!」
私が近づこうとすると、スライムは警戒するように後ずさりする。
「プルルル〜?」
「大丈夫よ、友達になりたいの」
魔物との意思疎通能力を使って語りかけると、しばらくしてスライムの心の声が聞こえてきた。
『人間…怖い…みんな泡を見て逃げる…』
「どうして泡を作るの?」
『寂しいから…昔の楽しい記憶を泡にして飛ばしてる…でも悲しい記憶も混じっちゃう…』
なるほど、このスライムは孤独で、楽しい記憶と悲しい記憶が混ざった泡を作っているのね。それで住民の方々が不安になるのかしら。
私は空間収納ポケットから『友情促進薬』の材料を取り出した。
『絆の草』『信頼の石』『温かい水』を使って、心を開きやすくする薬を調合する。
薬が完成すると、部屋中に温かい陽だまりのような香りが広がった。
「これを少し飲んでみて。きっと心が軽くなるから」
スライムが恐る恐る薬を舐めると、体の色が明るい虹色に変化した
『あ…心が軽い…温かい…』
スライムの表情が明るくなる。
「素晴らしいですわ、ルナさん」
カタリナが微笑む。
「スライムちゃん、学院に来ない?スライムキングたちと友達になれるわよ」
『本当?友達ができる?』
「もちろんよ!」
私たちは虹泡スライムと一緒に王都へ戻った。途中、スライムの新しい泡に包まれた私たちを見た住民の方々が、今度は笑顔で手を振ってくれた。
冒険者ギルドでの報告も無事終了。
「素晴らしい調査結果でした。住民の方々も安心されるでしょう」
屋敷に帰ると、セレーナが心配そうに迎えてくれた。
「お疲れ様でした、お嬢様。今日は爆発がなくて何よりです」
「そうね、今度は泡だけだったもの」
「…泡『だけ』とおっしゃいますが、朝の実験室は大変なことになっていましたよ」
ハロルドが疲れたような笑みを浮かべる。
「でも結果オーライよ!爆発しなかったんだもの」
「ピューイ♪」
ハーブも嬉しそうに鳴いている。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんも満足そうだ。
虹泡スライムは現在、学院の魔物保護施設でスライムキングたちと楽しく暮らしている。その美しい癒やしの泡は、今では学院の名物の一つになった。
そして私は、また新しい実験のアイデアを思いついていた。感情と泡の関係…きっと面白いものができそう!
「次はもう少し穏やかな実験にしませんか?」
セレーナが心配そうに言う。
「うーん、今度は『心の泡薬』なんてどうかしら?」
「それも絶対に大変なことになりそうです…」