第85話 踊るツタと混乱の植物学
私、ルナ・アルケミはいま、冒険者ギルドで、目の前の依頼書を見つめている。
「踊るツタの生態調査……ですか?」
ギルドマスターが丁寧にお辞儀をしながら答えた。
「はい、ルナお嬢様。王都近郊の古い遺跡で発見されまして。そのツタ、音楽を聞くと踊るように動くのですが、人間に害を与えるのか、それとも友好的なのかが判明しておりません。Tri-Orderの皆様でしたら安全に調査していただけるかと」
カタリナが優雅に髪をかき上げる。
「興味深いですわね。植物系の魔物は魔法との親和性が高いものが多いですし」
エリオットも眼鏡を光らせて「古代遺跡に自生している植物なら、何らかの古代技術の影響を受けている可能性もありますね」
私は思わず目を輝かせた。「よし!早速調査に行きましょう!」
「ふみゅ〜」と肩の上のふわりちゃんも賛成してくれて、ポケットの中で「ピューイ」とハーブも鳴く。
王都から馬車で二時間ほどの場所にある古い神殿跡。
石造りの柱が苔むして立っているその中央に、確かに変わったツタが生えていた。
「あ、本当に踊ってる……」
そのツタは風もないのにゆらゆらと体を揺らし、まるで音楽に合わせているようにリズミカルに動いている。
長さは大人の背丈ほどで、葉っぱは深い緑色に銀色の筋が入っていて美しい。
「まずは安全確認ですわね」カタリナが杖を構えながら、記録用のノートも準備する。
「『探知の魔法』」
淡い光がツタを包むと、カタリナが首をかしげた。
「敵意はありませんけれど……なんだか、寂しそうな感じがしますわ」
「寂しそう?」私は目を閉じて集中した。魔物との意思疎通は私の生まれ持った能力だ。
すると、ツタからぼんやりとした想いが伝わってきた。
『……ひとりぼっち……音楽が聞きたい……一緒に踊りたい……』
「あ!このツタ、一緒に踊ってくれる人を探してるみたい!」
エリオットがメモを取りながら言った。
「なるほど、それで音楽に反応するんですね。でも、どうして踊るんでしょう?」
私は興味深そうにツタに近づく。するとツタがぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねた。
『一緒に踊る?踊る?』
「踊りたいなら、踊りましょう!」
「ちょっと待って、ルナさん!」カタリナが慌てて止める。「まだ安全かどうか分からないのに……」
でももう遅かった。私がツタの前で手をくるくる回すと、ツタも嬉しそうにくるくる回り始めた。
「わあ!楽しい!」
『楽しい!楽しい!もっと踊ろう!』
ツタの興奮が高まると、周りの地面から『ぼこぼこぼこ』という音がして……
「きゃあああああ!」
地面から無数のツタがにょきにょき生えてきた!
それらも一斉に踊り始めて、遺跡全体がツタだらけになってしまった。
「ルナさん、何をしたんですの!?」カタリナがペンを握ったまま叫ぶ。
「え、えーっと、踊っただけなんですけど……」
エリオットが冷静に観察している。
「どうやら、このツタは群生植物のようですね。一匹が興奮すると、根を通じて仲間を呼び出すんでしょう」
『みんな〜!踊る人が来たよ〜!』
『わーい!久しぶりの踊り!』
『一緒に踊ろう踊ろう!』
ツタたちの楽しそうな声が聞こえる中、私たちは完全にツタに囲まれてしまった。
しかもツタたちは私たちを巻き込んで踊ろうとしている。
「これは……研究どころじゃありませんわね」カタリナが苦笑いを浮かべる。
「でも楽しそうじゃない!」私は手を上げて一緒に踊り始めた。
「せっかくだし、調査も兼ねて踊りましょう!」
「ふみゅ〜♪」ふわりちゃんも楽しそうに翼をぱたぱた。
結局、私たちは三時間もツタたちと踊り続けることになった。
途中でカタリナの『花咲の魔法』で光の花びらを舞わせると、ツタたちは大喜びして更に激しく踊った。エリオットは踊りながらも律儀にメモを取っている。
「分かった!」私は踊りながら叫んだ。
「このツタたちは、古代神殿で行われていた祭りの記憶を受け継いでいるのよ!だから音楽と踊りが大好きなのよ!」
『そうそう!昔はいっぱい人が来て、一緒に踊ったの!』
『でも最近は誰も来なくて寂しかった〜』
『またいつでも来てね〜!』
ツタたちの声を聞いて、私は思いついた。
「そうだ!学院の音楽祭に参加してもらいましょう!」
「それは素晴らしいアイデアですわね!」カタリナが目を輝かせる。
エリオットも頷く。
「古代の踊りを現代に伝える貴重な文化的価値もありますね」
屋敷に戻って報告書をまとめているとき、思わぬハプニングが起きた。
「お嬢様、髪に草が……」セレーナが困ったような顔で私の髪を整えてくれる。
「あ、ツタの葉っぱだね」私が髪から葉っぱを取ると、それがぴょんと跳ねて机の上で踊り始めた。
「きゃー!お嬢様の髪が踊ってます!」セレーナが慌てる。
「大丈夫よ、セレーナ。ただちょっと踊りたいだけだから」
でも、その葉っぱから『ぽん』という小さな音がして、紫色の煙がもくもくと立ち上った。
「あ、また実験の予兆ね」私は慣れた様子で煙を眺める。
「どうやら踊るツタの葉っぱには、踊りたい気持ちを増幅させる成分が含まれているみたい」
「それって……」セレーナが青ざめる。
案の定、煙を吸い込んだ私たちは皆、踊りたくてたまらなくなってしまった。
「セレーナ〜、一緒に踊ろう〜」
「お、お嬢様、落ち着いてください!」
部屋の中で私とセレーナがくるくる回っていると、カタリナとエリオットが訪ねてきた。
「ルナさん、何が……あら、なんだか踊りたくなってきましたわ」
「これは興味深い現象ですね。ちょっと踊りながら分析を……」
結局、全員で一時間ほど踊り続けることになった。
ふわりちゃんだけは「ふみゅ〜?」と首をかしげながら、私の頭の上で優雅に回っていた。
翌日、ようやく効果が切れた私たちは、正式な調査報告書をギルドマスターに提出した。
カタリナがきれいにまとめてくれた記録を元に説明する。
「踊るツタは友好的な植物系魔物で、人間との交流を求めています。古代神殿の祭りの記憶を受け継いでおり、音楽と踊りを愛する性質があります。また、その葉には踊りたい気持ちを増幅させる成分が含まれており、適量であれば娯楽や治療に活用できる可能性があります」
「なるほど、素晴らしい成果ですね」ギルドマスターが感心して頷く。
「それで、実用化の見込みはいかがでしょうか?」
「学院の音楽祭での共演が決まっていますわ」カタリナが優雅に答える。
「また、踊りたい気持ちを増幅させる効果を利用して、運動不足解消の薬としても研究を進める予定ですの」
エリオットも付け加えた。
「古代の踊りを現代に蘇らせる文化的意義も大きいと思います」
「素晴らしい成果ですね!」ギルドマスターが丁寧に手を叩く。「では次の依頼も……」
「ちょっと待ってください」私は慌てて手を振る。「今日はもう踊りたくないです。筋肉痛で……」
「ふみゅ〜」ふわりちゃんも同感らしく、小さくため息をついた。
こうして、Tri-Orderの踊るツタ調査は無事完了した。
でも、報告書を書いている間もまだ足がリズムを刻んでしまうのは、きっとツタの葉っぱの影響が残っているからに違いない。
次の調査では、もうちょっと落ち着いた魔物がいいなあ……なんて思いながら、私は机の上でまだ踊っている葉っぱを眺めていた。
この子も学院の温室で大切に育ててあげよう。
きっと音楽の授業で生徒たちを楽しませてくれるはずだ。
ふわりちゃんは相変わらず肩の上で「ふみゅ〜」と首をかしげているし、ポケットの中でハーブも「ピューイ」と鳴いている。みんなで次はどんな魔物に出会えるか楽しみだ。
「お嬢様、また何か企んでらっしゃいますね」セレーナがため息をつく。
「企んでないよ、セレーナ。ただ、新しい可能性を探求しているだけ」
私はにっこりと笑って、次の実験に思いを馳せた。
踊るツタの葉っぱを使った『踊りたくなる薬』、きっと面白いものができそうだ。