第73話 貴族令嬢の選択
ギルドマスターからの提案を受けてから三日が経った。
私は書斎で『魔物生態調査』について調べた資料を前に、深いため息をついていた。
「ふみゅ?」
肩の上にいるふわりちゃんが心配そうに私を見る。
「ピューイ?」
膝の上のハーブも首をかしげている。
「二匹とも、ありがとう。でも、これは私が決めなければいけないことなの」
貴族令嬢としての責任と、学生としての本分、そして自分のやりたいことの間で揺れ動いている。
前世の知識では、こういう時は信頼できる人に相談するのが一番よね。
まずは身近な人から相談してみよう。
「兄さん、少しお時間をいただけませんか?」
夕食後、私は兄の部屋を訪ねた。
兄さんは王都代表領地大使として忙しい毎日を送っているけれど、家族のことは必ず時間を作ってくれる。
「もちろんだ、ルナ。どうした?」
兄さんが執務机から顔を上げて、温かい笑顔を向けてくれた。
「実は、カタリナとエリオットと一緒に、冒険者ギルドのギルドマスターからこんな提案を受けたんです」
私は経緯を詳しく説明した。
青鱗リザードの件での私の魔物との意思疎通能力、そして魔物生態調査の専門チームとしての活動の提案まで。
「ほう…魔物生態調査の専門チームか」
兄さんが真剣な表情になった。
「ルナたち三人の能力は確かに貴重だ。しかも、アルケミ家、ローゼン侯爵家、シルバーブルーム男爵家の三家が協力するとなると、これは単なる冒険者活動ではなく、貴族としての社会貢献の側面も持つことになる」
「社会貢献、ですか?」
「そうだ。魔物の生態を正しく理解することは、王都の治安維持や交易路の安全確保に直結する。これは立派な公共事業だ」
兄さんが立ち上がって窓辺に向かう。
「ただし、ルナたちは学生だ。学業が第一であることを忘れてはいけない」
「はい」
「それに、三家とも名門だ。ルナたちの行動は各家の名誉に関わってくる。品格を保ちながら活動することが求められる」
兄さんの指摘はもっともだった。
「しかし」
兄さんが振り返って、誇らしげな笑顔を浮かべた。
「ルナの錬金術の才能と魔物との意思疎通能力、カタリナ嬢の魔法技術、エリオット君の古代技術への理解。この組み合わせは素晴らしい。きっと王国にとって価値ある研究成果をもたらすだろう」
「兄さん…」
「条件付きでなら、私は心から応援する。学院での成績を最優先すること、危険な調査は避けること、そして活動内容を必ず家族に報告すること。これらを守れるなら、ぜひ挑戦してほしい」
兄さんからの心強い言葉に、胸が温かくなった。
翌日の放課後、私はカタリナとエリオットと学院の中庭で今後について話し合いを持った。
「昨日ご家族と相談された結果はいかがでしたでしょうか」
カタリナが優雅に腰を下ろしながら口火を切る。
「私は兄と相談してきたわ」
私は兄との相談内容を詳しく話した。
「なるほど、アルケミ家としても前向きなお考えですのね」
カタリナが安堵の表情を浮かべる。
「私もお父様に相談いたしました。ローゼン侯爵家としても、王都の治安に関わる魔物調査は重要な分野だと」
「お父上は何と?」
「『侯爵家の令嬢として、学術的価値のある社会貢献は奨励すべきことだ』とおっしゃいました」
カタリナの声に誇らしさが込められている。
「ただし、それは学業成績を最優秀で維持し、品格ある行動を取ることが前提でございますの」
「さすがローゼン侯爵のお考えですね」
エリオットが感心したように言う。
「僕も父上と相談いたしました。シルバーブルーム工房でも、実地研究の重要性は常に説かれています」
「お父様のご意見はいかがでしたか?」
「『三家が協力して行う学術調査なら、これほど意義深い活動はない』とおっしゃいました。特に、古代の魔物に関する知識は失われたものが多いので、現代的なアプローチでの調査は貴重だそうです」
「つまり、私たちにとって学術的価値も高い活動ということね」
「はい。それに、将来それぞれが家督を継いだ時にも、この経験は必ず活かされると」
「私たちの役割分担も明確ですわね」
カタリナが整理するように言う。
「ルナさんが魔物との意思疎通を担当し、私が魔法技術面でのサポートと記録、エリオット君が古代技術との関連性を調べる」
「そうですね。僕も古代の魔物に関する文献研究は得意ですから、調査前の事前準備でお役に立てると思います」
「つまり、私が現地調査、二人が技術面と学術面での支援ということね」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが肩の上から応援するように手を振る。
「ピューイ♪」
ハーブも嬉しそうに鳴いた。
「あら、ふわりちゃんとハーブちゃんも応援してくれてるのね」
カタリナが微笑む。
「では、私たちの方針を決めましょう」
エリオットが几帳面に提案する。
「まず、学業成績は絶対に落とさない。私たちは学生である前に、将来各家を背負う身分です」
「その通りですわ。成績が下がったら即座に活動停止。これは絶対の条件にいたしましょう」
「それに、調査内容は必ず学術論文としてまとめ、王立魔法学院に提出する」
私が提案すると、二人の目が輝いた。
「それは素晴らしいアイデアですわ!学院への貢献にもなりますし、私たちの研究成果の価値も高まります」
「学生らしい活動の形としても理想的ですね」
「危険度の管理も重要ですわ」
カタリナが真剣な表情になる。
「私たちは貴族の令嬢と御曹司です。無謀な危険を冒すことは許されません」
「調査対象は友好的、もしくは中立的な魔物に限定しましょう」
エリオットの提案に私たちは同意した。
「そして何より」
カタリナの目に温かい光が宿る。
「三家の名誉を背負う身として、常に品格ある行動を心がけること。私たちの振る舞いは各家の評価に直結いたします」
「ええ、その通りね」
「私たち三家とも、それぞれの分野で王国に貢献してきた名門です。その知識と経験を活かして、学術的価値のある社会貢献を目指しましょう」
その夜、私は一人で最終的な決断について考え込んでいた。
兄からのアドバイス、友人たちとの話し合い、そして自分の気持ち。
全てを整理して、ようやく答えが見えてきた。
「セレーナ」
「はい、お嬢様」
夜遅くまで起きて待っていてくれたセレーナに、私は決意を告白した。
「私たち三人で、魔物生態調査の専門チームを結成することにしたわ」
「…そうですか」
セレーナが複雑な表情を浮かべる。
「でも、学業が最優先よ。成績が下がったら即座に活動停止。それに、調査結果は必ず学術論文としてまとめて、学院に貢献することになったわ」
「それなら学生らしい活動ですね」
セレーナの表情が少し和らいだ。
「三家の名誉を背負う身として、品格ある行動も心が掛けるわ。カタリナとエリオットも同じ気持ちだから」
「お嬢様が決められたことなら、私は全力でサポートいたします」
「ありがとう、セレーナ」
「ただし」
セレーナの目に、いつもの鋭い光が宿った。
「調査に夢中になって実験での爆発を増やすのは絶対に禁止です。私の髪がこれ以上虹色になったら、さすがに侯爵家のお嬢様方に笑われてしまいます」
「が、頑張ります…」
翌日、私たち三人はギルドマスターに返事をしに向かった。
「ようこそお出でくださいました。お考えはまとめられましたか?」
ギルドマスターが期待の眼差しを向ける。
「はい。三家合同で、学術的価値を重視した魔物生態調査チームを結成いたします」
カタリナが代表して品良く答える。
「おお、それは素晴らしい!三名門のご協力とは、これ以上心強いことはございません」
ギルドマスターが感激したような声を上げる。
「ただし、私どもからもいくつか条件がございます」
エリオットが礼儀正しく口を開く。
「学業成績を最優先とし、調査活動が学業の妨げになった場合は即座に活動を停止いたします」
「調査結果は必ず学術論文としてまとめ、王立魔法学院に提出いたします」
私が続ける。
「危険度の高い魔物の調査はお断りし、友好的もしくは中立的な種族に限定いたします」
「そして、活動内容は必ず各家にご報告し、三家の名誉を損なうような行動は一切取りません」
カタリナが最後を締めくくる。
「なんと品格ある条件でしょう!さすがは名門のお嬢様方です」
ギルドマスターが深々と頭を下げる。
「それでは、正式にチーム名を考えさせていただきましょう。三家合同の調査研究班ということで…そうですな、Tri-Orderなどはいかがでしょうか」
ギルドマスターが提案する。
「Tri-Order?」
「はい。三家の『Tri』と、秩序立った調査という意味の『Order』を組み合わせました。短くて覚えやすく、それでいて品格もある名前かと」
「まあ、素晴らしいネーミングセンスですわね!」
カタリナが感激したような声を上げる。
「確かに、学術的で品のある響きですね」
エリオットも満足そうに頷く。
「それでは、最初の調査対象をご紹介いたします。王都近郊の『歌うハリネズミ』の生態調査です」
「歌うハリネズミ?」
聞いたことのない魔物だった。でも、きっと意思疎通できるはず。
「この種族は人間に対して友好的で、美しい鳴き声で知られています。攻撃性は皆無で、調査には最適の対象です」
「それは安心ですわね」
「調査期間は一週間。学院の授業に支障がない範囲で、放課後と休日を利用していただければ」
「完璧なスケジュールですね」
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんが嬉しそうに歌うような声を出す。
「ピューイ♪」
ハーブも楽しそうに跳ね回った。
その夜、屋敷に帰ると兄が待っていてくれた。
「どうだった、ルナ?」
「Tri-Orderとして活動することになりました」
「それは立派な名前だな。三家の協力体制で、学術的価値も重視した活動なら、父上も母上も大変喜ばれるだろう」
「はい、兄さん。カタリナもエリオットも、とても頼りになる仲間です」
「それに、私の魔物との意思疎通能力を活かして、従来では不可能だった深い生態調査ができると思います」
「素晴らしい。学術論文も楽しみだ」
「そうそう、父上と母上にも詳しい報告の手紙を書いておいた。三家合同の学術活動ということで、きっと誇りに思われると思う」
「ありがとうございます」
部屋に戻って、私は窓の外の星空を見上げた。
新しい道への第一歩を踏み出した今夜、星たちがいつもより明るく輝いて見える。
「明日からは、Tri-Orderの一員として頑張るわ」
「ふみゅ〜」
「ピューイ♪」
ふわりちゃんとハーブも、まるで応援してくれているようだった。
貴族令嬢として、学生として、そして研究者として。
全てを両立させる挑戦が始まる。
でも、カタリナとエリオットという信頼できる仲間たちがいるから大丈夫。
みんなで支え合いながら、学術的価値のある社会貢献を目指していこう。
「さあ、新しい研究活動の始まりね!」
そんな希望に満ちた気持ちで、今日という日を終えることができた。
ただし、調査に夢中になって爆発実験を増やすのは本当に控えよう。
セレーナの虹色の髪がこれ以上派手になったら、カタリナに「研究班の品格に関わりますわ」って言われてしまいそうだから。
でも、新しい魔物との出会いで得られる知識を錬金術に活かすのは楽しみよね、
きっと。学術論文を書くのも、前世の経験が活かせそう。
三家の名誉を背負う研究活動、頑張るぞ!