第72話 意外な提案
初回の薬草採取依頼から一週間。
私たちは週に2、3回程度、放課後に冒険者ギルド通いをするようになっていた。
「お疲れ様、ルナちゃん!今日も学院の皆さんと一緒に来てくれたのね」
受付のメアリーさんが手を振ってくれる。もうすっかり顔なじみだ。
「お疲れ様です!今日はどんな依頼がありますか?」
隣でカタリナが上品に会釈し、エリオットが丁寧に頭を下げている。
私たち3人でのギルド通いも板についてきた。
「今日は少し変わった依頼があるのよ。『魔物の生態調査』なんだけど、どうかしら?」
「魔物の生態調査?」
これは前世の小説にはなかったパターンかも。
「王都近郊に住む『青鱗リザード』の生態を観察して、レポートを書いてもらうお仕事。報酬は金貨1枚よ」
「金貨1枚!」
薬草採取より格段にアップしている。これは成長の証しね!
「青鱗リザードですか…確か、比較的温厚な爬虫類系魔物でしたわね」
カタリナが魔物生態知識を披露してくれた。
「理論上は危険度も低いはずです」
エリオットも頷いている。
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ギルドの奥のテーブルで依頼書を眺めていると、隣に座っていた冒険者の女性が話しかけてきた。
「あんたたち、学院生でしょ?リザードの調査なんて珍しい依頼を受けるのね」
「はい!私、ルナ・アルケミです」
「私はカタリナ・ローゼンですわ」
「エリオット・シルバーブルームです」
「あたしはベラ。炎魔法が専門の冒険者よ。青鱗リザード調査なら気をつけなさい。あいつら見た目は大人しいけど、繁殖期は意外と厄介なのよ」
おお、これぞ前世小説でいう「親切な先輩冒険者からのアドバイス」!
「どんな風に厄介なんですか?」
「青鱗リザードはね、卵を守る時期になると普段の3倍の大きさに—」
その時、ギルドの入口から慌てた様子の冒険者が駆け込んできた。
「大変だ!森で薬草採取してた新人が、青鱗リザードに襲われてる!」
「え?青鱗リザードって基本的に無害じゃ…」
ベラさんの顔が青くなった。
「まさか、繁殖期の青鱗リザードじゃないでしょうね?」
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現場に到着すると、確かに大変なことになっていた。
通常なら中型犬サイズの青い鱗に覆われたトカゲが、なぜか倍以上の大きさに膨らんで、新人冒険者を追い回している。
「助けて〜!なんで急に大きくなったの〜?」
「繁殖期の青鱗リザードは縄張り意識が強くなるのよ。しかも体も大きくなって」
ベラさんが説明しながら火の魔法を構えた。
「待って!」
私は慌てて止めた。
「魔物と意思疎通ができるかもしれません」
「え?でも危険よ?」
「大丈夫です!それに…」
私は肩のポシェットを開いて、小さな茶色い毛玉を取り出した。
「ハーブも一緒だから!」
「ピューイ?」
薬草ウサギのハーブが小さな鳴き声を上げる。
ハーブは野生の動物たちとも仲が良いから、きっと青鱗リザードとも意思疎通の橋渡しをしてくれるはず。
そして胸ポケットからは…
「ふみゅ?」
真っ白でふわふわなふわりちゃんが顔を出した。
「ふわりちゃんの癒し効果で、青鱗リザードも落ち着くかも」
私は2匹の仲間たちと一緒にゆっくりとリザードに近づいていく。
「こんにちは、青鱗リザードさん。どうして怒ってるの?」
「グルルル…」
「ピューイ、ピューイ」
ハーブがリザードに向かって鳴き声を上げる。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんもふわふわと手を振る。
すると、青鱗リザードの動きが少し止まった。
「もしかして、誰かがあなたの大切なものを踏んだの?」
「グルル…グル?」
『大切な卵が危険なの!子供たちを守らないと!』
リザードの声が心に響いた。やはり意思疎通ができる!
「あそこに卵があるのね。見せてもらってもいい?」
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リザードに案内されて森の奥に行くと、大きな木の根元に小さな巣があった。
そこには青い光沢のある卵が3つ、大切に置かれている。
「これ、青鱗リザードの卵?」
「そうよ。青鱗リザードは木の根元に巣を作る習性があるの」
ベラさんが感心したように言った。
「新人君、もしかしてこの巣の近くで薬草を採ってた?」
「あ…そういえば、この辺りで『根緑草』を見つけて、根っこを掘り返してたら…」
「それよ!青鱗リザードから見たら、自分の巣を荒らされてると思ったのね」
私はリザードに向き直った。
「ごめんなさい、誤解だったの。彼は卵を狙いに来たんじゃなくて、草を採りに来ただけ。もう巣には近づかないから、許してくれる?」
「グルル?」
『あなたが言うなら信じるよ。でも心配だよ』
リザードが不安そうに首を振る。学院のスライムたちと同じような反応ね。
「お詫びに、巣の周りに結界を張りましょうか?他の人が間違って近づかないように」
「カタリナ、巣の周りに他の人が近づかないような結界を張ってもらえる?」
「お安い御用ですわ」
カタリナは簡単な『立入禁止』の魔法陣を地面に描いた。
すると、淡い光の結界がリザードの巣の周りに現れた。
「グルル♪」
『ありがとう、優しい人!これで安心だよ』
リザードが嬉しそうに尻尾を振り、元の大きさに戻った。
「ピューイ♪」
ハーブも嬉しそうに跳ね回る。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんもにっこり笑顔だ。
「見事な解決でしたわね、ルナさん」
カタリナが上品に拍手してくれた。
「理論通りの結果ですね」
エリオットも満足そうに頷いている。
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ギルドに戻ると、私は意気揚々とレポートを書き始めた。
「『青鱗リザードの生態調査報告書』…よし、これで完璧ね!」
でも、ちょっと物足りない。せっかくなら、もっと詳しく調査してみたい。
「そうだ、青鱗リザードの好きな食べ物も調べてみましょう」
私は持参した錬金術キットを取り出した。
様々な薬草のエキスを混ぜて、リザード用のおやつを作ってみよう。
「えーと、栄養価の高い『緑葉草』と、鱗を美しくする『光苔』と…」
調合を進めていると、だんだん楽しくなってきた。
でも、いつものように少し調子に乗ってしまう。
「もっと美味しくするために、『活力の粉』も入れちゃえ〜」
その瞬間。
「ルナさん、それ入れすぎでは—」
カタリナの警告が間に合わなかった。
ーーボンッ!
小さな爆発と共に、虹色の煙がもくもくと上がった。
ギルド内が突然お花畑のような甘い香りに包まれる。
「きゃー!」
「何この香り!」
「なんだか眠くなってきた…」
ギルド内の冒険者たちが次々と眠気に襲われ始めた。
「あ、あの…『活力の粉』と『光苔』の組み合わせは、睡眠誘発効果があったかも…」
「ルナ〜」
ベラさんも眠そうな目をしながら私を見つめている。
「ピューイ…」
ハーブも眠そうだ。
「ふみゅう…」
ふわりちゃんだけは眠気に負けず、心配そうに私を見上げている。
「ごめんなさい!今すぐ中和剤を作ります!」
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その後、大慌てで中和剤を作って事態を収拾。
幸い誰も怪我はなかったが、ギルドマスターに呼び出されることになった。
「アルケミ伯爵令嬢。そしてローゼン侯爵令嬢、シルバーブルーム工房の跡取り。お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
立派な髭を蓄えた厳格そうなギルドマスターが丁寧に頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけして…」
「今回の青鱗リザード調査の件、見事な解決でした。魔物との意思疎通は非常に貴重な才能でございます」
「ありがとうございます」
「そこで、アルケミ令嬢にお願いがございます」
ギルドマスターの声が改まった。
「令嬢には『魔物調査専門』の冒険者として活動していただけないでしょうか。もちろん、お嬢様方にふさわしい待遇で」
「専門って…?」
「令嬢のような魔物と意思疎通できる冒険者は極めて稀少です。多くの依頼人にお喜びいただけるはずです。報酬も通常の倍額でお支払いいたします」
これは予想外の提案だった。でも、学生でもあるし、家のことも考えないと…
「ありがたいお話ですが、少し考えさせていただけませんか?学院での勉強もありますし、家族とも相談したいので」
「もちろんでございます。令嬢のお立場を考えれば当然のことです。ゆっくりとご検討ください」
ギルドマスターが理解を示してくれた。
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その夜、屋敷に帰ると、セレーナが不安そうな顔で迎えてくれた。
「お嬢様、今日はなんだかお花の香りが…」
「あー、それはちょっとした実験の副作用で」
「副作用…ですか?」
セレーナの笑顔が怖い。
「でもギルドマスターから面白い提案を受けたの。魔物調査の専門職になってほしいって」
「それは素晴らしいお話ですが…お嬢様はまだ学生でいらっしゃいますし、ご家族にもご相談された方が」
「そうよね。兄さんにも相談してみる」
「ピューイ?」
ハーブが心配そうに私を見上げる。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも励ますように手を振ってくれた。
お風呂に入りながら、今日のことを振り返った。
異世界に来てからもう随分と時間が経ったけど、仲間たちとの冒険者ギルドでの活動は新鮮で楽しい。
青鱗リザードの卵を守れたし、ギルドマスターからも興味深い提案を受けた。
でも専門職になるかどうかは、もう少し考えてからにしよう。学生の本分も大切だし。
「明日はどんな一日になるかしら」
窓の外を見上げると、星空がきらめいていた。きっと明日も楽しい一日になりそう。
そんなことを考えながら、今日も一日が終わっていく。
新たな可能性が見えてきた、充実した一日だった。