第59話 執事バルトルドの特別任務
「バルトルド、お疲れ様」
夜も更けた魔王城の書斎で、セレスティア様が執務を終えて振り返った。
「お疲れ様でございます、セレスティア様」
私は恭しくお辞儀をしながら、今日一日の報告書を整理していた。
「今日の来客数は276名、城見学の案内は42組、虹色スライムの写真撮影は……」
「そんなに大勢の方が?」
セレスティア様が驚いている。
「はい。『美しい魔王城』として、すっかり有名になってしまいました」
あの日、ルナ様の実験で城が虹色に変わってから、もう一週間が経つ。
「みなさん、とても楽しそうに見学していらっしゃいます。特にお子様方は虹色スライムを大変気に入って……」
報告していると、セレスティア様が少し困った表情を見せた。
「バルトルド、実は相談があるの」
「はい、何なりと」
「最近、城の食堂で奇妙なことが起きているのです」
「奇妙なこと、と申しますと?」
セレスティア様が立ち上がって、窓の外を見つめた。
「料理の味が……異常に美味しくなったの」
「それは……良いことなのではないでしょうか?」
「そう思うでしょう? でも、厨房のシェフたちも首をかしげているのです。『同じ材料、同じ手順なのに、なぜか味が格段に良くなった』と」
確かに、ここ数日の食事は格別だった。
「私も気になっておりました。まるで高級レストランのような……」
「でしょう? それで、バルトルドに調査をお願いしたいの」
「承知いたしました。明日から厨房の様子を詳しく観察いたします」
——翌朝、厨房にて——
「おはようございます、シェフ・クロード」
「おお、バルトルドさん! おはようございます」
頭シェフのクロードが、慌てたように手を拭いた。
「今日も調査ですか?」
「はい。不思議な現象の原因を突き止めなければなりません」
厨房を見渡すと、いつもと変わらない光景が広がっている。
「今朝のスープの準備はいかがですか?」
「それが……また不思議なんです」
クロードがスープをひとすくいして、味見をした。
「うーん、完璧な味です。でも、いつもと同じ材料なんですよ?」
私も一口味見をさせてもらうと——
「これは確かに……絶品ですね」
野菜の甘みが際立ち、出汁の深みも完璧だ。
「何か変わったことはありませんでしたか?」
「そうですね……強いて言えば、虹色スライムがよく厨房に遊びに来るようになりました」
「虹色スライム?」
「ええ。とても人懐っこくて、料理を作っている間、じっと見ているんです」
その時、厨房の隅から小さな鳴き声が聞こえた。
「プルリン♪」
振り返ると、手のひらサイズの虹色スライムが三匹、こちらを見つめていた。
「あら、今日も来たんだね」
クロードが優しく声をかける。
「この子たち、料理の匂いが好きみたいで……」
スライムたちがゆっくりと近づいてきた。
「プルルン♪ プルプル♪」
まるで挨拶をしているようだ。
「可愛らしいですね……あっ」
私は重要なことに気づいた。
「シェフ、この子たちが現れるようになったのは、いつからですか?」
「えーっと……確か一週間ほど前からです」
「料理の味が良くなったのと、同じ時期ですね」
「そういえば、そうですね!」
クロードの目が輝いた。
「もしかして、この子たちが関係してるんでしょうか?」
その時、一匹のスライムがスープの鍋に近づいた。
「あ、危険だよ! 熱いから——」
クロードが止めようとした瞬間——
——キラキラ
スライムから小さな光の粒が舞い散って、スープに混ざった。
「これは……」
スープを味見すると、さらに美味しくなっている。
「魔法的な調味効果ですね!」
私が感激していると、他のスライムたちも料理に近づき始めた。
——キラキラ キラキラ
野菜炒めにも、パンにも、光の粒が振りかけられていく。
「素晴らしい! 天然の調味料です」
「でも、これで良いんでしょうか?」
クロードが心配そうだ。
「スライムの力に頼るのは……」
「いえいえ、これは立派な共同作業です」
私が微笑むと、スライムたちも嬉しそうに鳴いた。
「プルリン♪」
——昼食時、食堂にて——
「バルトルド、調査の結果はいかが?」
セレスティア様がお食事をしながら尋ねた。
「原因が判明いたしました」
私が報告すると、セレスティア様が身を乗り出した。
「虹色スライムたちが、料理に『美味化魔法』をかけていたのです」
「美味化魔法?」
「はい。料理への愛情が魔法となって、味を向上させているようです」
その時、食堂にも小さなスライムが現れた。
「プルリン♪」
テーブルの上を転がりながら、私たちの料理にキラキラと光をかけていく。
「あら……」
セレスティア様が一口食べると、目を見開いた。
「確かに、さっきよりも美味しくなりました」
「スライムたちは、私たちの食事を『より良いもの』にしたいと思っているのでしょう」
「健気ですね……」
セレスティア様がスライムを優しく見つめている。
しかし、私には別の心配があった。
「実は、問題が一つございまして……」
「問題?」
「お客様たちも、この美味しい料理に気づき始めています」
「それは……」
「『魔王城のレストラン』として、予約の問い合わせが殺到しているのです」
セレスティア様が頭を抱えた。
「魔王城がレストランって……」
——午後、応接室にて——
「バルトルド、どうしましょう?」
セレスティア様が困り果てている。
「レストラン営業の許可申請書が、既に20通届いています」
机の上には、様々な書類が積み重なっている。
「『虹色魔王城レストラン』『スライム・キュイジーヌ』『魔法の味わい亭』……」
「みなさん、本格的ですね」
「観光地としても、レストランとしても人気が出てしまいました」
その時、執務室にコンコンとノックの音が響いた。
「どなたでしょう?」
扉を開けると、そこには——
「こんにちは! バルトルドさん」
ルナ様が笑顔で立っていた。
「ルナ様!お久しぶりでございます」
「セレスティアから相談を受けて、お手伝いに来たの」
「ルナさん!」
セレスティア様が安堵の表情を見せた。
「実は、料理の件で困っていたところなのです」
「聞いてるわ。虹色スライムの調味魔法でしょう?」
「ご存知でしたか?」
「もちろん! あの子たちは『共感型魔法』の使い手なの」
ルナ様が実験道具を取り出した。
「人の喜ぶ顔を見ると、自然と魔法が発動するのよ」
「それで料理が美味しくなっていたのですね」
「そういうこと! でも、このままだと大変でしょうから……」
ルナ様が新しい薬瓶を見せてくれた。
「『魔法制御薬』を作ってきたの。これを使えば、スライムたちの魔法を適度に調整できるわ」
「素晴らしい!」
私が感激していると、セレスティア様も希望の光を見出したようだ。
「でも、スライムたちの善意を完全に止めるのは可哀想ですわね」
「大丈夫。週に一度だけ『特別メニューの日』を作るの。その日だけスライム魔法を使うのはどう?」
「それは良いアイデアでだわ!」
——厨房での薬の使用——
「みんな、ちょっとお話があるの」
ルナ様が虹色スライムたちに語りかけた。
「プルリン?」
スライムたちが首をかしげている。
「みんなの魔法はとても素晴らしいの。でも、毎日だと人間たちが困ってしまうのよ」
「プルル〜」
少し悲しそうな鳴き声だ。
「大丈夫! 週に一度、特別な日を作るから」
ルナ様が『魔法制御薬』をスライムたちにかけると——
——ポワワワ
優しい光に包まれたスライムたちが、理解したように頷いた。
「プルリン♪」
今度は嬉しそうな鳴き声だ。
——一週間後、特別メニューの日——
「『魔法料理フェア』大成功ですね」
食堂は満席で、お客様たちが美味しそうに食事を楽しんでいる。
「スライム特製デザートも大人気でございます」
私が報告すると、セレスティア様も満足そうだ。
「良い解決策でしたね」
「ルナ様のおかげです」
厨房では、虹色スライムたちが嬉しそうに魔法をかけている。
「プルリン♪」「プルプル♪」
お客様たちの笑顔を見て、スライムたちも幸せそうだ。
——夜、セレスティア様の執務室にて——
「バルトルド、今日もお疲れ様」
「お疲れ様でございます。今日の売上も好調でした」
報告書を提出しながら、私は満足していた。
「魔王城が『恐ろしい場所』から『楽しい場所』に変わったのは、良いことですね」
セレスティア様が窓の外を見つめている。
「はい。多くの方に愛される城になりました」
「バルトルドのおかげよ。いつも完璧に管理してくれて」
「とんでもございません。私はただ、セレスティア様とこの城のために働いているだけです」
その時、小さなスライムが執務室に現れた。
「プルリン♪」
私の肩に飛び乗って、感謝を表しているようだ。
「この子たちも家族のようですね」
「はい。とても愛らしい仲間たちです」
セレスティア様も微笑んでいる。
「明日も素晴らしい一日になりそうだわ」
「必ずや、そうなるよう努力いたします」
私は深々とお辞儀をした。
執事として、この平和で賑やかな魔王城を守り続けよう。
そして、セレスティア様の笑顔を毎日見ることができるよう、精進しなければならない。
「それでは、お休みなさいませ」
「おやすみなさい、バルトルド」
今日も一日、無事に終わった。
明日はどんな出来事が待っているだろうか。
きっと、また楽しい一日になるに違いない。