第44話 監督官とふわもこ時空間実験
「ふみゅみゅ〜」
翌朝、ふわりちゃんが私の髪の中で伸びをしている。
昨夜は緊張で疲れたのか、いつもより長く眠っていた。
「おはよう、ふわりちゃん」
「ふみゅ〜」
眠そうに私の頬をぺたぺた触ってくれる。朝から癒される。
「お嬢様、朝食の準備ができました」
セレーナが部屋に入ってきた。昨夜の時間逆行薬の件で少し心配そうな表情をしている。
「昨夜のことは気にしなくて大丈夫よ。小規模な実験だもの」
「ありがとうございます」
朝食を済ませると、ハロルドが緊張した面持ちでやってきた。
「お嬢様、王都古代文明研究会からお使いが参りました」
「古代文明研究会?」
応接間に行くと、学者風の男性が待っていた。
「アルケミ令嬢、お忙しい中恐れ入ります。王都古代文明研究会のディクソンと申します」
「はじめまして」
「この度、ライトダンジョンの古代遺跡について、正式な学術調査を行うことになりました」
ディクソン氏が説明書類を取り出す。
「古代魔法陣や封印の扉に刻まれた古代文字など、貴重な資料の宝庫です。冒険者ギルドと共同で本格的な調査隊を編成いたします」
「それは素晴らしいですわね」
いつの間にかカタリナも同席していて、優雅に興味深そうに聞いている。
「学院は関与しないのですか?」
「はい。今回は純粋に古代文明の学術研究として、専門機関が担当いたします」
なるほど、昨日の侯爵の警告もあって、学院としては一歩引いた形になったのね。
「それで、調査にはお時間をいただくことになりますので、しばらくはダンジョンへの立ち入りをご遠慮いただければと」
「承知いたしました」
「それでは、学院へ参りましょう」
カタリナが優雅に立ち上がった。いつものように完璧な身だしなみで、縦ロールも美しく整っている。
「そうね。今日は通常授業があるものね」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが私の肩に乗って、学院への外出を楽しみにしているみたい。
「ピューイ」
ハーブも一緒についてくる気らしい。いつものことだから、学院の先生方も慣れてくれている。
外に出ると、相変わらずふわりちゃんを見つめる人々の視線が集中する。
「あら、今日もふわりちゃんは人気者ですわね」
カタリナが微笑みながら、人だかりを上手にかき分けてくれる。
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんも慣れたもので、愛想よく手を振っている。
学院の正門をくぐると、既に一限目の授業が始まっているらしく、廊下は静かだった。
「あら?もしかして…」
時計を見ると、既に授業開始から30分も経っている。
「遅刻ですわね」
カタリナも困った顔をしている。
「急ぎましょう」
「失礼いたします」
そっと扉を開けて教室に入ると——
「ルナさん、カタリナさん」
モーガン先生が振り返って、厳しい視線を向けた。
「遅刻ですね」
「申し訳ありません」
私たちが深々と頭を下げる。
「理由を聞かせてください」
「えーっと…朝、来客がありまして」
「来客?」
モーガン先生の眉がピクリと動く。
「はい。王都古代文明研究会の方がいらして…」
「古代文明研究会?」
他の生徒たちもざわざわし始める。
「ライトダンジョンの調査に関する説明で、時間がかかってしまいました」
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんが申し訳なさそうに鳴く。
「…そうですか」
モーガン先生が少し表情を和らげる。
「古代文明研究会の件でしたら、やむを得ませんね。しかし、次回からは事前に連絡をください」
「はい、承知いたしました」
「それで、ふわりちゃんも一緒ですか」
「あ、はい…ダメでしょうか?」
「いえ、構いません。既に学院内での同伴許可は出ていますから」
ほっと一安心。
「きゃー!ふわりちゃん久しぶり〜!」
クラスメートのアリスが興奮して手を振る。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも嬉しそうに手を振り返す。
「今日は錬金術の基礎理論について学習します」
モーガン先生が黒板に図式を書き始める。
「錬金術における『等価交換の法則』について説明してください、トーマス君」
「はい。『何かを得るためには、それと等しい価値のものを差し出さなければならない』という法則です」
「正解です。では、この法則の例外はあるでしょうか?」
私が手を挙げようとした瞬間——
「ピューイピューイ!」
ハーブが突然慌てたように鳴き始めた。
「どうしたの、ハーブ?」
——ドオオオオン!
遠くから爆発音が聞こえた。お屋敷の方角から、いつもの虹色の煙が立ち上っている。
「あああああ!」
私が頭を抱えると、教室中がざわめいた。
「また爆発?」
「ルナの家って毎日爆発してない?」
「もはや王都の名物よね」
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんがくすくすと笑っている。完全に日常風景として受け入れてるみたい。
「えーっと…」
モーガン先生が複雑な表情をしている。
「今度は何を実験していたのですか?」
「今日は何も…あ!」
思い出した。私が昨夜作った時間逆行薬を、セレーナに説明していたのだ。
「セレーナに時間逆行薬について説明していて、その時に…」
「時間逆行薬?」
モーガン先生の目が光る。
「それは報告が必要な案件ですね」
「でも、説明しただけで…」
——ドドドーン!
今度は連続爆発だ。虹色に加えて、金色の煙も立ち上っている。
「一体何が起こってるのよ…」
「ルナさん」
モーガン先生が立ち上がる。
「授業終了後、すぐに帰宅して状況を確認してください。そして詳細な報告書を提出すること」
「はい…」
急いでお屋敷に戻ると、案の定大騒ぎだった。
「お嬢様〜!大変でした〜!」
マリアが泣きながら迎えてくれる。
「実験室で何かが爆発して、時間が前後に行ったり来たりして…」
「セレーナは大丈夫?」
「はい、元気ですが…」
実験室を覗くと、セレーナが困った顔で立っていた。髪の色が虹色から金色に変わっている。
「お嬢様…申し訳ありません」
「何があったの?」
「お嬢様に教えていただいた時間逆行薬の説明を思い出していたら、つい興味が湧いてしまって…実験室にあった『魔力増幅剤』と混ぜてしまいました」
「セレーナ!勝手に調合しちゃダメでしょう!」
私が叱ると、セレーナがしゅんとしてしまう。
「本当に申し訳ありません。そして、髪の色が時代と共に変化するようになってしまいました」
見ると、セレーナの髪がゆっくりと色を変えている。金色から銀色、銀色から青色、青色から緑色…
「古代から未来まで、時代の色を表現してるのかしら」
「多分そうだと思います」
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんがセレーナの変化する髪を興味深そうに見つめている。
「まあ、綺麗だからいいけど…今度から勝手に調合するのは絶対ダメよ」
「はい、以後気をつけます」
「さて、モーガン先生への報告書を書かなくちゃ」
机に向かっていると、ふわりちゃんが肩の上で眠そうにあくびをしている。
「今日も一日お疲れ様、ふわりちゃん」
「ふみゅ〜」
「明日も頑張ろうね」
「ピューイ」
ハーブも元気に鳴いている。
でも、こうして毎日が賑やかで、私は結構気に入っている。程よい爆発も含めて、これが私たちの日常なのだから。