第43話 時空間錬金術と報告書騒動
「ふみゅ〜」
翌朝、ふわりちゃんが私の枕の上で伸びをしながら目を覚ました。
昨夜はお茶会の後、そのまま私の部屋で一緒に眠ったのだ。
「おはよう、ふわりちゃん」
「ふみゅみゅ〜」
嬉しそうに頬をすり寄せてくれる。朝一番からこの可愛さは反則よ。
「お嬢様、朝食の準備ができました」
セレーナが部屋に入ってきて、ふわりちゃんを見るなり表情が緩んだ。
「おはようございます、ふわり様」
「様はやめて」
「でも、ハロルド様が『様』で統一するよう指示を…」
「ハロルドったら…」
朝食を済ませた後、私は実験室にこもることにした。
以前に得た時空間錬金術の知識を使って、新しい実験に挑戦してみたい。
「今日は時間加速の改良版に挑戦してみましょう」
『時の砂』『速度増幅液』『因果安定剤』に加えて、新しく『持続延長薬』を混ぜてみる。
時空間錬金術の理論によれば、効果時間を延ばすには複数の時間軸を重ね合わせる必要がある。
「理論的には完璧なはず…」
慎重に材料を調合していく。
——キラキラ
薬が美しく光って、今度は時計だけでなく、砂時計の模様も浮かび上がった。
「成功…かしら?」
試しに机の上の花に一滴垂らすと——
——チッチッチッ
花がみるみる成長して、つぼみが開き始めた。
「すごい!時間が加速してる!」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも興味深そうに見つめている。
花は美しく咲いた後、ゆっくりと元の時間の流れに戻った。前回より効果時間が倍になっている。
「大成功ね!」
その時、ドアがノックされた。
「お嬢様、カタリナ様がお見えです」
「どうぞ」
カタリナが優雅に入ってくる。相変わらずの完璧な縦ロールだ。
そして花の様子を見て目を輝かせた。
「時間加速の実験ですの?私も参加させていただけますか?」
「もちろんよ」
カタリナは以前に習得した空間魔法の原理の知識を生かして、新しいアプローチを提案してくれた。
「空間魔法の理論を応用すれば、錬金術の効果範囲を正確にコントロールできるはずですわ」
「なるほど!空間を区切って実験すれば安全性も高まるわね」
二人で協力して実験を進めていると、セレーナも興味深そうに覗き込んでいる。
「セレーナも一緒にやってみる?」
「え?私がですか?」
「あなたも錬金術の才能があるじゃない」
「でも、時空間錬金術なんて高度すぎて…」
「大丈夫よ。一緒に勉強しましょう」
セレーナの目がキラキラと輝いた。
「はい!よろしくお願いします!」
三人で時空間錬金術の理論を確認していると——
「失礼します」
ハロルドが慌てた様子で入ってきた。
「お嬢様、グリムウッド教授がお見えです。至急お話があるとのことで」
——応接間にて——
「実は大変なことになりまして」
グリムウッド教授が緊張した様子で話し始めた。
「グランヴィル侯爵に昨日の調査報告をしたのですが…」
「はい」
「報告書を読んだ侯爵が『詳細な調査が必要』とおっしゃって、今日の午後に直接お話を伺いたいと」
「それは…緊張しますわね」
カタリナが表情を引き締める。
「問題は、報告書に『平和の化身・ふわり』について詳しく書いてしまったことです」
「ふみゅ?」
私の肩のふわりちゃんが首を傾げる。
「侯爵は王都の治安を司る方です。もし『危険な存在』と判断されたら…」
「厳重な管理下に置かれる可能性もあるということですね」
「はい。侯爵は非常に慎重な方で、安全保障に関しては一切の妥協を許しません」
これは困った。ふわりちゃんは全然危険じゃないのに。
「そうだ!」
私に閃きが降りた。
「ふわりちゃんの無害性を科学的に証明しましょう」
「科学的に?」
「時空間錬金術を使って、ふわりちゃんの力を詳しく分析するの。客観的なデータがあれば侯爵も納得してくれるはず」
「それは良いアイデアですわ」
カタリナが賛成してくれる。
「でも時間がありません。午後までに結果を出すなんて…」
「大丈夫よ。時間加速薬があるじゃない」
急遽、大規模な実験を開始することになった。
「『魔力分析薬』『善悪判定液』『危険度測定剤』を同時に調合しましょう」
私とカタリナが薬の準備をしている間、セレーナは実験器具の準備をしてくれる。
「空間魔法の原理を応用して、分析範囲を限定しますわ」
カタリナが手をかざすと、ふわりちゃんの周りに薄い光の膜ができた。
「これで分析薬の効果が正確に測定できます」
「素晴らしいわ。空間魔法の理解があると実験の精度が格段に上がるのね」
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんは実験台の上で、検査されることを理解しているのかおとなしく座っている。
「まずは魔力分析から」
『魔力分析薬』をふわりちゃんの近くに垂らすと——
——ポワワワワ
優しい金色の光が立ち上った。カタリナの空間魔法のおかげで、光は指定された範囲内に収まっている。
「これは…神聖魔法系統ですわね」
カタリナが結果を分析する。
「攻撃性は皆無、破壊力も皆無。純粋な回復・浄化系です」
次に『善悪判定液』を使うと——
——キラッキラッ
まばゆい白い光が輝いた。こちらも空間内に綺麗に収束している。
「完全に善の属性ですね」
教授も安心したように頷く。
最後に『危険度測定剤』。これが一番重要だ。
薬をふわりちゃんに向けて振りかけると——
——シーン
何も反応しない。
「あれ?」
もう一度試してみても、全く反応がない。
「これは…」
カタリナが考え込む。
「危険度がゼロすぎて、測定できないということですわ」
「つまり、測定不可能なほど安全ということね」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが嬉しそうに鳴く。まるで「当然でしょ?」と言ってるみたい。
「よし、これで十分なデータが取れたわ」
でもまだ時間に余裕がある。せっかく時間加速薬もあることだし——
「ついでに新しい実験もしてみましょう」
私が『瞬間移動薬』の材料を取り出すと、セレーナが心配そうな顔をした。
「お嬢様、今度は慎重に…」
「大丈夫よ。カタリナの空間魔法で安全区画を作ってもらうから」
カタリナが実験室に透明な壁を作ってくれる中で、『空間座標薬』『転移促進剤』『安定化液』を慎重に調合する。時空間錬金術の知識のおかげで、配合比率が直感的に分かる。
——キラキラ
薬が完成すると、小さな渦巻き模様が浮かび上がった。
「安全区画内で試してみましょう」
薬を一滴、小さな石に垂らして——
——ポンッ
石が区画の反対側に瞬間移動した。
「成功!」
「すごいですわ。完璧な瞬間移動です」
「空間魔法の理論があると、転移先の座標計算も正確になるのね」
その時、私が薬瓶を置く際に手が滑って——
——ドボドボ
瓶の中身が机の上にこぼれてしまった。
「あっ…」
——ポワワワワン
机全体に魔法陣が浮かび上がった。
「やばっ…」
——ポンポンポンポン
机の上の実験道具が次々と空中に浮かび上がって、くるくる回り始めた。
「きゃー!実験器具が踊ってますわ!」
「ふみゅみゅ〜♪」
ふわりちゃんも楽しそうに空中の器具と一緒に舞っている。
「綺麗だけど…これは完全に暴走ね」
カタリナの空間魔法の壁のおかげで、被害は実験室内に収まっているが、このままでは——
——ドカーン!
ついに小爆発が起きた。でも空間魔法の防護壁があるおかげで、煙は外に漏れない。
「あら、久しぶりの爆発ね」
「お嬢様…」
セレーナが呆れ顔で煤を払っている。
「でも被害は最小限ですわ」
カタリナの空間魔法のコントロールで、爆発は完全に封じ込められていた。
「さすが空間魔法の原理を理解してるだけあるわね」
「失礼いたします」
ハロルドが緊張した面持ちで実験室に入ってきた。
「お嬢様、グランヴィル侯爵がお見えになりました」
「え?まだ時間じゃ…」
「予定より早くお越しになられたようです」
これはまずい。まだ結果をまとめきれてない。
「大丈夫ですわ。データは十分取れています」
カタリナがフォローしてくれる。
「それより、ふわりちゃんを隠した方が…」
「ふみゅ?」
ふわりちゃんが首を傾げている間に、私は慌てて髪の中に隠そうとするが——
「失礼いたします」
グランヴィル侯爵が待つ応接間に入ると、部屋の空気が一瞬で引き締まった。
鋭い眼光と威厳のある立ち姿からは、王都の治安を司る重責を感じる。
「古代の封印調査、お疲れ様でした」
丁寧だが、どこか査定するような視線。
「ありがとうございます」
「それで、報告書にある『平和の化身』について詳しく聞かせていただきたい」
侯爵の声は落ち着いているが、妥協を許さない強さがある。
その時、私の髪からふわりちゃんが顔を出した。
「ふみゅ?」
——シーン
侯爵の動きが止まった。
「これは…」
鋭い視線がふわりちゃんに注がれる。数秒間の沈黙の後——
「…なんという可愛さだ」
侯爵の表情が一瞬緩んだが、すぐに厳格な顔に戻る。
「しかし、可愛いからといって安全とは限らない」
やはり侯爵は簡単には納得してくれない。
「危険性についてですが…」
私が実験結果を説明すると、侯爵は真剣に聞いてくれた。
「つまり、科学的に完全無害であると」
「はい。データもこの通りです」
侯爵が資料を詳しく検討する。その間、ふわりちゃんは静かに私の肩で待っている。
「…分析結果は確かに無害を示している」
侯爵が資料を置く。
「しかし」
鋭い視線が私に向けられる。
「ルナ嬢、君の実験についても話がある」
私の背筋が凍る。
「これまでの爆発騒動は、学術研究の一環として目をつぶってきた」
侯爵の声が低くなる。
「だが、古代の力が関わる今回は違う。一つ間違えば王都全体に影響が及ぶ可能性がある」
「はい…」
「今後、このような重要な調査に関わる場合は、必ず事前報告を行うこと。そして…」
侯爵の視線がより鋭くなる。
「実験は必ず監督官の立ち会いの下で行うこと。分かったな」
「承知いたしました」
私が深々と頭を下げると、侯爵の表情が少し和らいだ。
「ふみゅ〜」
その時、ふわりちゃんが小さく鳴いて、侯爵の方を見つめた。
「…」
侯爵とふわりちゃんが見つめ合う。
「君は…本当に平和を望んでいるのだな」
「ふみゅみゅ」
ふわりちゃんが頷くと、侯爵の口元に僅かに笑みが浮かんだ。
「分かった。『平和の化身・ふわり』については、アルケミ家の管理下で保護することを許可する」
「ありがとうございます」
「ただし」
侯爵が再び厳格な表情になる。
「定期的な報告は必須だ。異常があれば直ちに連絡すること」
「承知いたしました」
こうして、調査報告は無事終了した。
侯爵が帰った後——
「やれやれ、緊張しましたね」
教授がほっとため息をつく。
「侯爵は厳しい方ですが、公正な判断をしてくださいました」
「そうですわね。きちんとしたデータがあって良かったです」
カタリナも安堵の表情だ。
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんも今日一日を乗り切ってくれた。
「よし、今日は緊張したから、お疲れ様の意味も込めて特製ケーキでお茶会にしましょう」
「それは素晴らしいアイデアですわ」
——その夜——
「今日は本当に緊張したわ」
「これからはもっと慎重に実験しないといけないのね」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが私の膝の上で眠そうに呟く。
「でも、あなたが無事に我が家にいられて良かったわ」
「ふみゅみゅ」
小さく頷くふわりちゃん。本当に優しい子だ。
「明日からは監督官立ち会いでの実験になるかも知れないけれど…」
そう呟いた瞬間——
——ドカーン!
隣の部屋から爆発音が聞こえた。
「あら?」
慌てて見に行くと、セレーナが煤まみれで立っていた。
「お嬢様…時間加速薬の復習をしていたら…」
「大丈夫?」
「はい…でも、なぜか『時間逆行薬』ができちゃいました」
見ると、薬草が種に戻っている。
「時間を逆転させたのね。面白い副産物だわ」
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんも興味深そうに見つめている。
「でも、明日ハロルド様に報告しなくちゃ…」
セレーナが不安そうに呟く。侯爵の警告があったばかりだから、さすがに気になるみたい。
「大丈夫よ。小規模な実験だから問題ないと思うわ」
でも、これからはもっと気をつけなければならない。
明日はどんな発見が待っているかしら。監督官がいても、きっと面白い実験はできるはず。
「セレーナ、片付けは明日にして、今日はもう休みましょう」
「はい、お嬢様」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが小さく伸びをして、私の肩で眠りについた。
今日という緊張の一日に感謝しながら、私も部屋に戻ることにした。
これからもきっと面白い日々が続くはず。