第38話 爆発防止薬と予想外の静寂
「セレーナ、今日は昨日の約束通り『爆発防止薬』を作りましょう」
朝の実験室で、私はセレーナに声をかけた。
虹色の髪が朝日を受けて、今日は特に美しく輝いている。
「はい!お嬢様。今度こそ静かな実験を…」
セレーナが希望に満ちた表情で答える。昨日の一人実験で自信もついたようだ。
「ええ。屋敷の皆のためにも、爆発のない平穏な一日を過ごしましょう」
私が材料を確認していると、実験室のドアがノックされた。
「失礼いたします」
ハロルドが現れたが、顔色がまだ少し青い。
「ハロルド、胃の調子はどう?」
「おかげさまで回復しておりますが…今日は『爆発防止薬』と伺いまして」
「そうよ。今日は絶対に爆発させないから安心して」
「…それを何度もお聞きしておりますが」
ハロルドの苦笑いに、私は少し気まずくなった。確かに、これまで一度も約束を守れたことがない。
「今度こそ大丈夫よ!材料を見て」
机の上には『安定化水晶』『静寂の苔』『制御の薬草』『平穏エッセンス』が並んでいる。どれも穏やかな効果の材料ばかりだ。
「まずは『安定化水晶』を粉末にして基礎を作るわ」
セレーナが石臼で慎重に水晶を砕き始める。
——カラカラカラ
今度は控えめな音だけが響く。爆発的な反応は全くない。
「いい感じね。この粉末が全ての反応を穏やかにしてくれるの」
キラキラと光る水晶の粉は、まるで星屑のように美しい。
「次に『静寂の苔』を加えて…」
セレーナが苔を細かく刻んで混ぜ込む。
——シィィィン
まるで図書館のような静寂が実験室に広がった。
「すごい…本当に静かになりました」
「そうでしょう?この苔は音を吸収する性質があるのよ」
「今度は『制御の薬草』を加えましょう」
セレーナが薬草を投入すると、薬がゆっくりと渦を描き始めた。
——クルクルクル
まるで湖面に落ちた水滴のような、穏やかな波紋が広がっていく。
「美しいですね」
「これが制御機構よ。どんな激しい反応でも、この渦が穏やかに調整してくれるの」
ハロルドが興味深そうに覗き込んでいる。
「本当に爆発しませんね」
「当然よ!最後に『平穏エッセンス』を加えて完成—」
——シュゥゥゥウ
エッセンスを投入した瞬間、薬が美しい青色に変化した。そして実験室全体に心地よい静寂が満ちる。
「成功ね!完璧な『爆発防止薬』の完成よ」
「それでは効果を確認してみましょう」
私は爆発しやすい材料『火薬草』と『発火石』を用意した。
「お嬢様、それは危険では…」
「大丈夫よ。『爆発防止薬』があるもの」
火薬草に発火石の粉末をかけて、さらに爆発防止薬を一滴垂らすと—
——シィィィン
何も起こらない。完全な静寂だ。
「すごい!本当に爆発を防いでる」
セレーナが感動している。
「試しにもう少し激しい組み合わせを…」
今度は『雷鳴石』と『爆裂花』を混ぜてみる。普通なら大爆発確実の組み合わせだ。
そこに爆発防止薬を垂らすと—
——シ〜ン
またしても完璧な静寂。材料が穏やかに混ざり合っているだけだ。
「これは素晴らしい発明ですね」
ハロルドが感心している。顔色も随分良くなった。
その時、実験室に優雅な足音が響いた。
「失礼いたしますわ」
扉が開くと、完璧に整った赤茶色の縦ロールと、蒼い瞳が現れた。
「カタリナ!」
「おはようございますわ、ルナさん」
カタリナが優雅に一礼する。今日も完璧なお嬢様オーラを纏っている。
「今朝、屋敷の方角がとても静かでしたので、何か異変でもあったのかと思いまして」
「異変って…」
「いつもでしたら、朝の実験で何かしらの爆発音が聞こえてくるのですが、今日は全く聞こえませんでしたの」
カタリナの指摘に、私たちは顔を見合わせた。確かに、今日は一度も爆発していない。
「実は『爆発防止薬』を作ったのよ」
「まあ!それは素晴らしい発明ですわね」
カタリナが材料と完成品を優雅に観察している。
「効果のほどはいかがですの?」
「完璧よ!見ててちょうだい」
私は最も危険な組み合わせ『爆雷草』『火炎石』『連爆粉』を混ぜ合わせた。
「お嬢様、それは…」
ハロルドが青ざめる中、私は爆発防止薬を垂らした。
——シィィィン
完璧な静寂。材料が虹色に光りながら、穏やかに混ざり合っている。
「見事ですわ!これで安心して錬金術ができますのね」
カタリナが上品に手を叩いて褒めてくれた。
「それじゃあ、この爆発防止薬を常備薬にして…」
私が調子に乗って大量生産しようとした時、突然異変が起こった。
——ゴクン
薬草ウサギのハーブが、爆発防止薬をペロリと舐めてしまった。
「あ!ハーブ、だめよ」
——シィィィン
次の瞬間、ハーブの周囲に静寂の領域が発生した。
「ピュ…?」
ハーブが鳴こうとするが、声が全く聞こえない。
「あら、音が消えてるわ」
「これは…音そのものを無効化してしまったようですね」
カタリナが冷静に分析する。
さらに困ったことに、ハーブから静寂の波が広がり始めた。
——シィィィン
実験室全体が完全な無音空間になってしまった。
私たちが話そうとしても、口の動きは見えるが声が全く聞こえない。
「これは…」
口の形でセレーナが何かを言っているが、当然聞こえない。
カタリナが優雅に手話のような仕草をしているが、残念ながら読めない。
ハロルドが機転を利かせて紙とペンを持ってきた。
『爆発防止薬の効果が強すぎるようです』
私が紙に書くと、セレーナが続けた。
『ハーブさんが飲んだせいで、音まで防止されてしまいました』
カタリナが優雅な字で書き足す。
『この静寂は美しいですが、日常生活に支障が出ますわね』
『対処法を考えましょう』
私が書いていると、新たな問題が発生した。
実験室のドアが開いて、マリアが慌てて入ってきた。
口をパクパクと動かしているが、やはり声が聞こえない。
『マリア、どうしたの?』
紙に書いて見せると、マリアが返事を書いた。
『屋敷中が無音になってしまいました!使用人たちが大混乱です』
『料理の音も聞こえないので、焼き加減が分からないそうです』
なんと、爆発防止薬の効果が屋敷全体に広がってしまったようだ。
『音響回復薬を作りましょう』
私が提案すると、セレーナが首を振った。
『お嬢様、調合の音も聞こえないので、材料の反応が分からないのでは?』
確かにその通りだ。錬金術には音による判断が重要なのに、それができない。
カタリナが解決策を書いてくれた。
『視覚だけに頼りましょう。色と光の変化で判断するのです』
さすがカタリナ、冷静な判断力だ。
私たちは『音響回復薬』の材料を集めた。『共鳴水晶』『響き草』『音波エッセンス』。
セレーナが慎重に材料を混ぜ始める。
普段なら聞こえるはずの——
シュワシュワ、ブクブク、パチパチという音が全く聞こえない中、私たちは色の変化だけを頼りに調合を進めた。
——キラキラキラ
水晶が光り、薬が金色に変化する。
——ブワァァァ(無音)
泡が立っているのが見えるが、音は聞こえない。
——ピカピカピカ
最後に薬が虹色に光った。きっと完成の合図だ。
『完成したと思います』
セレーナが紙に書いて、恐る恐るハーブに一滴垂らした。
——…シィィィン
まだ静寂が続く。
でも、よく見るとハーブの周囲の静寂の波が少し弱くなっているようだ。
『もう少し量が必要かもしれません』
カタリナの提案で、もう一滴追加すると—
「ピューイ!」
突然、ハーブの声が聞こえた!
「聞こえる!音が戻ったわ!」
「やりました!」
セレーナが嬉しそうに声を上げる。
「見事な解決策でしたわ」
カタリナが優雅に拍手してくれた。
『音響回復薬』を屋敷中に散布して、ようやく日常の音が戻ってきた。
キッチンからは料理の音、廊下からは使用人たちの足音、庭からは鳥のさえずりが聞こえる。
「ほっと一息ね」
「でも『爆発防止薬』は使い方を間違えると危険だということが分かりました」
セレーナが反省している。
「そうね。適量を守ることが大切だわ」
「さて、爆発防止薬があるから、今度こそ静かな実験を…」
私が次の実験を始めようとした時、カタリナが不思議そうな顔をした。
「あの、ルナさん?」
「何?」
「爆発防止薬があると、逆に物足りない気がしませんこと?」
カタリナの指摘に、私ははっとした。
確かに、爆発のない錬金術は何だか物足りない。あの——ポンッ!という小気味よい音や、予想外の展開こそが錬金術の醍醐味なのかもしれない。
「そう言われてみれば…」
セレーナも同感のようだ。
「お嬢様の爆発があってこその日常でした」
「もしかして、程よい爆発は必要なのかしら?」
そんな話をしていると、実験室の窓にキラキラした光の玉が飛んできた。
「あら、スライムキングからの伝言ね」
光の玉に触れると、スライムキングの声が聞こえた。
『ルナちゃん、大変だヨ〜!ライトダンジョンに異変が起こってるヨ〜!』
「異変?」
『最近、ダンジョンの光が弱くなってきて、スライムたちが元気をなくしてるんだヨ〜』
「それは心配ね」
『できれば、ルナちゃんに見に来てもらいたいんだヨ〜』
スライムキングの心配そうな声に、私は即座に答えた。
「分かったわ。すぐに行きましょう」
「私も参りますわ」
カタリナが立ち上がった。
「私も一緒に行きます!」
セレーナも同行を申し出てくれた。
「それじゃあ、探検の準備をしましょう」
私は錬金術道具一式を鞄に詰め込んだ。
「あの…お嬢様」
セレーナが恐る恐る聞く。
「爆発防止薬は持って行かれますか?」
私は少し考えてから答えた。
「半分だけ持って行きましょう。危険な時は使うけれど、普段は程よい爆発も楽しみましょう」
「それが良いですわね」
カタリナが微笑む。
「では、ライトダンジョンの異変を調査に参りましょう」
「ハロルド、留守をよろしく」
「承知いたしました。どうか爆発にはお気をつけて」
「大丈夫よ。今日は爆発防止薬があるもの」
「…その爆発防止薬で今日一日大騒ぎだったのですが」
ハロルドの苦笑いを背に、私たちはライトダンジョンに向かって出発した。
一体どんな異変が起こっているのだろう。そして、私の錬金術で解決できるのだろうか。
爆発防止薬を持ってはいるけれど、きっとまた予想外の展開が待っているに違いない。
でも、それこそが私たちの日常。平穏すぎる毎日より、少しの何かがある方がずっと楽しいのだから。