第36話 お茶会とルナの大爆発
「お嬢様、お手紙でございます」
朝の実験室で『香り増強薬』の調合をしていた私に、セレーナが銀のお盆に乗せた手紙を持参した。
「手紙?誰から?」
封筒を手に取ろうとした瞬間——
「お茶会のご案内ですわね」
いつの間にか後ろに立っていたカタリナが、私の肩越しに手紙を覗き込んでいた。
「カタリナ!いつの間に……手紙を勝手に見ないでよ」
「失礼いたしました。でも封筒の紋章を見ればすぐに分かりますもの。グランヴィル侯爵家の紋章ですわ」
手紙を開くと、美しい便箋に丁寧な文字が並んでいた。
『拝啓 ルナ・アルケミ様
王立魔法学院での錬金術の成果、素晴らしく拝聴いたしております。
つきましては、来週の土曜日午後2時より、我が邸宅にて親睦のお茶会を開催いたします。
ぜひご参加くださいませ。
敬具 リアナ・グランヴィル』
「お茶会……」
私の手が震え始めた。
お茶会なんてちゃんと参加したことがない。礼儀作法もろくに知らない。
「ちなみに私も招待されておりますのよ。そして今回は特別ゲストとして王女様もご参加予定ですわ」
「おう、王女様!?」
さらに青ざめる私を見て、カタリナが微笑んでいる。
「カタリナ、お茶会の礼儀作法って……」
「もちろん、ティーカップの持ち方から始まり、会話の進め方、座り方の美しさ、お菓子の食べ方、挨拶の角度……」
「うわあああ」
頭を抱えていると、その時——
——ドッカァァァン!!!
実験中の『香り増強薬』が爆発した。
「お嬢様ああああ!」
ハロルドが慌てふためいている。
「大変です!屋敷が薔薇の香りで充満して……くしゃみが止まりません!はっくしょん!」
確かに実験室中も強烈な薔薇の香りに包まれている。
「はっくしょん!お嬢様!これでは……はっくしょん!お茶会の準備どころでは……はっくしょん!」
その騒動を聞きつけて、兄がため息をついて登場した。
「また妹がやったのか……今度は何だ?薔薇園が爆発したような香りだが」
「兄さん……お茶会に招待されたの」
「ああ、それは良かった。で、その準備で爆発を?」
「違うのよ、『香り増強薬』を作ってたら……」
——応接間——
「ルナさん、お困りのようですわね」
カタリナは爆発前に優雅に実験室から出ていた。
いつものように美しい縦ロールが完璧に整えられている。全てが完璧だわ。
「カタリナ!助けて!お茶会の礼儀作法が全然分からないの」
「まあ、それでしたら私にお任せくださいませ。完璧な礼儀作法をお教えいたします」
「本当?ありがとう!」
「まずは基本的なティーカップの持ち方から始めましょう」
カタリナが優雅にティーカップを持ち上げる。
「指は取っ手に通さず、親指と人差し指で摘むように……そして小指は立てませんのよ」
「こう?」
真似してみるが、何だかぎこちない。
「もう少し優雅に……そうです、でも肩の力を抜いて……」
「緊張するわ……」
「それでは、『優雅動作促進薬』を作ってみましょうか」
「そんな薬があるの?」
「ございませんが、ルナさんなら作れるでしょう?」
確かに面白いアイデアだ。
——実験室にて——
「『優雅動作促進薬』の材料は……『しなやかハーブ』『美しさエキス』『品格の粉』を使いましょう」
私が材料を取り出していると、カタリナが美しくメモを取っている。
「配合比率はどのように?」
「えーっと、適当に……」
「適当では困りますわ。優雅さに適当はございません」
カタリナが几帳面に計算を始めた。
「しなやかハーブ30ml、美しさエキス25ml、品格の粉15g……」
「カタリナは本当に几帳面ね」
材料を混ぜ始めると——
——ブクブクブク
薬が美しいピンク色に泡立った。
「いい色になったわ」
「でも、まだ優雅さが足りないような……」
カタリナが首をかしげている。
「それなら『貴族の香り』も追加してみる?」
「それは何ですの?」
「さっきの『香り増強薬』の失敗作から抽出したエキスよ」
さっきの爆発で生成された不思議なエキスを加えてみる。
——シュワシュワシュワ
薬が光り始めた。
「美しい光ですわね」
「効果テストしてみましょう」
薬を一滴、小さなスプーンに垂らして飲んでみる。
——キラキラキラ
身体中に暖かい感覚が広がった。
「どうですか?」
「何だか身体が軽やかになったような……」
立ち上がって歩いてみると、確かにいつもより優雅に動けている。
「すごいですわ!動きが美しくなってます」
「それなら礼儀作法の練習をしましょう」
——礼儀作法の特訓開始——
「まずは挨拶から。『本日はお招きいただき、ありがとうございます』と言いながら、15度の角度でお辞儀を……」
「本日はお招きいただき……」
薬の効果で、確かにいつもより優雅にお辞儀ができた。
「素晴らしいですわ!次は歩き方。背筋を伸ばして、足音を立てずに……」
優雅に歩く練習をしていると、だんだん調子に乗ってきた。
「これは簡単ね!」
「それでは次は会話です。天気の話から始めて、季節の花について……」
「今日は良いお天気ですわね~、薔薇がとても美しく……」
練習していると、薬の効果が切れてきたのか、だんだん普通の動きに戻ってしまった。
「あれ?効果が弱くなったかしら」
「もう少し効果の持続時間を延ばしましょう」
——効果持続薬の調合——
「『持続力強化剤』と『安定化エキス』を追加してみます」
材料を混ぜていると、薬が激しく泡立ち始めた。
——ブクブクブクブク
「何だか激しく反応してますわね」
「大丈夫よ、いつものこと……」
でも今回の泡立ちはいつもより激しい。
——ブクブクブクブクブク
「ルナさん、少し危険な感じが……」
カタリナが心配そうに言った瞬間——
——ドッッッカァァァァン!!!
大爆発が実験室を揺らした。
「きゃああああ!」
カタリナが私に抱きついている。
「お嬢様ああああ!」
ハロルドが真っ青になって飛び込んできた。
「実験室から虹色の煙が!これは一体何の実験を……!」
慌てふためくハロルドの後ろから、兄がまたため息をついて現れた。
「また妹がやったのか……今度は虹色の煙だな。礼儀作法の爆発練習とでも言うのか?」
「兄さん、違うのよ……」
煙が晴れると、実験室中がキラキラした粉で覆われていた。まるで妖精の粉のように美しい。
「これは……」
「美しいですわね」
その粉を少し吸い込むと——
——キラキラキラ
今度は身体中が光り始めた。
「ルナさん、光ってますわ」
「カタリナも光ってるわよ」
二人とも幻想的に光りながら、驚くほど優雅に動き回っている。
「これはすごい効果ね」
「まさに『完璧優雅薬』ですわ」
——翌日・追加練習——
「昨日の薬の効果で、基本的な動作は覚えられましたから、今日は実践練習ですわ」
カタリナが模擬お茶会セットを用意してくれた。
「まずは入室から。ドアをノックして、『失礼いたします』と言って入室……」
「失礼いたします」
優雅にドアを開けて入室。昨日の薬の余韻で、動きがスムーズだ。
「完璧ですわ。次は席への案内。『こちらへどうぞ』と言われたら、『ありがとうございます』と答えて……」
練習を重ねていくうちに、だんだん自信がついてきた。
「もしかして、私にも礼儀作法の才能があるのかしら?」
「ルナさんは何でも上達が早いですわ」
調子に乗った私は、さらなる向上を目指すことにした。
「『超級優雅薬』を作ってみる?」
「超級ですか?」
「ええ、お茶会で誰よりも優雅になるのよ」
——『超級優雅薬』の調合——
前回の成功を基に、さらに高級な材料を使ってみる。
「『最高級しなやかハーブ』『極上美しさエキス』『究極品格の粉』『貴族オーラ濃縮液』……」
「材料名がすごいですわね」
「効果も最高級よ」
材料を慎重に混ぜていくと、薬が金色に光り始めた。
——キラキラキラ
「美しい金色ですわ」
「完璧な色ね」
でもその時、私がうっかり『爆発防止剤』と『爆発促進剤』を間違えてしまった。
「あ……」
——ドォォォォォン!!!
これまでで最大級の爆発が起こった。
「お嬢様ああああああ!」
ハロルドが金庫の陰に隠れながら叫んでいる。
「実験室が……実験室が金色の竜巻に……!」
確かに実験室中が金色の竜巻に包まれている。
そこに兄が慣れた様子で登場。
「また妹がやったのか……今度は金色の竜巻だな。お茶会の練習でこの騒ぎとは、当日が思いやられる」
「兄さん……」
竜巻が収まると、私たちは金色の粉にまみれていた。
「今度はどんな効果かしら?」
恐る恐る立ち上がってみると——
——キラキラキラキラ
今度は動きが優雅すぎて、まるでスローモーションのよう。
「ルナさん、動きが美しすぎますわ」
「カタリナも女神様みたい」
あまりに優雅すぎて、逆に不自然になってしまった。
「これは……やりすぎですわね」
「そうみたい。お茶会で浮いてしまいそう」
——お茶会当日——
結局、薬に頼らず、カタリナに教えてもらった基本的な礼儀作法で臨むことにした。
グランヴィル侯爵邸の豪華な応接間には、美しいお嬢様方が集まっている。
「ルナ・アルケミ様、本日はお忙しい中……」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
練習通りに15度のお辞儀。完璧だ。
「錬金術の才能、素晴らしいと伺っております」
「お褒めいただき恐縮です」
お茶会は順調に進んでいる。ティーカップも優雅に持てているし、会話も自然にできている。
「この紅茶、とても美味しいです」
「ダージリンでございます。香りがお気に召しましたでしょうか」
「ええ、とても上品な香りで……」
その時、ふと昨日の『香り増強薬』の爆発を思い出して、つい笑ってしまった。
「何かおかしいことでも?」
「いえ、昨日香りの実験をしていて、大爆発を起こしてしまったことを思い出して……」
「まあ、爆発ですか」
お嬢様方が興味深そうに身を乗り出す。
「錬金術の実験では爆発はよくあることなのですか?」
「ええ、毎日のように……つい先ほども実験室で金色の竜巻を……」
気づくと、私は爆発談義に夢中になっていた。
礼儀作法のことなんて忘れて、楽しそうに実験の失敗談を話している。
「とても興味深いですわ」
「私も錬金術を習ってみたくなりましたわ」
お嬢様方が目を輝かせて聞いている。
——お茶会終了後——
「ルナさん、とても楽しいお茶会でしたわ」
帰り道、カタリナが微笑んでいる。
「礼儀作法はどうだった?」
「最初は完璧でしたが、途中から爆発談義で盛り上がってしまいましたわね」
「でも、皆さん楽しそうだったでしょう?」
「ええ、とても。ルナさんらしい自然な魅力だったと思います」
「結局、薬に頼らなくても大丈夫だったのね」
「でも、練習の成果は出ていました。基本的な礼儀作法は身についていましたもの」
——その夜——
「お疲れ様でした、お嬢様」
セレーナが温かい紅茶を運んできた。
「今日のお茶会、どうでしたか?」
「とても楽しかったわ。薬を使わなくても、自分らしいのが一番だって分かったの」
「それは良かったです。明日からはまた実験ですか?」
「ええ、今度は『お茶の美味しさ向上薬』に挑戦してみるわ」
「また爆発しそうですね」
「たぶんね」
窓の外を見ると、星が美しく輝いている。今日は礼儀作法を学べて、新しいお友達もできて、充実した一日だった。
「あれ?王女様ってどこにいたのかしら?」
「ハーブ、今日もお疲れ様」
「ピューイ」
薬草ウサギが満足そうに鳴いた。
明日からはまた新しい実験が待っている。でも今度は爆発を少し控えめにしよう……たぶん。
それが私の楽しい錬金術師としての日常だった。