第250話 約束の光 ―思い出の妖精メモリーII―
王都は銀世界だった。
冬の朝陽が、白い雪に反射して、あたりを淡く照らしている。王都の空は、本当に澄んでいた。
「お嬢様、今年の出展は何にされまるのですか?」
セレーナが聞いてくる。
卒業を控えた私たちは、学院最後の行事「冬至の光典礼」の準備に追われていた。もう、このイベントも、これが最後なんだ。
「ふふっ。去年の"思い出の光"を進化させたの。題して——『約束の灯』!」
私は、自信満々に答えた。
「去年の記憶の雫と冬至の炎の鍋を融合させた、特別な光のランタンなんだ。中には、去年の約束を覚えている心を記録してあるんだよ」
去年の「思い出の光」。それは、思い出の妖精メモリーが生まれた、特別なイベントだ。あの時、私と彼女は、「来年も必ず会う」という約束をした。
今年のテーマは「再会の光」。
だから、私は、その約束を形にしたかったのだ。
「お嬢様らしいですね」
セレーナは、微笑みながら、ノートに何かメモを取った。
夜になると、学院の広場は、豪華な氷灯祭の会場になっていた。
氷で作られた像が、魔法の光で照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。今年のテーマ「再会の光」を表現するように、複数の氷の像が、互いに手を伸ばす姿勢で立っていた。
カタリナは、優雅な衣装で司会進行を担当していた。赤茶色の髪が、光に反射して輝いている。
「皆さん、本年の冬至の光典礼にようこそ。今年のテーマは『再会の光』です」
彼女の声は、広場全体に響き渡った。
「失われたものとの再会、旅立った誰かとの思い出の再会。そのような願いを込めた、光の祭典となります」
観客たちから、静かな拍手が起こった。
私は、中庭のテント内で、最後の調合をしていた。
「よし。『記憶の雫』を『冬至の炎の鍋』に注ぐ。そして、『再会の心石』をかかしと……」
すべての材料が揃っていた。
だが――
ボウルの中の液体は、光らない。
去年と同じ素材なのに。
去年と同じ手順なのに。
「おかしい……」
私は、眉をひそめた。
「何か……足りない……?」
その時だった。
「ルナさん」
カタリナが、テント内に入ってきた。
彼女は、優雅に立ち、意味深に微笑んだ。
「あなた、去年の"記憶"を忘れていませんか?」
「え?」
「去年の"メモリーとの約束"を、忙しさに埋もれかけていたことに」
その言葉に、私の心が、ぴたりと止まった。
気づいた。
去年の冬至祭で、メモリーと交わした約束。
「必ず来年も会おう。そして、また一緒に光を作ろう」
だが、期末試験の勉強に、新しい錬金術の研究に、いろいろなことに忙しくて、その約束のことを、完全に忘れてはいなかったが、心の底から思い出していなかったのだ。
「あ……」
私は、ボウルの中を見つめた。
光が生まれるためには、単なる化学反応だけでは足りないのだ。
心が必要なのだ。
「ルナさん、記憶は、物質ではありません。心で作られるものですわ」
カタリナは、そっと、私の頭を撫でた。
「あなたの『約束を守りたい』という心が、この光を照らすのです」
その時だった。
夜空に、一筋の光が走った。
まるで雪が逆流するように、光が私のボウルに吸い込まれていく。
「……メモリー?」
ボウルの中で、光が渦巻き始めた。
そして――
薄紫色の光が、小さな妖精の姿を作った。
去年の妖精。思い出の妖精メモリー。
だが、彼女の光は、淡かった。
「ルナさん……約束、覚えてくれていましたか?」
メモリーの声は、今にも消えそうな儚さを持っていた。
「もちろん。忘れるわけないわ」
私は、思わず涙をこぼしていた。
「ごめんなさい。忙しくて、ちょっと……」
「よかった。私は"思い出"の存在。誰かが忘れてしまうと、消えてしまうんです」
メモリーは、そっと微笑んだ。
「あなたが覚えていてくれる限り、私は存在できる」
「メモリー……」
「この一年、私は、あなたたちの思い出の中で生きていました。期末試験の時、あなたが大変な思いをしていた時も。温泉の時も。すべての瞬間で、あなたの心に、私はいたのです」
メモリーの光は、ますます淡くなっていった。
「でも、約束の時が来たから、もう一度、あなたに会いに来たのです」
「メモリー……」
「ルナさん。皆さんの"再会の願い"を、この光に込めてくれませんか?」
私は、涙をこぼしながら、ボウルの炎に手をかざした。
自分の記憶と心を注ぐように。
一年間の思い出。
温泉での笑い。
冬至祭での期待。
メモリーとの再会。
そして、これからの旅立ち。
すべてを、この光に込めた。
「皆さんの"再会の願い"を、この光に込めて!」
私が両手を掲げた時、ランタンの光が、街中に広がった。
それぞれの家々の窓が淡く輝き、氷像が優しく光り始めた。
失われた"思い出"たちが一瞬だけ蘇った。
広場では、人々が静かに微笑んでいた。
子供たちが、懐かしい顔を思い浮かべている。
大人たちが、旅立った誰かを想っている。
老人たちが、遠い過去との再会を喜んでいる。
その中で、メモリーの姿が、少しずつ薄くなっていた。
「また会える?」
私が、涙ぐみながら聞いた。
「はい。思い出は消えません」
メモリーは、優しく微笑んだ。
「皆さんの心にある限り」
彼女は、雪の粒になり、夜空へ溶けていった。
その瞬間、空には、巨大な光のオーロラが現れた。
緑色と紫色が、淡く揺らめきながら、夜空全体を包んだ。
それが、今年の"冬至の奇跡"となった。
広場の人々が、息をのんだ。
カタリナは、私のそばに来た。
「素晴らしい錬金術ですわ。ルナさん」
「これは……錬金術じゃなくて」
私は、オーロラを見上げた。
「心の化学反応だと思う。記憶を光に変える、心の錬金術」
祭が終わり、帰り道。
兄さんと一緒に、学院から出た。
「ルナ、素晴らしかったな。あのオーロラ」
「ありがとう、兄さん」
「来年は、もうこの学院にはいないんだな」
「うん。卒業しちゃう」
兄さんは、そっと、私の肩に手を置いた。
カタリナとエリオットは、別々の道を歩んでいた。
彼らも、それぞれの家族と、帰路に着いているのだろう。
ふわりちゃんは、私の肩の上で、ふみゅふみゅと鳴いていた。
ハーブは、ポケットの中で、ピューイと、満足げな声を出していた。
「来年は……もう学院にはいないけど、メモリーには届くかしら」
私が、空を見上げながら、つぶやいた。
「ええ、きっと届きますわ」
その時、カタリナが、私のそばに来た。
彼女は、夜空を見上げ、そっと微笑んだ。
「記憶は、場所に縛られないもの。あなたがどこにいても、メモリーはあなたの心の中にいるのです」
「カタリナ……」
「そして、私たちは、ずっと友達ですわ。卒業後も、絶対に」
彼女は、そっと、私の手を握った。
空には、ひときわ強く輝く光の粒がひとつ。
それは、"約束を守った証"のように、優しく瞬いていた。
その光を見つめながら、私は思った。
記憶とは。
再会とは。
友情とは。
すべてが、一つの光に込められているのだと。
そして、その光は、決して消えることはないのだと。
卒業を控えた冬の夜。
王立魔法学院の最後の冬至祭は、静かに終わった。
だが、その光は、確かに、心に刻まれた。
ルナ・アルケミの錬金術人生の、最高傑作として。




