第248話 氷上舞踏会、華麗なるすっ転び事件
冬の王立魔法学院は、白い世界に包まれていた。
そして、体育館には、一つの奇跡が起きていた。
「わあ、すごい。氷魔法でスケートリンクを作ったんだ」
私は、学院体育館に設置された氷魔法リンクを眺めていた。カタリナの友人の一人である、魔法技術に長けた女性が、このリンクを作ったのだ。
冬季恒例「氷上舞踏会」。これは学院の中でも特に格式高いイベントで、優雅な魔法と舞踏を融合させた芸術的なパフォーマンスが繰り広げられるのだ。
「ルナさん、補助魔法の準備は大丈夫ですか?」
カタリナは、スケート靴を履きながら聞いた。彼女の赤茶色の髪は、今日のために特別にまとめられ、青いドレスに身を包んでいた。まさに、完璧な貴族令嬢だ。
「あ、はい。えっと、『速度増幅液』と『軽量化薬』を混ぜた補助魔法をかけようと思って」
「見事ですわ。その組み合わせなら、スムーズな滑りが実現できますわね」
カタリナは頷いた。彼女の信頼が、私にのしかかる。
「では、お願いしますの」
「分かった。やってみる」
私は両手をカタリナに向けて、魔法を行使した。
『速度増幅液』――これは、対象の移動速度を増幅する薬だ。『軽量化薬』――これは、対象の重さを軽くする薬だ。この二つを組み合わせれば、スケート靴でもより滑りやすくなるはずだ。
理論上は。
「えっと……感覚はどう?」
「ええ、感覚としては悪くありませんわ」
カタリナはスケート靴を履いたまま、そっと氷の上に足を下ろした。
数時間後、氷上舞踏会が始まった。
体育館には、王立魔法学院の生徒たちが観客として集まっていた。座った状態で、氷のリンクを見下ろしている。
最初の演者たちは、完璧な舞踏を披露した。火の魔法を背景に、炎の色に合わせて踊る者。水の魔法で、波のような動きを表現する者。風の魔法で、空中を優雅に舞う者。
それらは全て、素晴らしいパフォーマンスだった。
「では、次の演者をお迎えしましょう」
司会者が言った。
「ローゼン侯爵家の令嬢、カタリナ・ローゼン、『月灯りの円舞曲』をお贈りします」
満場の拍手が起こった。
カタリナが、氷のリンクの中央に立った。彼女のドレスが、白く輝いている。その美しさに、観客たちは一瞬息をのんだ。
そして、音楽が始まった。
古典的で、優雅なメロディだ。
カタリナは、ゆっくりと滑り始めた。
一歩、また一歩。その動きは、ただのスケートではなく、舞踏だった。彼女の体が、音楽に合わせて、優雅に動く。
「美しい……」
観客たちから、うっとりとした声が漏れた。
カタリナは、回転を始めた。スケート靴で、音楽に合わせて、くるりと回転する。その姿は、まるで月の光のようだ。
速度が上がる。
回転がより早くなる。
「ほう、なかなかの……」
と、その時だった。
「えっと、ちょっと待って!」
私は、スタンドから飛び出した。
何か、計算が間違っていた。
『速度増幅液』と『軽量化薬』を混ぜるというのは、理論上は正しい。しかし、氷の上でそれをかけると、どうなるのか。
摩擦力がほぼなくなり、重力も軽くなり、速度だけが増幅される。
つまり、スケート靴は――ロケットになるのだ。
「あ、あああ……」
カタリナの悲鳴が、体育館に響き渡った。
彼女は、氷の上を、時速100キロ以上のスピードで滑っていた。いや、もはや『滑っている』というより『飛んでいる』に近い。
「ルナさん!これはどういうことですか!」
カタリナが叫ぶ。だが、彼女の声は、高速移動によって、音も歪んでいた。
「あ、あああ……」
私は固まっていた。
「こ、これは……」
セレーナが、隣で呆然とつぶやいた。
「物理的に、スケート靴がロケット化しています……」
体育館全体が、沈黙に包まれた。
だが、ここからが、カタリナの真の力が発揮される瞬間だった。
高速で移動するカタリナは、氷のコーナーで、自動的に回転を始めた。
「グオオオォォ!」
……違う、それはドラゴンではなく、カタリナの、悲鳴に近い叫びだ。
「えいっ!」
カタリナが、両手を上げた。その手から、『治癒の光』の魔法が発動した。
その光は、彼女の体を浮かせた。
スケート靴は、氷の上を滑るのではなく、空中を駆け抜け始めた。
カタリナは、空中で回転を始めた。
優雅に。
華麗に。
まるで、誰かが指揮しているかのように、完璧な円を描きながら、彼女は上昇していく。
「あ、あああ……」
観客たちは、目を上げた。
カタリナは、体育館の天井近くまで舞い上がっていたのだ。
そして、その上昇の最中、彼女は回転を止めなかった。
くるり、くるり、くるり……
白いドレスが、月の光のように輝きながら、回転する。
空中で、音楽に合わせて、彼女は踊っていたのだ。
「これは……新しい舞踏表現だ……!」
グリムウッド教授が、立ち上がった。彼の顔には、驚嘆の表情が浮かんでいた。
「空間を利用した、三次元的な舞踏。これまで、誰も見たことがない……!」
「(物理的に)次元が違います……」
エリオットが、メモを取りながらつぶやいた。彼の表情は、真摯だ。彼は、カタリナの舞踏を、物理学と魔法学の融合として分析していたのだ。
「古代の魔法陣と、現代の錬金術。そして、スケート靴という物理的な道具。それらが、このような現象を生み出すとは……」
モーガン先生も、その場で茫然としていた。
「まるで、魔法と物理学の融合……新しい学問の可能性を示唆している」
カンナバール教官も、その低い声で言った。
「さすがカタリナ嬢。並ではない」
そして、ついにその時が来た。
カタリナは、体育館の天井付近から、ゆっくりと降下し始めた。
彼女の両手から、『花咲の魔法』の光が放たれた。薄紫色の光が、彼女の周囲に花びらを舞わせる。
その花びらに包まれながら、彼女は優雅に回転を続ける。
そして――
ふわり、と。
彼女の足が、氷の上に着地した。
見事な着地だった。
完璧だった。
観客たちは、一瞬息をのんだ。その後、拍手が、嵐のように起こった。
「素晴らしい!」「感動した!」「これ、何ですか!」
観客たちの声が、体育館全体に響き渡った。
「ええー……」
私は、セレーナとエリオットの前で、頭を抱えていた。
「私、何も良いことしてなくない?」
「お嬢様」
セレーナが、優しく笑った。
「カタリナお嬢様の『新しい舞踏表現』は、あなたの錬金術から始まったんですよ」
「でも、それは事故だし……」
「そうです。ですが芸術とは時に予期しない場所から生まれるものです」
エリオットが、ノートを閉じた。
「ルナさんの『速度増幅液』と『軽量化薬』の組み合わせは、通常の氷上舞踏では不可能な、三次元的な運動を実現させました。その結果、カタリナさんは、新しい舞踏表現を生み出したのです」
「え、でも……」
「これはね、ルナさん。錬金術と魔法の融合が、新しい芸術を生み出す可能性を示唆しているのです。理論的には、非常に興味深い」
エリオットは、真摯な表情で言った。
「古代魔法陣の技術を、現代の舞踏に応用する。その発見は、学問的に見ても、極めて重要なのです」
その舞踏は、後に「空中円舞曲」と呼ばれるようになった。
王立魔法学院の冬季イベントの中で、最も美しいと評される舞踏として。
カタリナは、この舞踏をもう一度、再現することはしなかった。なぜなら、それは「事故」から生まれた、一度きりの奇跡だったからだ。
だが、その映像は、王都全体に広がった。
新聞社は、大きく報じた。
「ローゼン侯爵家の令嬢、空中で舞う。新しい舞踏表現、誕生」
翌週には、魔法学の学術誌にも取り上げられた。
「錬金術と魔法の融合が生み出す、新しい可能性」
その記事には、エリオットの分析も含まれていた。
数日後、私は、カタリナに謝っていた。
「本当に、ごめんなさい。スケート靴をロケット化させてしまって……」
「いいえ、ルナさん。むしろ、ありがとうございますの」
カタリナは、微笑んでいた。
「あの時の『空中円舞曲』は、私の人生の中で、最も美しいパフォーマンスだったと思います。もし、あなたの錬金術がなければ、それは生まれなかったのです」
「え、本当?」
「はい。失敗から、時に最も美しい成功が生まれるのです。それは、錬金術にも、舞踏にも、人生にも共通することだと思いますの」
セレーナが、隣でうっとりと聞いていた。
「カタリナお嬢様、本当に素敵です……」
その夜、ふわりちゃんは、私の肩の上で、ふみゅふみゅと嬉しそうに鳴いていた。
ハーブも、ポケットの中で、ピューイと満足げな鳴き声を出していた。
王立魔法学院の冬季イベントは、一つの伝説を残したのだ。
「空中円舞曲」
それは、私の錬金術の失敗から始まり、カタリナの優雅さと魔法の力によって完成した奇跡。
王都の人々は、その映像を何度も何度も見返すようになるのだという。
私は、ふわりちゃんと一緒に、空を見上げた。
「次は、爆発なしで成功するといいな」
「ふみゅ?」
ふわりちゃんが、首をかしげた。
その返答こそが、私に必要な全てだった。




