第247話 森の精霊と秋の契約
秋の森は、まだ陽が高い午後の時間帯だった。
ふわりちゃんとわたしたちは、前夜の宴から一夜明けて、再び森へ足を運んでいた。セレーナの天使化による浄化のおかげで、精霊たちは穏やかな目覚めを迎えたらしい。
「ルナさん、今日は何のためにお越しなのですか?」
カタリナが、落ち葉を踏み分けながら聞く。昨夜の宴はお祝いだったはずなのに、紅葉の精霊からはわたしに直接、連絡が届いていた。
『秋の契約を結んでほしい』と。
「紅葉の精霊が、何か重要な契約があるんだって。詳しくは会って聞こうよ」
わたしは、胸をときめかせながら歩く。森の精霊と契約を結ぶなんて、錬金術の研究にとって大きな転機になるかもしれない。
「ふみゅ?」
肩のふわりちゃんが、首をかしげる。彼女は昨夜のMVP以来、精霊たちからも特別な信頼を受けているようだ。
林が開けると、昨夜と同じ場所に、精霊たちが集まっていた。昼間の日差しの中で見ると、彼らの光はより柔らかく見える。
紅葉の精霊が、わたしたちに気がつくと、ふらふらと歩み寄ってくる。
「ああ、ようこそ……昨夜はお疲れ様……」
彼女の顔は、まだ少し赤らんでいた。ワインの酔いが、完全には覚めていないようだ。
「紅葉さん、大丈夫ですか?」
セレーナが心配そうに聞く。
「ああ……つまりね。秋の契約というのは……毎年、秋の終わりに森の精霊たちが、次の冬に向けて活動することを約束する儀式なんだ」
紅葉の精霊は、ゆっくりと説明する。彼女は、そのまま木の根元に座り込んでしまった。
「そして、その契約を成立させるには……」
彼女は、わたしをじっと見つめる。
「契約の証として、三つの『喜び』が必要なんだ」
「三つの喜び?」
わたしは、聞き返す。
「ああ。『栗の精霊の笑い声』『キノコの精霊の踊り』『紅葉の精霊の酔い覚まし』だ。この三つが揃えば、森に秋の祝福が広がり、冬への準備が整う」
紅葉の精霊は、そう説明する。昨夜の宴で見た栗の精霊の笑い声は、心からの喜びに満ちていた。キノコの精霊の踊りは、命がけで生き残ったことへの感謝の踊りに違いない。
「そして……」
紅葉の精霊は、ため息をつく。
「わたしの酔い覚ましだ。毎年、わたしはワインを飲みすぎて、酔いどれになってしまう。それを誰かに覚ましてもらわないと、秋の契約が成立しないんだ」
「覚ましてくれる精霊はいないんですか?」
カタリナが質問する。
「ああ……昔は、冬の精霊がやってくれたのだが、最近は姿を見せないんだ……」
紅葉の精霊は、悲しそうに呟く。
「ルナに頼みたいんだ。君なら、魔法や錬金術で、わたしの酔いを覚ましてくれるかもしれない」
紅葉の精霊は、わたしに期待を寄せる。
「やってみます!」
わたしは、即座に返事する。栗の精霊の笑い声とキノコの精霊の踊りは、昨夜すでに見ている。あとは、紅葉の精霊の酔いを覚ましたら、契約成立だ。
「では、紅葉さんの酔いを覚ます方法を……」
わたしは、ポケットから薬瓶を取り出す。
「『魔力鎮静薬』はどうでしょう?」
『魔力鎮静薬』は、『静寂の花』『安らぎの石』『深い眠りの水』から作られた、薄紫色の液体だ。この薬は、魔力を鎮める効果がある。精霊たちも魔力の存在だから、この薬を使えば、酔いも鎮まるかもしれない。
「試してみてくれ」
紅葉の精霊は、わたしの薬を受け取る。彼女は躊躇なく、その薄紫色の液体を飲み干す。
一瞬、何も起こらなかった。
しかし、その次の瞬間——
「ぐぅ……」
紅葉の精霊の声が、大きなあくびに変わった。
「あ……あれ……?」
彼女の瞳が、うつろになっていく。
「紅葉さん……?」
わたしが呼びかけたが、返事はない。紅葉の精霊の身体は、ゆっくりと前に倒れ始める。
「あ……」
彼女は、そのまま木の根元で横になってしまった。彼女の顔は、穏やかな寝顔に変わっていた。
「ル、ルナさん……」
カタリナが、呆れた表情で笑う。
「『魔力鎮静薬』は……酔い覚ましではなく、睡眠薬だったのですね」
セレーナも、くすくすと笑っている。
「あ……そっか。『深い眠りの水』が入ってた……」
わたしは、自分の失敗に気がつく。『魔力鎮静薬』は、あくまで『静寂』と『安らぎ』と『眠り』の三つの要素で構成されていた。それは酔いを覚ますのではなく、眠らせるのだ。
他の精霊たちは、わたしたちの様子を見ながら、困った表情でじっと立っている。栗の精霊は転がるのをやめて、紅葉の精霊の寝姿を見つめている。キノコの精霊は、踊りをやめて、首をかしげている。
「あ……どうしよう。紅葉さんが眠っちゃった」
わたしは、途方に暮れる。このままでは、秋の契約が成立しない。
その時、ふわりちゃんが、わたしの肩から飛び降りた。
「ふみゅ?」
小さな白いボールのような生き物は、眠った紅葉の精霊の前に立つ。彼女は、くるくると回りながら、何か考えているようだ。
「ふみゅう……ふわり……」
ふわりちゃんは、ゆっくりと歩を進める。そして、紅葉の精霊の顔の前に座った。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが、かわいらしく鳴く。その瞬間、紅葉の精霊の周りに、淡い光が灯る。ふわりちゃんの「浄化の光」だ。
「あ……ふわりちゃんが……」
わたしは、ふわりちゃんの行動に気がつく。彼女は、紅葉の精霊の酔いと眠気を、浄化しようとしているのだ。
淡い光は、紅葉の精霊の身体を優しく包む。その光に触れた精霊は、ゆっくりと目を開ける。
「ん……あ……」
紅葉の精霊が、目覚める。彼女は、まだぼんやりとしている。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが、もう一度、高く鳴く。
その瞬間、紅葉の精霊の顔から、酔いの赤さが消える。彼女の瞳は、しっかりとした光を取り戻す。
「あ……わたし……何が……」
紅葉の精霊は、ぼんやりと起き上がる。彼女の表情を見ると、酔いも眠気も、すっかり消えているようだ。
「ふわりちゃんが、紅葉さんの酔いを浄化してくれたんです」
セレーナが、説明する。
「あ……本当だ。頭がすっきりしている……」
紅葉の精霊は、自分の状態に驚く。
その時、栗の精霊が、くるくると転がり始めた。
「キャハハハハ!」
彼女の笑い声は、昨夜と同じように、心からの喜びに満ちていた。その笑い声は、森全体に響き渡る。
そして、キノコの精霊が、ゆっくりと立ち上がった。
「では、わたしも……」
彼女は、音もなく踊り始める。昨夜のように派手ではなく、でも確かに感謝の気持ちを込めた、優雅な踊りだ。
三つの要素が、揃った。
『栗の精霊の笑い声』『キノコの精霊の踊り』『紅葉の精霊の酔い覚まし』。
その瞬間——
森全体が、淡い光に包まれた。
紅葉が一層鮮やかになり、栗が金色に輝き、落ち葉が舞い上がる。その中を、ふわりちゃんが飛び回っている。
「ふみゅみゅ!」
彼女の可愛らしい鳴き声は、森全体に響き渡る。
やがて、光は消える。しかし、森の雰囲気は確実に変わっていた。秋から冬へ移りゆく季節の移ろいが、この瞬間、完成されたのだ。
「ありがとうルナ……そして、ふわりちゃん」
紅葉の精霊は、わたしとふわりちゃんに感謝の言葉を述べる。彼女の顔には、幸せな笑顔が浮かんでいた。
「秋の契約が成立した。これで、冬への準備が整う。森の精霊たちも、安心して冬眠に入ることができる」
「本当ですか?」
カタリナが、聞く。
「ああ。おかげで……毎年の悩みが、解決してくれた。感謝する」
紅葉の精霊は、わたしの肩に手を置く。彼女の手は、温かく、そして優しかった。
「ふみゅ……ふわり」
ふわりちゃんが、紅葉の精霊の肩に乗る。
二人(人と精霊)の間に、確かな絆が結ばれたように感じた。
森は、秋から冬へ、確実に足を進めていく。
落ち葉が、一枚また一枚と、地面に積もっていく。
その中で、わたしたちは、精霊たちとの新しい契約を結んだのであった。
次の春まで、この森の精霊たちは、穏やかに冬を過ごすだろう。
そして、春が来たときに、また新しい季節の宴が開かれるかもしれない。
わたしたちは、森を後にしながら、そんなことを考えていた。




