第242話 ドラゴンの主役争い
「ルナさん、大変ですわ!」
カタリナが息を切らせて私の実験室に飛び込んできたのは、穏やかな午後のことだった。
「どうしたの、カタリナ?また副校長が変な行事を企画した?」
「それもありますけど、今回は違いますの! 魔法演劇サークルで大問題が発生していますのよ!」
魔法演劇サークル。そういえば、私が以前の実験で偶然生み出してしまったドラゴンが、正式にマスコット兼特別団員として所属していたっけ。
「まさか、ドラゴンが何か?」
「その通りですわ!新作の主役を巡って、ヴィリアさんとドラゴンが対立していますの!」
「……え?」
思わず手にしていた試験管を取り落としそうになった。セレーナが素早くフォローしてくれる。
「お嬢様、落ち着いてください」
「いや、でも、ドラゴンと人間が主役を争うって、どういう状況?」
「ふみゅ?」
肩の上でふわりちゃんも首を傾げている。
「とにかく、現場を見た方が早いですわ!」
カタリナに引っ張られて、魔法演劇サークルの稽古場へ向かった。
扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
舞台の上で、濃い紫の髪をポニーテールにまとめたヴィリア・レインクと、私の錬金ドラゴンが向かい合っている。ドラゴンの目には、明らかに闘志が燃えていた。
「グルル……!」
「あなた、本気なの?」
ヴィリアが凛とした声でドラゴンに問いかけた。
「グオオオォォ!」
ドラゴンが力強く吠えた。その声には、確かな意志が込められている。
「ルナさん!通訳をお願いしますわ!」
カタリナに促されて、私は魔物との意思疎通能力を発動させた。
「えっと……ドラゴンは『演技力では誰にも負けない。主役は自分がやるべきだ』って言ってる」
「やっぱり!」
ヴィリアが嬉しそうに笑った。
「素晴らしいわ!役者としての誇りを持っているのね!」
「いや、ヴィリアさん、それ喜んでる場合?」
「喜ぶべきよ!真剣に演技と向き合ってくれる仲間がいるなんて、最高じゃない!」
さすが女優、ポジティブすぎる。
サークルの他のメンバーたちが、困惑した表情で見守っていた。
「あの、ルナ先輩……どうしましょう?」
後輩の一人が恐る恐る聞いてくる。
「えっと、そもそも何の演目なの?」
「『竜と勇者の物語』です。竜と勇者が対立から理解へと至る、感動の大作なんですよ」
「……それ、ドラゴンが主役やりたがるの、わかる気がする」
だって竜の物語だもの。ドラゴン的には、これほど自分に相応しい役はないと思うだろう。
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんが心配そうに鳴いた。ポケットの中のハーブも「ピューイ……」と不安げだ。
「では、オーディションで決めましょう!」
ヴィリアが宣言した。
「オーディション?」
「ええ!公平に、演技力で勝負するの!それが役者としての正しい姿よ!」
「グオオオォォ!」
ドラゴンも賛成らしい。炎を少し吐いて、やる気を示している。
「ルナさん、これは見物ですわね」
カタリナが楽しそうに呟いた。完全に観客モードだ。
かくして、前代未聞の「ドラゴンvs人間」主役オーディションが始まった。
まずはヴィリアから。
彼女が舞台中央に立ち、深呼吸をした。そして……
「我は竜なり!この世界を統べる者なり!だが……」
ヴィリアの声が、劇場中に響き渡った。その演技は圧巻で、まるで本当に竜が人間の姿を借りて喋っているかのようだ。
「人の心を知りたいと願う……!」
最後のセリフで、ヴィリアは膝をついた。その表情には、竜の孤独と憧れが完璧に表現されていた。
会場が静まり返った。
「……すごい」
誰かが小さく呟いた。
「さすがヴィリアさんですわ」
カタリナも感嘆の声を上げている。
次は、ドラゴンの番だ。
ドラゴンが舞台に上がり、大きく息を吸い込んだ。そして……
「グルル……グオオオォォ……!」
低く、深く、そして力強い声。だが、そこには確かな感情が込められていた。
私の意思疎通能力が、ドラゴンの想いを伝えてくる。
『我は竜なり。この世界を統べる者なり。だが……人の心を知りたいと願う』
まったく同じセリフ。でも、ドラゴンの演技には、ヴィリアとは違う魅力があった。
それは……本物の竜が、本当に人間を理解したいと願っている、そんな切実さだった。
「グオオオォォ……!」
最後に、ドラゴンは小さく炎を吐いた。それは攻撃ではなく、涙のように見えた。
会場が再び静まり返った。
そして……
「……これは……」
ヴィリアが震える声で呟いた。
「本物の役者……!」
「え?」
「あなた、本当に役を理解してるのね!ただ演じるんじゃない、役になりきっているわ!」
ヴィリアの目が輝いていた。それは、優れた芸術家が、自分と同じ高みを目指す者を見つけた時の輝きだ。
「グルル?」
ドラゴンも少し照れているように見える。
「どうしましょう……」
サークルのリーダーが頭を抱えた。
「どちらも素晴らしすぎて、選べません!」
「では」
カタリナが優雅に提案した。
「二人とも主役にすれば良いのではありませんこと?」
「二人とも?」
「ええ。竜の視点と人間の視点、両方を描く構成にすれば、より深い物語になりますわ」
「それだ!」
リーダーの目が輝いた。
「竜パートをドラゴンが、勇者パートをヴィリアさんが演じる!そして最後に、二人が舞台で共演する!」
「グオオオォォ!」
「素晴らしいアイディアね!」
ドラゴンとヴィリアが、お互いに頷き合った。なんという友情の芽生え。
「えっと、錬金術的には大成功ってことで良いかな?」
私が呟くと、カタリナが笑った。
「ルナさんの錬金術は、いつも予想外の結果をもたらしますわね」
「褒めてる?」
「もちろんですわ」
その後、ヴィリアとドラゴンは熱心に稽古を始めた。二人の息はぴったりで、まるで長年の相棒のようだった。
「お姉ちゃん、すごい!」
「ドラゴンが演技してる!」
『光の園孤児院』の子供たちも、特別に見学に来ていた。カタリナが手配したらしい。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんが嬉しそうに羽をパタパタさせている。ハーブも「ピューイ!」と応援の声を上げた。
稽古が一段落したところで、ヴィリアがこちらに歩いてきた。
「ルナ、ありがとう」
「え?私、何もしてないけど」
「いいえ。あなたがこの子を生み出してくれたから、私は最高のパートナーに出会えたわ」
ヴィリアが優しく微笑んだ。
「グルル!」
ドラゴンも嬉しそうに鳴いた。
「……錬金術って、不思議だよね」
私が呟くと、カタリナが頷いた。
「ええ。思いもよらない奇跡を起こすのが、錬金術の魅力ですわね」
「ふみゅ!」
その夜、屋敷に戻ると、ハロルドが待っていた。
「お嬢様、今度の魔法演劇、観に行かれるのですか?」
「もちろん!だって、私が生み出したドラゴンが主役だもん!」
「……また何か巻き込まれましたね」
ハロルドが疲れたように眉間を押さえた。
「でも、良い巻き込まれ方だと思います」
セレーナが微笑んだ。
「確かに。ドラゴンも、ヴィリアさんも、とても楽しそうでしたから」
空を見上げると、満月が輝いていた。
きっと舞台本番も、素晴らしいものになるだろう。
私の錬金術は、いつも予想外の方向に転がっていくけれど……
それでも、誰かの笑顔に繋がるなら、それで良いんじゃないかな。
「ピューイ〜」
ハーブがポケットの中で満足そうに鳴いた。
明日からも、きっと賑やかな日々が続くんだろうな。
そう思いながら、私は温かい紅茶を一口飲んだ。




