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第233話 秋の味覚増幅薬

「秋の収穫祭まであと一週間か……」


私は屋敷の実験室で、机の上に並べられた材料を眺めていた。アルケミ領から送られてきた新鮮な葡萄、そして市場で買った色とりどりのキノコ類。


「お嬢様、今回は何を作られるおつもりですか?」


セレーナが不安そうな表情で尋ねてくる。最近、私の実験を見守る回数が増えすぎたせいか、セレーナの警戒センサーの精度が上がっている気がする。


「えっとね、『味覚増幅薬』を作ろうと思って!」


「……味覚増幅薬」

セレーナの表情が一瞬で曇った。


「お嬢様、その薬の名前だけで嫌な予感しかしないのですが」


「大丈夫大丈夫!収穫祭で料理をもっと美味しく感じられるようにする薬だよ!ほら、秋の味覚をより楽しめるように!」


「お嬢様の『大丈夫』ほど信用できない言葉はありません……」

セレーナが深いため息をつく。


「ふみゅ?」

肩に乗っていたふわりちゃんが首を傾げている。


「ふわりちゃんは私の味方だよね!」

「ふみゅ〜♪」


「……ふわりちゃんまで巻き込まないでください」

セレーナの突っ込みを背中で聞きながら、私は材料を並べ始めた。


葡萄ジャム、踊茸ダンシングマッシュルーム、甘露の花びら、そして特製の魔力水。


「踊茸って、確か食べると踊り出すキノコでしたよね……」

「うん!でも少量なら味覚を敏感にする効果があるって、薬草学の本に書いてあったんだ」


「少量なら、ということはつまり……」

「多く入れると踊っちゃうってことだね!」


「やめてください!!」

セレーナの悲鳴が実験室に響いた。


---


「それでは、調合開始!」


魔力を込めた炎で大鍋を温め始める。まず葡萄ジャムを入れると、甘い香りが部屋中に広がった。


「ピューイ♪」

床をちょこちょこ歩いていたハーブが、嬉しそうに鼻をひくひくさせている。


「ハーブ、まだ食べちゃダメだよ」


次に甘露の花びらを加える。花びらが溶けると、鍋の中が淡いピンク色に染まった。


「うん、いい感じ!」


「お嬢様、今のところは順調ですが……」

セレーナが警戒を緩めない。


さあ、ここからが本番。踊茸を慎重に刻んで……


「えい!」


鍋に投入。

その瞬間、鍋の中身がぶくぶくと泡立ち始めた。


「あれ?思ったより反応が激しい?」

「お嬢様!火を弱めてください!」


「え、でも本には『強火で一気に』って……」

「それは普通の錬金術の場合です!お嬢様の場合は何が起こるかわかりませんから!」


セレーナの言う通りかもしれない。慌てて火を弱めようとした時だった。

鍋から虹色の蒸気がもくもくと立ち上った。


「あ、これ新発見のサイン!」

「喜んでる場合ですか!?」


虹色の蒸気は天井まで届き、やがて工房全体に広がっていく。甘くて、でもどこか不思議な香りがする。


「ふみゅ〜……」

ふわりちゃんが蒸気を吸い込んで、うっとりした表情になっている。


「あ、ふわりちゃん大丈夫?」


「ピューイ、ピューイ♪」

ハーブも嬉しそうに跳ね回り始めた。


「お嬢様、この蒸気を吸うと何か効果があるのでは……」


セレーナがそう言った瞬間、実験室のドアが開いた。


「ルナさん、お邪魔しますわ……あら?」

カタリナが入ってきた。いつもの完璧な笑顔だったけど、虹色の蒸気を見て少し表情が曇る。


「ルナさん、また何か……」

「カタリナ!ちょうどよかった!今、味覚増幅薬を作ってるんだ!」


「味覚増幅薬……ですか?」

カタリナが鍋を覗き込む。


「そう、秋の収穫祭で料理をもっと美味しく感じられるようにって……」


その時だった。

鍋の中身が突然大きく膨れ上がり、ぼふんという音と共に周囲に飛び散った。


「きゃっ!」

「お嬢様!」


私とセレーナ、そしてカタリナの顔に、ピンク色の液体がべちゃりと付着した。


「あ、あれ……」

口元についた液体を舐めてしまった。


その瞬間。


「!!!!!」


世界が変わった。


口の中に広がる味が、信じられないほど強烈だった。葡萄の甘さ、踊茸の旨味、甘露の花の芳香。全てが何百倍にも増幅されて、脳に直接響いてくる。


「な、なにこれ……美味しすぎる……」

「お、お嬢様!?」


セレーナも同じく液体を舐めてしまったらしく、その場に崩れ落ちた。


「お嬢様……これは……あまりにも……美味しすぎて……天国が見えます……」

「セレーナ、しっかりして!」


カタリナが慌ててセレーナを支える。でもカタリナの頬にも液体がついていて……


「あら、私の口元にも……」

カタリナが優雅にハンカチで拭おうとした瞬間、少量が口に入ってしまった。


「……!」

カタリナの完璧な表情が崩れた。


「これは……これは……なんという美味しさですの……」

カタリナまで膝をつく。


「カタリナまで!?」

「ルナさん……これは……危険すぎますわ……美味しさで……昇天してしまいそう……」


三人で床に座り込み、幸せそうな表情で天井を見上げていた。


「ふみゅ〜〜〜♪」

ふわりちゃんも鍋から飛び散った液体まみれになって、私の肩から転げ落ちた。でも幸せそうに「ふみゅ〜〜〜」と鳴き続けている。


「ピューイ、ピューイ♪ピューイ♪♪」

ハーブは床に飛び散った踊茸を食べてしまい、くるくると回りながら踊り始めた。


「ハーブまで踊ってる……」


「お嬢様、これは完全に暴走してます……でも……美味しい……」

セレーナが恍惚とした表情で呟く。


その時、実験室のドアが勢いよく開いた。


「お嬢様!今、虹色の煙が……」

ハロルドが飛び込んできた。でも一歩踏み入れた瞬間、虹色の蒸気を吸い込んでしまう。


「これは……」

ハロルドの表情が緩む。


「なんと……素晴らしい香り……」


「ハロルドまで!?」

「お嬢様、私は大丈夫です。ただ……少し……幸せな気分に……」


ハロルドも壁に寄りかかって、うっとりした表情で立ち尽くしている。


「これ、まずいよ……このままじゃみんな味覚増幅薬で幸せになりすぎちゃう……」

私は必死に立ち上がろうとしたけど、体が重い。美味しさの余韻が強すぎて、動けない。


「ルナさん……治癒魔法を……使わないと……」

カタリナが何とか杖を取り出す。


「『治癒の光』……」


カタリナの杖から淡い光が放たれ、私たちを包み込んだ。

光に包まれると、少しずつ意識がはっきりしてくる。


「ふう……何とか……正気に戻れましたわ……」

カタリナが額の汗を拭う。


「カタリナ、ありがとう……」

「お嬢様、もう少しで本当に昇天するところでした……」


セレーナが青い顔で立ち上がる。


「ハロルド、大丈夫?」

「はい、何とか……しかし、あの美味しさは忘れられませんな……」


ハロルドも正気を取り戻したようだ。


でも、ふわりちゃんとハーブはまだ幸せそうにしている。


「ふみゅ〜〜〜(幸せ)」

ふわりちゃんは液体まみれのまま、床でごろごろ転がっている。


「ピューイ♪ピューイ♪」

ハーブは相変わらず踊り続けている。


「ふわりちゃん、ハーブ……」

カタリナがもう一度治癒魔法をかけると、ようやく二匹も落ち着いた。


「ふみゅ……?」

ふわりちゃんが不思議そうに首を傾げている。


「ピューイ?」

ハーブも踊るのをやめて、きょとんとしている。


---


「ルナさん、これは完全に失敗ですわね」

カタリナが深いため息をついた。


「うん……味覚増幅薬じゃなくて、『味覚過剰薬』になっちゃった……」

「お嬢様、今回の実験の反省点をまとめますよ」


セレーナが手帳を取り出す。

「第一に、踊茸の量が多すぎました。第二に、強火で一気に調合したため、反応が激しすぎました。第三に……」


「わかったわかった!次は気をつけるよ!」

「お嬢様、毎回それを仰っていますが……」


「でもさ、確かに美味しかったよね?」


私がそう言うと、三人とも顔を見合わせた。


「それは……否定できませんが……」

「美味しすぎて、危険すぎますわ」


「今回の実験は、学院には報告しない方がよろしいかと……」

ハロルドがそう言って、実験室を片付け始める。


「ふみゅ〜」

ふわりちゃんが私の肩に戻ってきた。まだ少しピンク色に染まっている。


「ふわりちゃん、お風呂に入ろうね」

「ふみゅ♪」


「ピューイ」

ハーブも私の足元で跳ねている。


「まあ、でも収穫祭までにもう一度挑戦してみようかな」


「お嬢様!!」

セレーナの叫び声が実験室に響いた。


「今度はちゃんと量を減らすから!」

「それでも不安しかありませんわ!」


「ルナさん、次回は私も最初から立ち会いますわ。治癒魔法の準備をして」

カタリナが覚悟を決めた表情で言う。


「あはは、ありがとう、カタリナ」

「笑っている場合ですか、ルナさん……」


こうして、秋の味覚過敏騒動は、何とか収束したのだった。


でも実験室には数日間、甘くて不思議な香りが残り続け、近づいた使用人たちが次々と幸せそうな表情になるという後日談があったのは、また別のお話。


「お嬢様、次回の実験は屋外でお願いします……」

セレーナの切実な願いを、私は真面目に検討することにした。


「ふみゅ〜♪」

ふわりちゃんだけは、まだあの味を思い出して幸せそうに鳴いていた。

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