第219話 夏の夜の魔法実験
夏の夜、王立魔法学院の屋上は満天の星空に包まれていた。
「本日は『星空を利用した魔法陣観察』の授業を行います」
グリムウッド教授が教壇――もとい、屋上の中央に立って説明する。
「星座の配置を利用することで、より強力な魔法陣を描くことができます。今夜は実際に星座をなぞって、その原理を学びましょう」
教授の言葉に、3-Aの生徒たちは興味津々で夜空を見上げた。
私、ルナ・アルケミも目を輝かせる。星座を使った魔法なんて、なんだかロマンチックだ。
「ふみゅ〜」
肩に乗っているふわりちゃんも、夜空を見上げてご機嫌だ。
「では、まず私が手本を見せましょう」
グリムウッド教授が杖を掲げる。
杖の先から淡い光が伸び、夜空に七星の形をなぞっていく。すると、星座が淡く輝き、美しい魔法陣が浮かび上がった。
「おお……!」
生徒たちから感嘆の声が上がる。
「素敵ですわね」
隣のカタリナも目を輝かせている。
「では、皆さんも挑戦してみてください。ただし――」
教授は注意を促すように指を立てた。
「魔力を入れすぎないように。あくまで星座をなぞるだけです。魔力が強すぎると、予想外の現象が起こることがありますから」
「はーい」
私は元気よく返事をした。
カタリナが心配そうに私を見ているが、気にしない。大丈夫、ちゃんと気をつけるから。
私は杖を掲げて、夜空を見上げた。
「えーと、どの星座にしようかな……」
七星は教授がやったし、オリ座は今の季節じゃ見えないし……。
「あ、あれにしよう!」
私は夏の三姉妹を見つけた。ペタ、アタル、ネブを結ぶ、三姉妹。
「よし!」
私は杖を掲げて、魔力を込めながら星座をなぞり始めた。
ペタから――アタルへ――そしてネブへ――
すると、杖の先から光が伸びて、星座を線で結んでいく。
「おお、できてる!」
私は嬉しくなって、もう少し魔力を込めた。
するとその瞬間――
杖の光が急激に強くなった。
「あれ?」
夜空に描かれた三姉妹が、みるみる大きくなっていく。
そして、三姉妹の中に――何かが現れ始めた。
「え、え?」
最初に現れたのは、丸い顔。
次に、三角の耳。
そして、ヒゲと目。
「……ネコ!?」
夜空に、巨大なネコの落書きが浮かび上がった。
しかも、まばたきしている。
「ル、ルナさん!?」
カタリナの悲鳴が響く。
「え、えーと……」
私が慌てている間に、ネコの落書きはどんどん増えていく。
今度はハート型が現れた。大きな、ピンク色のハート。
「何これ!?」
「空にハートが浮いてる!」
生徒たちが騒ぎ始める。
そして極め付けに――変顔だ。
舌を出して、目を寄り目にした、巨大な変顔が夜空に浮かんだ。
「ぎゃああああ!」
教授が叫んだ。
「ルナさん!何をやっているんですか!?」
「わ、分かりません!勝手に描かれていくんです!」
私は必死に杖を下ろそうとするが、光が止まらない。
その時――
「あれを見ろ!」
「空に何か浮いてる!」
屋上の下、街の人々が騒ぎ始めた。
学院の屋上は王都の高台にあるため、街中から見える。そして今、夜空に浮かぶ巨大な落書きたちは、街中の人々の目に入っていた。
「ネコだ!」
「ハートもある!」
「あの変顔は何!?」
街中が騒然となる。
「ルナさん、早く消してくださいまし!」
カタリナが叫ぶ。
「ど、どうやって!?」
「グリムウッド教授!消去魔法を!」
エリオットが教授に叫ぶ。
「わ、分かっています!」
グリムウッド教授が杖を掲げて、消去の呪文を唱え始めた。
「消滅せよ、虚なる像よ――」
すると、ネコの落書きがゆっくりと薄くなっていく。
「よし、消えて――」
しかし、その瞬間。
私の杖から、また新しい光が放たれた。
今度は――巨大な文字だ。
ーーー『ルナ参上!』ーーー
「やめてええええ!」
私の叫びが夜空に響いた。
街中の人々が、夜空の文字を見上げている。
「ルナって誰だ!?」
「犯人の名前か!?」
「いや、芸術家の名前じゃないか!?」
人々が口々に騒ぐ。
「ルナさん、杖を離してください!今すぐに!」
グリムウッド教授が叫んだ。
「は、はい!」
私は慌てて杖を地面に置いた。
すると、ようやく光が止まった。
「ふう……」
教授は額の汗を拭い、急いで消去魔法を唱え続ける。
数分後、夜空の落書きたちは全て消え去った。
「……終わりましたわね」
カタリナが疲れた表情で私を見る。
「ご、ごめん……」
私はしゅんとして謝った。
「ルナさん……」
グリムウッド教授がため息をつく。
「魔力を入れすぎないように、と言ったはずですが」
「すみません……つい嬉しくなって……」
「まあ、大きな被害はなかったようですが……」
教授は街の方を見下ろす。
人々は騒いでいるが、パニックというほどではない。むしろ、楽しそうに話し合っている。
「あの落書き、面白かったな」
「ネコが可愛かった!」
「変顔は笑えた!」
どうやら、街の人々は落書きを楽しんでいたらしい。
「まあ……結果オーライ、ということで」
教授は苦笑した。
しかし、翌日――
「号外!号外!天空アート事件発生!」
新聞売りの少年が王都中を駆け回っていた。
新聞の一面には、昨夜の夜空の落書きが大きく掲載されている。
『謎の天空アーティスト「ルナ」現る!夜空をキャンバスにした前代未聞の芸術!』
「うわあああ!」
私は新聞を見て叫んだ。
「ルナさん、有名になりましたわね」
カタリナが呆れたように笑う。
「有名になりたくない!」
その後、数日間、王都中で「天空アート事件」の話題で持ちきりになった。
「あのアート、もう一度見たいな」
「次はいつやるんだろう」
「ルナって芸術家は天才だな!」
街の人々は口々に話している。
そして、王立美術学院から私のもとに招待状が届いた。
『天空アート講座の講師として、ぜひお越しください』
「行きませんわよね?」
カタリナが冷たい視線を向ける。
「行かない、行かない!」
私は首を横に振った。
「そもそも、あれはアートじゃなくて事故だから!」
「でも、街の人々は喜んでいましたよ」
エリオットが苦笑する。
「それは……そうだけど……」
確かに、誰も傷ついていないし、むしろ楽しんでいた。
でも、これは完全に事故だ。二度とやりたくない。
その後、グリムウッド教授から特別補習を受けることになった。
「魔力のコントロール、もっと練習しましょうね」
教授の優しい笑顔が、逆に怖かった。
そして数週間後――
「ルナっち、すごいじゃん!王都中で有名だよ!」
フランが駆け寄ってきた。
「え、まだ噂になってるの?」
「うん 『天空アート事件』って、もう伝説だよ!」
フランは目を輝かせている。
「伝説って……」
私は頭を抱えた。
「ルナさん、あなたの名前はもう王都中に知れ渡っていますわ」
カタリナがため息をつく。
「良いことなのか悪いことなのか……」
私は空を見上げた。
夏の夜空には、今夜も星が輝いている。
そして、その星々を見ると、あの夜のことを思い出してしまう。
「もう二度と、夜空に落書きはしない……」
私は心に誓った。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも、同意するように鳴いた。
でも、心のどこかで――あのネコの落書きは可愛かったな、と思っている自分もいた。
まあ、それはカタリナには絶対に言えないけれど。
「ルナさん、何を考えているんですの?」
「な、何も!」
私は慌てて首を横に振った。
夏の夜の魔法実験は、予想外の形で王都中に衝撃を与えたのだった。
そして今でも、王都の酒場では「あの夜、夜空に浮かんだネコは可愛かったな」という話題で盛り上がっているらしい。




