第218話 サマーガーデン・サロン
夏の午後、ローゼン侯爵家の庭園は華やかな社交の場と化していた。
「ようこそいらっしゃいませ」
カタリナが優雅にスカートを摘まんで一礼する。赤茶色の縦ロールが陽光を受けてキラキラと輝いていた。
今日は彼女が主催する『サマーガーデン・サロン』の日。貴族の令嬢たちを招いて、庭園でお茶会を開くのだ。
「まあ、カタリナ様。今日も美しいこと」
「この庭園、本当に素敵ですわね」
招待客たちが口々に褒め言葉を並べる。
そして私、ルナ・アルケミは――
「ルナさん、本当にありがとうございますわ。お忙しいのに手伝ってくださって」
カタリナが微笑みかけてくる。
「ううん、いいのいいの!カタリナの力になれるなら」
私は肩に乗っているふわりちゃんと一緒に笑顔を返した。
「ふみゅ〜」
実は昨日、カタリナから相談を受けていた。
「夏の暑さで、庭園の花々が少し元気がないんですの。何か良い方法はありませんか?」
そこで私が提案したのが、『花活性化の調合液』だ。
花々に活力を与え、より鮮やかに咲かせる錬金術の薬。これを庭園に散布すれば、花たちが一層美しく輝くはず。
「では、お客様方がお茶を召し上がっている間に、こっそり散布しとくね」
私は小さな霧吹きを手に、庭園の奥へと向かった。
薔薇、百合、ラベンダー、マリーゴールド……色とりどりの花々が植えられている。
「よーし、みんな綺麗になってね」
私は調合液を花々に向けて、シュッシュッと吹きかけていく。
淡い虹色の霧が花びらに降り注ぎ、キラキラと光る。
「うん、いい感じ!」
すると、花々の色がみるみる鮮やかになっていった。薔薇はより深紅に、百合はより純白に。
「大成功!」
私は満足げに頷いた。
その時――
「まあ、素敵!」
突然、声が響いた。
「え?」
私は周りを見回す。でも、誰もいない。
「今日のドレス、とってもお似合いですわ!」
また声が聞こえた。今度ははっきりと。
そして、その声の主が分かった。
薔薇だ。
赤い薔薇の花が、ひらひらと花びらを揺らしながら喋っている。
「え、ええええ!?」
「あら、驚かなくても良いのに。私たち、ずっと喋りたかったのよ」
白い百合も喋り出した。
「いつも綺麗に手入れしてもらって、感謝してるわ」
ラベンダーたちが声を揃える。
「ちょ、ちょっと待って!なんで喋ってるの!?」
私は慌てて霧吹きのラベルを確認する。
『花活性化の調合液』――間違いない。
でも、よく見ると、下の方に小さく追記があった。
『※魔力を多く含む花に使用すると、予期せぬ効果が現れる場合があります』
「あ……」
そういえば、ローゼン侯爵家の庭園は魔法で育てられた特別な花が多いのだった。
「ルナさん、どうかしまして?」
カタリナの声が近づいてくる。
「カタリナ、実は――」
私が説明しようとした瞬間。
「まあ!カタリナお嬢様!今日も麗しいこと!」
薔薇たちが一斉に声を上げた。
「え?」
カタリナが目を丸くする。
「その赤いドレス、あなたにぴったりですわ!」
「髪飾りも素敵!センスが抜群ですわね!」
花々が口々に褒め始める。
「お、お花が……喋って……?」
カタリナが呆然としている間に、お茶会の招待客たちも庭園に近づいてきた。
「カタリナ様、素敵なお庭ですわね――あら?」
一人の令嬢が薔薇の前を通りかかる。
「まあ、なんて素敵なドレス!そのレースの刺繍、とても繊細で美しいですわ!」
薔薇が叫んだ。
「え、え?今、お花が……?」
「あなたの髪型も素晴らしいですわ!そのリボンの結び方、完璧ですわよ!」
百合も続ける。
「きゃあ!本当にお花が喋ってる!」
令嬢たちが驚きの声を上げる。
しかし――
「まあ、嬉しい!お花に褒められるなんて!」
「なんて素敵なサロンなの!」
彼女たちの顔は驚きよりも喜びに満ちていた。
「あなたの香水、とっても良い香りですわ!」
「その扇子、エレガントですわね!」
花々は次々と招待客を褒めそやす。
「わたくし、初めて植物に褒められましたわ!」
「これは他のサロンでは味わえない体験ですわね!」
令嬢たちは大喜びで花々と会話を始めた。
「あなたの笑顔、お日様みたいに明るいですわ!」
「その宝石、とても上品な輝きですわね!」
マリーゴールドやラベンダーも負けじと褒め言葉を並べる。
「まあ、楽しい!」
「カタリナ様、素晴らしいアイデアですわ!」
招待客たちは花々との会話に夢中になっている。
その様子を見て、カタリナは呆れたような、感心したような、複雑な表情で私を見た。
「ルナさん……これは一体……」
「ご、ごめん……調合液が予想外の効果を……」
私はしゅんとして謝る。
しかし、カタリナはため息をついた後、くすりと笑った。
「予定調和ではございませんけれど、誉め上手な庭園も悪くはなくてよ」
「え、怒ってない?」
「ええ。見てくださいまし。皆様、とても楽しそうですわ」
確かに、招待客たちは花々との会話を楽しみ、笑顔で写真を撮り合っている。
「カタリナお嬢様のセンスは素晴らしいですわ!」
「このサロン、王都中の噂になりますわよ!」
薔薇たちがカタリナを褒め称える。
「まあ、お花にそこまで言っていただけるなんて」
カタリナも嬉しそうに微笑んだ。
「ルナさん、あなたの調合のおかげで、忘れられないサロンになりましたわ」
「本当に?」
「ええ。ただし――」
カタリナは人差し指を立てる。
「次回からは事前に相談してくださいまし」
「はい……」
私は素直に頷いた。
その後、『喋る花の庭園サロン』は王都中で大評判となった。
「ローゼン侯爵家のサロンに行けば、花が褒めてくれるらしいわよ」
「なんて素敵なの!私も招待していただきたいわ!」
貴族の令嬢たちの間で、カタリナのサロンは一躍有名になった。
そして数日後――
「ルナさん、次回のサロンでも、あの調合液を使ってくださいまし」
カタリナが私の部屋を訪れた。
「え、いいの?」
「ええ。お客様方からのリクエストが殺到していますの。ただし、花が失礼なことを言わないように、少し改良していただけますか?」
「分かった!任せて!」
こうして、私は『礼儀正しく褒める花の調合液・改良版』の開発に取り掛かることになった。
ただし、試作段階で花が謙遜しすぎて「私なんて雑草以下ですわ……」と落ち込み始めたり、逆に自信過剰になって「私が庭園で一番美しいですわよ!」と他の花と喧嘩を始めたりと、調整には苦労した。
「ルナさん、花の性格まで考慮しなければなりませんわね……」
カタリナの呆れた声が、夏の庭園に響いた。
それでも、最終的には適度に褒め上手で、お互いを認め合う、理想的な『喋る花の庭園』が完成した。
ローゼン侯爵家のサマーガーデン・サロンは、その後も王都一の人気社交場として栄え続けたのだった。
「まあ、今日もお客様が素敵ですわ!」
花々の明るい声が、夏の午後に響き渡る。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも嬉しそうに羽ばたいていた。




