第216話 真夏の冷却ポーション騒動
夏真っ盛りのある日、王立魔法学院3-Aの教室は暑さで溶けそうだった。
「本日は実践課題です」
モーガン先生が教壇に立って告げる。窓からは容赦なく陽光が差し込み、制服を着ているだけで汗が滲む。
「夏の暑さ対策として、『冷却ポーション』を調合していただきます。一瞬で涼しくなる、便利な薬ですよ」
先生の言葉に、教室中からため息が漏れた。今すぐにでも欲しい代物だ。
私、ルナ・アルケミは実験机の上に材料を並べながら、レシピを確認する。
『氷結の花びら』三枚、『冷気の結晶』一粒、『深海の水』五滴……ふむふむ。
「ルナさん、分量はしっかり確認してくださいまし」
隣の席のカタリナが、いつもの完璧な笑みで釘を刺してくる。赤茶色の縦ロールが優雅に揺れた。
「大丈夫大丈夫! ちゃんと見てるって」
私は自信満々に答えた。肩に乗っているふわりちゃんも「ふみゅ〜」と応援してくれている。
錬金術用のフラスコに、まず深海の水を注ぐ。透き通った青い液体がキラキラと輝いて綺麗だ。
次に氷結の花びら。一枚、二枚、三枚……あれ? 四枚目がくっついて落ちた。
「あ」
まあいいか。一枚くらい誤差の範囲だろう。
そして最後に冷気の結晶。小指の先ほどの白い結晶を――
「ルナさん、それは少し大きくありませんか?」
後ろの席から、エリオットの声が飛んできた。
「え?」
よく見ると、確かに結晶が一回り大きい。でも、これしか残ってないし……。
「大は小を兼ねるっていうし!」
私は結晶をフラスコに投入した。
瞬間、フラスコの中の液体が激しく反応し始めた。ぶくぶくと泡立ち、白い煙がもくもくと立ち上る。
「ルナ……それ、なんだか凄いことにない?」
トーマス君が心配そうに覗き込む。
「え、えーと……大丈夫、大丈夫! きっと冷却効果が強くなるだけだから!」
私がそう言った瞬間――
ーーぱぁん!
フラスコから白い煙が一気に噴き出した。
教室中に冷たい霧が広がり、気温が一気に急降下する。
「さ、寒い……!」
「な、何これ!?」
生徒たちの悲鳴が響く。
そして数秒後、教室は完全なる極寒空間と化していた。
「ふ、ふみゅぅ〜……」
ふわりちゃんが震えながら私の首元に潜り込んでくる。
窓ガラスには霜が降り、机の上には薄っすらと雪が積もり始めている。私の吐く息も真っ白だ。
「ル、ルナさん……こ、これは一体……」
カタリナの唇が青くなっている。あの完璧なカタリナが震えている。
「す、すみません……」
「ルナさん……これは流石に……」
エリオットも机の下に潜り込んで震えている。
その時、教室のドアが開いた。
「失礼します。次の授業の準備――って、なんですかこの寒さは!?」
入ってきたグリムウッド教授が、一歩踏み入れた瞬間に凍りついた。文字通り。
「ル、ルナさん……ま、まさかあなたが……?」
「すみません……冷却ポーションの分量を、ちょっと……」
「ちょっとじゃないですわ!教室全体が冷凍庫ですわよ!」
カタリナの鋭いツッコミが飛ぶ。でも声が震えているから迫力が半減している。
「グリムウッド教授……私の『実験用防護結界』は……」
モーガン先生が毛布から顔を出す。
そう、いつの間にか先生は教壇の後ろで毛布にくるまっていたのだ。
「……設置を忘れていました」
「先生!?」
教室中から非難の声が上がった。
「こ、これは非常事態です!全員、廊下に避難を――」
グリムウッド教授が叫んだ瞬間、教室のドアが凍結して開かなくなった。
「開きませんわ!」
カタリナが必死にドアノブを回すが、ガチガチに凍っている。
「窓は!?」
「こっちも凍ってます!」
アリスが窓を押すが、びくともしない。
つまり、私たちは極寒の教室に閉じ込められたのだ。
「ルナさん、これはどうやって解決すればいいんですの!?」
「え、えーと……時間が経てば自然に元に戻る……はず?」
「何時間かかるの!?」
ベンの悲痛な叫び。
「た、多分……二、三時間……?」
「そんなに待てませんわ!私たち全員凍死しますわよ!」
カタリナの正論が胸に刺さる。
その時、ふわりちゃんが私の肩から飛び上がった。
「ふみゅみゅ!」
小さな翼を広げて、ふわりちゃんが教室中を飛び回る。すると、ふわふわの白い毛から温かい光が放たれ始めた。
「わ、暖かい……」
「ふわりちゃん、ありがとう!」
光に包まれると、凍えていた身体がほんのり温まる。ふわりちゃんの神聖な力だ。
でも、教室全体を温めるには力が足りない。
「み、皆で魔法を使って暖を取りましょう」
カタリナが提案し、火の魔法が得意な生徒たちが小さな炎を生み出す。
「こ、これで何とか……」
そんな中、私は必死に対策を考える。冷却ポーションの効果を中和する方法は……
「あ、そうだ!」
私は空間収納ポケットから『温かい水』を取り出した。錬金術の材料だ。
「これをフラスコに注げば、冷気と熱が相殺されて――」
「待ってください、ルナさん!それ、また爆発しませんか!?」
エリオットのツッコミがもっともだった。
「だ、大丈夫……多分……」
私は祈るような気持ちで、白い煙を吹き出し続けているフラスコに温かい水を注いだ。
じゅわぁぁぁぁ――
派手な音と共に、蒸気が立ち上る。
そして……教室の温度が急上昇し始めた。
「わ、暖かい……」
「助かった……」
生徒たちから安堵のため息が漏れる。
凍っていた窓やドアの氷も溶け始め、数分後には教室は元の温度に戻っていた。
いや、戻りすぎた。
「あ、暑い……」
「さっきまで凍えてたのに……」
今度は暑さで皆が汗を流し始める。極寒から真夏日への急転換だ。
「ルナさん……」
グリムウッド教授が疲れた表情で私を見る。
「今度から、分量は正確に。いいですね?」
「は、はい……すみません……」
私は深々と頭を下げた。
「まあ、結果的に暑さ対策の授業は実践的でしたけどね」
モーガン先生が毛布を畳みながら苦笑する。
「二度と体験したくありませんわ!」
カタリナの叫びが教室に響いた。
その後、私は特別補習として「正確な分量測定法」を三日間みっちり叩き込まれることになった。
でも、その日の夕方。
「ルナさん、その冷却ポーション、正しい分量で作ってもらえませんか?」
エリオットが私のところにやってきた。
「え、マジで?」
「ええ。あの冷却効果は凄かったですから。適切な濃度なら、とても便利だと思います」
「私も欲しいですわ。もちろん、適切な濃度で、ですけれど」
カタリナも微笑む。
「じゃあ、今度は絶対に成功させる!」
私は拳を握った。
――そして数日後、私は見事に「適度に涼しくなる冷却ポーション」の完成に成功した。
爆発も極寒化もなく。
ただし、試作段階で実験室を二回凍らせたことは、ここだけの秘密である。
「お嬢様……もう勘弁してください……」
ハロルド執事の嘆きが、夏の空に消えていった。
ー
実験記録
実験名:冷却ポーション改良版
結果:成功(ただし、試作品2号で実験室が一時的にツンドラ気候化)
教訓:分量は正確に。大は小を兼ねない。特に錬金術では。
追記:ふわりちゃんの暖房能力は予想以上。次回の実験では暖房ポーションに挑戦したい。
カタリナのコメント:「やめてくださいまし」




