第215話 春風と魔法の競演
「お嬢様、本日は比較的安全な実験とのことですが……本当でしょうか」
セレーナが疑わしげに私を見つめている。
「本当だよ!今日は学院の屋上庭園で、春風を使った魔法の実験をするだけ!爆発もないし、時空間錬金術も使わないし!」
私が力説すると、セレーナは深く息を吐いた。
「その言葉、信じてもよろしいのですね?」
「もちろん!」
今日は王立魔法学院のサークル活動日。Tri-Orderとして、春風を利用した創作魔法の実験を行うことになったのだ。
ギルドマスターからの依頼ではなく、学院の春の催しの一環として、私たちが自主的に企画した。
セレーナは私の監視役として同行している。
「それに、今回は他の生徒たちも見学に来るって言ってたし」
「それがまた不安要素なのですが……」
セレーナの心配は分かる。でも、今回は本当に大丈夫なはず。
多分。
ー
学院の屋上庭園は、春の花で彩られていた。色とりどりのチューリップ、スイートピー、パンジー。爽やかな春風が吹き抜けて、とても気持ちいい。
「お待たせしましたわ、ルナさん」
カタリナが優雅に現れた。今日も完璧な装い。風に揺れる髪が美しい。
「カタリナ!」
「エリオットはまだですの?」
「もうすぐ来ると思うけど……あ、来た」
エリオットが大量の資料を抱えて階段を上がってきた。
「すみません、遅れました。古代の風魔法の資料を探していて……」
「大丈夫だよ。じゃあ、準備を始めよう」
私たちが準備をしていると、他の生徒たちも集まってきた。
「ルナ様の実験、楽しみにしてました!」
「前回の虹の泉、素晴らしかったです!」
「今日は何が起こるんですか?」
みんなの期待の眼差し。プレッシャーを感じる……
「え、えっと、今日は春風を使った魔法の実験で……爆発とかはないから、安心して見ててね」
「本当ですか?」
「ルナ様なら、きっと何か起こりますよ」
「期待してます!」
ええっ、みんな何を期待してるの……
「ふみゅ〜」
肩のふわりちゃんが心配そうに鳴いた。大丈夫だよ、今日は本当に安全な実験だから。
「ピューイ」
ポケットの中でハーブも不安そう。
「さあ、始めましょうか」
カタリナが優雅に言った。
「はい。まず、春風に宿る魔力を可視化します」
私は空間収納ポケットから『魔力可視化薬』を取り出した。
「これを使えば、風の流れと魔力が見えるようになるよ」
小瓶の蓋を開けて、周囲に薬を撒く。すると、春風の流れが淡い光の線として浮かび上がった。
「わあ……綺麗」
「すごい……風が見える」
見学している生徒たちから歓声が上がる。
「この光の流れが、春風の魔力ですわ」
カタリナが説明しながら、探知の魔法を使う。
「春の魔力は、植物の成長を促し、生命力を活性化させる性質があります。これを利用して、創作魔法を試みますの」
「古代の風魔法では、風に意思を宿らせる技術がありました」
エリオットが資料を広げながら説明した。
「風精霊や風を操る魔物と協力することで、より複雑な魔法が可能になったそうです」
「じゃあ、呼んでみようか」
私は目を閉じて、魔物との意思疎通能力を使った。
春風に呼びかける。
「春風に宿る存在たち、もしよかったら、出てきてくれませんか?」
しばらく沈黙が続いた後、優しい風が吹いた。
そして、キラキラと光る小さな存在が現れた。
「風精霊……!」
エリオットが驚いた表情で見つめている。
手のひらサイズの透明な存在。風に揺れる髪のようなものを持ち、薄い翼で宙を舞っている。
『呼びましたか?』
優しい、鈴のような声。
「はい。春風の魔法の実験に、協力してもらえませんか?」
『面白そうですね。いいですよ』
風精霊が嬉しそうにくるくると回った。
「ふみゅ!」
ふわりちゃんが興奮して風精霊に近づく。
『あら、可愛い存在ですね』
風精霊がふわりちゃんを優しく撫でた。ふわりちゃんが「ふみゅ〜」と気持ちよさそうに鳴く。
その瞬間、さらに風が強くなって、別の存在が現れた。
小さな青い竜。
『呼ばれて来たよ!』
元気な声。これは……
「春風の小竜!?リュウ!?」
『ルナ!久しぶり!』
リュウが嬉しそうに私の周りを飛び回る。
「リュウ、どうしてここに?」
『春風を感じたから。それに、ルナが呼んでるのが分かったんだ』
「そっか。じゃあ、一緒に実験してくれる?」
『うん!』
見学している生徒たちが、さらに興奮している。
「本物の春風の小竜だ!」
「可愛い……」
「ルナ様、本当に魔物と話せるんですね……」
「では、実験を始めましょうか」
カタリナが魔法陣を展開した。
「まず、風精霊の力を借りて、風の流れを整えます」
『分かりました』
風精霊が優雅に舞うと、屋上庭園の風が一つの流れにまとまった。
光の線がゆっくりと渦を巻いている。
「次に、リュウの羽ばたきで魔力を活性化」
『任せて!』
リュウが練習の成果を発揮して、適度な強さで羽ばたいた。すると、風の魔力が増幅されて、光の線がより明るく輝いた。
「素晴らしいですわ。では、私の魔法を組み合わせます」
カタリナが『花咲の魔法』を発動。すると、風に乗って色とりどりの光の花びらが舞い始めた。
「わあ……!」
見学者から歓声が上がる。
「これは……」
エリオットが記録魔法陣を動かしながら呟いた。
「風の魔力と植物の魔法が融合している。古代の『春の祝祭魔法』に似ています」
「じゃあ、私も何か……」
私が考えていると、セレーナが横から小瓶を差し出した。
「お嬢様、これを」
「これは……『友情促進薬』?」
「はい。風に乗せれば、庭園全体に効果が広がるかと」
「セレーナ、ナイスアイデア!」
薬を風に乗せると、ほんのりと温かい光が庭園を包んだ。
『気持ちいい……』
風精霊が嬉しそうに鳴いた。
『ルナ、もっと楽しいことしようよ!』
リュウが興奮して提案する。
「楽しいこと……?」
『みんなで歌おうよ!ソングリスたちみたいに!』
「歌……でも、私たち人間は魔力を込めて歌えないし……」
「いえ、できるかもしれませんわ」
カタリナが優雅に微笑んだ。
「魔法の詠唱も、ある意味歌のようなもの。リズムと音程を整えて魔力を乗せれば……」
「なるほど!古代の『音魔法』の一種ですね」
エリオットが資料を確認している。
「やってみましょうか」
カタリナが優雅に詠唱を始めた。普段の詠唱とは違う、メロディのある声。
「♪風よ、舞え、光よ、踊れ♪」
すると、風の流れが音楽のようなリズムを持ち始めた。
「すごい……」
私も真似してみる。
「♪春よ、来い、花よ、咲け♪」
下手くそだけど、魔力が声に乗っていくのが分かる。
『楽しい!』
リュウが嬉しそうに鳴きながら、羽ばたきでリズムを刻む。
風精霊も優雅に舞いながら、鈴のような音を響かせる。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんも歌い始めた。
すると、庭園全体が光と音楽に包まれた。風が優雅に渦を巻き、光の花びらが舞い、色彩が変化していく。
淡い青から、ピンク、黄色、緑へ。
「これは……虹色の風……」
エリオットが感動したように呟いた。
見学していた生徒たちも、いつの間にか魔法を使って参加している。
「♪春の風、心地よく♪」
「♪花の香り、優しくて♪」
みんなの魔法が重なり合って、さらに美しい光景が広がる。
「素晴らしいですわ……」
カタリナが目を輝かせている。
その時、庭園の花たちが一斉に輝き始めた。
魔力に反応して、まだつぼみだった花が次々と開いていく。
「わあ……」
屋上庭園が、一瞬で満開の花園になった。
甘い香りが風に乗って広がる。
『すごい!みんなの魔法で、花が咲いた!』
リュウが大喜びで飛び回る。
『美しいですね』
風精霊も満足そう。
「これは予想以上の成果ですわ」
カタリナが優雅に微笑んだ。
「ええ、春風と魔法の完璧な融合です」
エリオットが興奮して記録を取っている。
私もとても嬉しい。みんなで作り上げた魔法。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんが幸せそうに鳴いている。
「ピューイ♪」
ハーブも楽しそう。
その時、セレーナが優しく微笑んだ。
「お嬢様、今日は本当に素敵な実験でした」
「ありがとう、セレーナ。今回は爆発もなかったし!」
「ええ、とても安全でした」
セレーナの言葉に、私は胸を張った。
「でしょ? 言ったとおり——」
そう言いかけた瞬間、空間収納ポケットから何かがコロンと転がり落ちた。
「あっ」
小さなガラス瓶。中には虹色の液体。
「お嬢様、それは……」
「あ、これ、新しく作った『虹色の風薬』だ。虹の泉の水を使って……」
拾い上げた瞬間、風に煽られて瓶が手から滑った。
「危ない!」
カタリナが魔法で瓶をキャッチしようとしたけど、風の流れが強すぎて軌道がズレた。
瓶は地面に——
「パリン!」
割れた。
虹色の液体が風に乗って、庭園全体に広がる。
「え、ちょっと待って……」
そして、魔力可視化薬と、虹色の風薬と、みんなの魔法が混ざり合って——
ーーピカッ!
ー
「……お嬢様?」
セレーナの声で目を覚ました。
「うう……」
周りを見ると、屋上庭園全体が巨大な虹のドームに包まれていた。
「これは……」
「虹のドーム……まるで古代の『祝福の殿堂』のようですわ」
カタリナが呆然としている。
「伝説では、春の女神が祝福を与える時に現れるという……」
エリオットが震える声で説明した。
「お嬢様……また予想外の事態を……」
セレーナが溜息をついている。
でも、虹のドームは本当に美しかった。七色の光が優しく降り注ぎ、花たちはさらに輝きを増している。
『綺麗!ルナ、これすごい!』
リュウが大喜びで飛び回る。
『まさに春の奇跡ですね』
風精霊も感動している。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが安心したように鳴いた。
見学していた生徒たちは、言葉を失って虹のドームを見上げている。
しばらくして、誰かが拍手を始めた。
パチパチパチ……
すると、次々と拍手が広がる。
「素晴らしい!」
「これぞルナ様の魔法!」
「春の奇跡だ!」
みんなが喜んでくれている。
「え、えっと……」
私が困惑していると、カタリナが優雅に微笑んだ。
「まあ、結果的には大成功ですわね」
「そうですね。学院の春の催しとして、これ以上の演出はありません」
エリオットも笑っている。
「お嬢様……もう何も申しません」
セレーナが諦めた表情で言った。
「ご、ごめん……でも、今回は本当に偶然で……」
「いつものことです」
セレーナの溜息が春風に乗って消えていった。
虹のドームは、夕方まで屋上庭園を包み続けた。
そして、それは学院の新しい伝説として語り継がれることになった。
ー
翌日、校長室。
「ルナ・アルケミさん。素晴らしい成果でした」
校長先生が満足そうに言った。
「あ、ありがとうございます……」
「昨日の春の催しは大成功でした。虹のドームは、多くの生徒や教職員に感動を与えました」
「それは……良かったです」
「ただし」
校長先生の表情が少し厳しくなった。
「今後は、実験材料の管理を徹底すること。特に、新しく作った薬は、必ず教師の監視下で取り扱うようにしてください」
「はい……気をつけます」
また同じことを言われた。本当に反省しないと。
「それと、昨日の魔法は学術論文としてまとめてください。春風と創作魔法の融合について、詳細な記録を残してほしいのです」
「分かりました」
「期待しています、ルナ・アルケミさん」
校長先生が優しく微笑んだ。
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帰り道、カタリナが笑った。
「またまた伝説を作りましたわね、ルナさん」
「うん……でも、今度こそ本当に気をつけるよ」
「それ、何回目ですか?」
エリオットがからかうように言った。
「ひどい!」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが笑っているみたい。
「ピューイ」
ハーブも楽しそう。
春風が優しく吹いて、どこかから風精霊の鈴の音が聞こえてきた。
「また会いに来るね」
私が空に向かって手を振ると、虹色の風が優しく頬を撫でた。
きっと、風精霊とリュウのお礼だ。
そう思いながら、私たちは屋敷へと帰っていった。
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王立魔法学院 春の催し記録
- テーマ:春風と魔法の競演
- 参加者:Tri-Order(ルナ・アルケミ、カタリナ・ローゼン、エリオット・シルバーブルーム)、風精霊、春風の小竜、学院生徒多数
- 実験内容:春風の魔力を可視化し、魔物・精霊と協力した創作魔法の試み
- 成果:風と魔法の融合による美しい演出、植物の成長促進、参加者全員の魔法協力による調和の達成
- 副次的成果:伝説の『虹のドーム』発生(虹色の風薬との予期せぬ相互作用)
- 評価:学院長より高評価。春の催しとして大成功
備考:ルナ・アルケミさんは実験材料の管理徹底を(三度目)(校長指示)
ー
「お嬢様、この『三度目』という文字が……」
「言わないで、セレーナ……」
私は顔を覆った。
でも、心の中では思っている。
次こそは本当に気をつけよう、と。
(きっと)
春の日差しが、優しく私たちを照らしていた。
屋上庭園からは、まだ虹色の光が時々キラリと輝いている。
それを見るたびに、昨日の素敵な思い出が蘇ってくる。
失敗も多いけど、それも含めて、私の錬金術師としての日々。
そう思いながら、私は次の実験の構想を練り始めた。
「お嬢様、その目は何か企んでいる目ですわ」
「え、そんなことないよ!」
「信じられません」
セレーナの溜息が、春とともに消えていった。




