第214話 春嵐の竜と風の調べ
「お嬢様、今日の調査は大丈夫でしょうか……」
セレーナが心配そうに空を見上げた。
確かに、雲行きが怪しい。灰色の雲が風に流されて、すごい速さで移動している。
「天気予報では、短時間の春嵐があるかもしれないって言ってたけど……大丈夫だよ、きっと」
私がそう答えると、セレーナの表情がさらに曇った。
「お嬢様の『大丈夫』は、だいたい大丈夫ではありません」
「ひどい!」
でも、否定できない自分がいる。
今日の調査場所は、王立魔法学院近郊の春の丘陵地帯。ギルドマスターからの依頼で、春の生態調査に来たのだ。
今回は竜の調査という事もあって、念のためセレーナも同行することになった。
依頼書には『春嵐の竜と春風の小竜という、この時期にしか現れない魔物の調査をお願い致します。最近、丘陵地帯で突風被害が増えているという報告があり、原因を調査してください』と書かれていた。
「それにしても、春嵐の竜……ロマンチックな名前ですわね」
カタリナが優雅に髪を揺らしながら言った。今日も完璧な身だしなみ。私なんて、風で髪がボサボサなのに。
「古代の記録によれば、春嵐の竜は雨と風を操り、大地に恵みをもたらす存在だったそうです。春風の小竜も同様に、空気中の魔力を活性化させる役割を持っていたとか」
エリオットが資料を確認しながら説明してくれた。
「つまり、本来は益獣なのに、なぜ突風被害が……?」
「それを調べるのが、私たちの仕事ですわ」
カタリナが凛とした表情で前を向いた。かっこいい。
「ふみゅ〜」
肩のふわりちゃんが心配そうに鳴いた。ポケットの中でハーブも「ピューイ」と小さく鳴いている。
「大丈夫だよ、二人とも。危ないことはしないから」
そう言った瞬間、急に風が強くなった。
「あっ!」
エリオットの資料が数枚、風に飛ばされた。
「待って!」
私が追いかけようとすると、カタリナが素早く魔法を唱えた。
「『拘束の蔦』!」
蔦が伸びて、空中で資料をキャッチ。さすが。
「助かりました」
エリオットがホッとした表情で資料を受け取る。
「どうやら、もう近くにいるようですわね」
カタリナが空を見上げた。
そこには、灰色の雲の間を、青い鱗の小型竜が飛んでいた。体長は大型犬くらい。美しい翼を広げて、風に乗っている。
「春風の小竜だ!」
私が指差すと、小竜がこちらに気づいた。好奇心旺盛そうな目でじっと見つめてくる。
「可愛い……」
思わず呟くと、小竜がゆっくりと降りてきた。そして、私の周りをくるくると飛び回る。
「ふみゅ?」
ふわりちゃんが首を傾げた。
小竜の羽ばたきで、周囲の空気が揺れる。それと同時に、魔力の流れも変化していくのが分かった。
「これは……」
カタリナが探知の魔法が、小竜の羽ばたきのせいで魔法の効果範囲が揺れている。
「空気中の魔力が活性化されていますわ。でも、コントロールされていない……」
「おそらく、これが突風被害の原因の一つです」
エリオットが記録を取りながら言った。
私は小竜に話しかけてみる。
「こんにちは。私はルナ。あなたの名前は?」
小竜が嬉しそうに鳴いた。
『リュウ!リュウはリュウ!』
子供っぽい声。まだ若い竜なのかもしれない。
「リュウ、あなたの羽ばたき、すごいね。でも、人間の魔法が揺れちゃうみたい」
『え?そうなの?ごめんなさい!』
リュウが慌てて羽ばたきを止めようとした瞬間、バランスを崩して落ちかけた。
「危ない!」
私が手を伸ばすと、リュウは私の腕に着地した。意外と軽い。
「ピューイ!」
ハーブがポケットから顔を出して、リュウを不思議そうに見ている。
『わあ!ウサギ!』
リュウがハーブに興味津々。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんもリュウに近づいて、優しく「ふみゅみゅ」と鳴いた。すると、リュウが落ち着いた様子になった。
「浄化の力で落ち着いたのかな」
「ええ、ふわりちゃんの能力は本当に便利ですわね」
カタリナが微笑んだ。
「リュウ、他にも仲間はいる?」
『うん!お兄ちゃんがいるよ!春嵐のお兄ちゃん!』
「春嵐の竜……」
その瞬間、空が急に暗くなった。
「来ますわ!」
カタリナの声と同時に、雨が降り始めた。最初はポツポツと、でもあっという間に土砂降りに。
「うわっ!」
「お嬢様、こちらへ!」
セレーナが素早く大きな布を広げて、簡易的な屋根を作ってくれた。
そして、雲の中から現れたのは、リュウより一回り大きい、深い青色の鱗を持つ竜だった。
「春嵐の竜……!」
エリオットが感動したように呟いた。
竜は威厳のある姿で、雨雲を従えながら降りてくる。でも、その目は優しかった。
『リュウ、また人間に近づいて……』
少し困ったような声が聞こえる。
「お兄ちゃん!この人たち、優しいよ!」
リュウが私の腕から飛び立って、春嵐の竜の周りを飛び回る。
私は春嵐の竜に話しかけた。
「こんにちは。私はルナ。リュウから、あなたのことを聞いたよ」
春嵐の竜が驚いた表情でこちらを見た。
『人間が……私たちの言葉を?』
「うん。私、魔物と話せるんだ」
『そうか……珍しい』
春嵐の竜が優雅に着地した。雨が少し弱まる。
「あの、最近この辺りで突風被害が増えてるって聞いたんだけど……」
『ああ……それは、申し訳ない』
春嵐の竜が頭を下げた。
『実は、リュウがまだ幼くて、羽ばたきの力加減ができないのだ。私が春の嵐を起こすとき、リュウも一緒に飛びたがる。そして、調子に乗って強く羽ばたいてしまう』
「お兄ちゃん!ごめんなさい!」
リュウが申し訳なさそうに小さくなった。
「いえ、悪気があったわけではないのですわね」
カタリナが優しく言った。
「それなら、力加減を教えてあげればいいのでは?」
エリオットの提案に、春嵐の竜が困った表情をした。
『それが……私も教え方が分からなくて。私たちは本能で力を使うから』
「なるほど……」
私が考え込んでいると、ふと思いついた。
「そうだ!ソングリスの時と同じ方法が使えるかも!」
「『魔力可視化薬』ですわね」
カタリナがすぐに理解してくれた。
「空間収納ポケット、空間収納ポケット……」
ゴソゴソと探していると、あった。小瓶を取り出す。
「これを使えば、自分の力がどれくらい出ているか見えるようになるよ」
『本当に?』
春嵐の竜が興味深そうに近づいてきた。
小瓶の蓋を開けて、周囲に薬を撒く。すると、空気中に淡い光の線が浮かび上がった。風の流れ、魔力の流れが、すべて可視化される。
「わあ……」
「これは素晴らしい……」
エリオットが目を輝かせて記録を取っている。
「リュウ、ちょっと羽ばたいてみて」
『うん!』
リュウが軽く羽ばたくと、光の線が小さく波打った。
「これくらいなら大丈夫」
次に強く羽ばたくと、光の線が激しく乱れて、周囲の木の枝がバキバキと折れそうになった。
「危ない!」
カタリナが『森の檻』を展開して、木を守る。
「リュウ、分かった?これが強すぎる羽ばたき」
『うわあ……こんなに違うんだ……』
リュウが驚いた表情で自分の翼を見つめた。
『これなら、私でも教えられそうだ』
春嵐の竜が嬉しそうに言った。
「じゃあ、一緒に練習しようよ」
私がそう言うと、二匹の竜が頷いた。
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それから、しばらく練習が続いた。
リュウが羽ばたいて、光の線を見ながら力加減を学ぶ。最初は何度も失敗して、エリオットの資料がまた飛ばされそうになったけど、カタリナの『陽だまりの結界』で守られた。
「少しずつ上達していますわね」
「ええ、学習能力が高い」
エリオットが感心したように記録を取っている。
そして、春嵐の竜の番。
『では、私も』
春嵐の竜が翼を広げると、周囲に雨雲が集まってきた。
「すごい……」
雨が降り始めるけど、それは優しい雨。大地を潤す、恵みの雨。
光の線が、雨粒に沿って流れていく。美しい光景だった。
「この雨には、植物を成長させる魔力が含まれていますわ」
カタリナが分析魔法を使いながら言った。
「古代の記録通りです。春嵐の竜の雨は、大地に恵みをもたらす」
エリオットが興奮気味に記録している。
『お兄ちゃん、すごい!』
リュウが嬉しそうに飛び回る。
でも、その瞬間、リュウの羽ばたきで春嵐の竜の雨の流れが乱れた。
「あっ」
雨が突然強くなり、私たちに降り注ぐ。
「きゃっ!」
「お嬢様!」
セレーナが慌てて布で雨を防ごうとするけど、間に合わない。
「『反撃の壁』!」
セレーナの魔法が発動して、雨を弾いた。セレーナの特殊な魔法、本当に便利。
「ありがとう、セレーナ」
「いえ、お嬢様が無事なら」
『ごめんなさい!また失敗した!』
リュウが落ち込んでいる。
「大丈夫だよ。失敗は成功の元だから」
私がリュウの頭を優しく撫でると、リュウが少し元気になった。
「それより、今のは面白い発見かもしれませんわ」
カタリナが記録を見ながら言った。
「春嵐の竜の雨と、春風の小竜の風が組み合わさると、魔力の活性化効果が増幅される。つまり、二匹が協力すれば、より効果的に植物を成長させられるのですわ」
「本当ですか?」
エリオットが驚いた表情でカタリナの記録を覗き込む。
「ええ。ただし、タイミングが重要。リュウの羽ばたきを、春嵐の竜の雨のリズムに合わせる必要がありますわ」
「なるほど……古代の嵐魔法の記録にも、『風と雨の調和』という概念がありました。これは、その実践例かもしれません」
エリオットが興奮して資料を捲る。
『調和……?』
春嵐の竜が首を傾げた。
「一緒に力を合わせるってことだよ」
私が説明すると、二匹の竜が顔を見合わせた。
『やってみよう、リュウ』
『うん、お兄ちゃん!』
春嵐の竜が再び雨を降らせる。優しい、リズミカルな雨。
そして、リュウがそのリズムに合わせて羽ばたく。
最初は少しズレていたけど、光の線を見ながら調整していく。
「そうそう、いい感じ!」
私が応援すると、リュウが嬉しそうに鳴いた。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんも応援している。
そして——
雨と風が完璧に調和した瞬間、周囲の植物が一斉に輝き始めた。
「これは……!」
草花が目に見えて成長していく。つぼみが開き、新しい葉が伸びていく。
「素晴らしい……」
カタリナが感動したように呟いた。
「これが、本来の春嵐の竜と春風の小竜の力……」
エリオットが記録魔法陣を必死に動かしている。
『できた!お兄ちゃん、できたよ!』
リュウが大喜びで飛び回る。
『ああ、よくやった、リュウ』
春嵐の竜も嬉しそうだった。
雨が止み、雲の切れ間から太陽の光が差し込む。
虹が、丘陵地帯に大きく架かった。
「綺麗……」
思わず見とれていると、カタリナが優雅に微笑んだ。
「これも、二匹の竜の力のおかげですわね」
「ええ、雨上がりの魔力が、虹を作り出している」
エリオットが分析している。
「じゃあ、もう突風被害は起きないね」
私が言うと、春嵐の竜が頷いた。
『ああ、リュウも力加減が分かった。これからは気をつける』
『ごめんなさい、みんな』
リュウが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいよ、分かってくれたなら。それに、素敵な発見ができたし」
「そうですわ。あなた方の協力のおかげで、素晴らしい研究成果が得られましたの」
カタリナが優雅にお礼を言った。
『本当に、ありがとう』
春嵐の竜が深く頭を下げる。
その時、私の空間収納ポケットから何かがコロンと転がり落ちた。
「あっ」
小さな水晶の欠片。これは……
「お嬢様、それは『魔力の結晶』では……」
セレーナが指摘した。
「え、そうだっけ? いつの間に入ってたんだろう」
拾い上げた瞬間、水晶が淡く光った。
そして、春嵐の竜とリュウの周りにも光が集まり始めた。
「え、ちょっと待って、これって……」
「お嬢様、まさか……!」
セレーナの声が遠くなる。
ーーピカッ!
眩しい光が弾けた。
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「……大丈夫ですか、みなさん」
エリオットの声で目を覚ました。
「うう……何が……」
周りを見ると、丘陵地帯全体が淡い青色の光に包まれている。
そして、空には無数の小さな虹が浮かんでいた。
「これは……」
「魔力の結晶が、春嵐の竜の雨と反応して、『虹の泉』が発生しましたわ」
カタリナが呆然としている。
「虹の泉……?」
「古代の伝説にある、幸運をもたらす現象です。数百年に一度しか起こらないと言われていますが……」
エリオットが震える声で説明した。
『わあ!綺麗!』
リュウが大喜びで飛び回っている。春嵐の竜も、驚いた表情で空を見上げていた。
「お、お嬢様……また予想外の事態を……」
セレーナが頭を抱えている。
「ご、ごめん!本当に偶然だよ!」
私が慌てて謝ると、カタリナが深く息を吐いた。
「ルナ、あなたという人は……まあ、素晴らしい発見ではありますけれど」
「これは歴史的事件になりますね……」
エリオットが苦笑している。
小さな虹たちは、キラキラと輝きながら丘陵地帯を舞っている。それに触れた植物は、さらに元気に成長していく。
「まあ、結果オーライということで……」
私が恐る恐る言うと、みんなが溜息をついた。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが私の頬を優しくペチペチした。大丈夫だよ、と言っているみたい。
「ピューイ」
ハーブも慰めてくれる。
『人間さんたち、ありがとう!こんな素敵な景色、初めて見た!』
リュウが嬉しそうに鳴いた。
『ああ、私たちも感謝する。これからは、人間と協力して春を豊かにしていきたい』
春嵐の竜の言葉に、私たちは顔を見合わせた。
「それは素敵ですわね」
「ええ、ぜひ協力関係を築きましょう」
エリオットが笑顔で言った。
虹の光が、優しく私たちを包み込んでいた。
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翌日、ギルドマスターの部屋。
「……つまり、春嵐の竜と春風の小竜の調査中に、偶然『魔力の結晶』が落ちて、それが雨と反応して『虹の泉』が発生した、と」
「は、はい……」
またしても正座。
ギルドマスターは長い沈黙の後、額を押さえた。
「ルナ様、あなたは本当に……」
「ごめんなさい……」
「いえ、怒っているわけではありません。むしろ、驚いています」
ギルドマスターが苦笑した。
「虹の泉は、幸運の象徴とされています。これが現れた場所は、今年豊作になるでしょう。農民たちは大喜びです」
「本当ですか?」
「ええ。それに、春嵐の竜と春風の小竜の協力関係も確立できた。素晴らしい成果です」
ホッとした。
「ただし……」
ギルドマスターの表情が厳しくなった。
「今後は、持ち物の管理を徹底してください。偶然が二度も三度も続くのは、もはや偶然ではありません」
「はい……本当に気をつけます」
今度こそ、ちゃんと整理しよう。
「調査報告書、楽しみにしていますよ」
「はい!」
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帰り道、カタリナが笑った。
「またしても、伝説級の発見ですわね」
「うん……でも、今度は本当に気をつけるよ」
「ルナさんならまた何か起こすと思いますが」
エリオットがからかうように言った。
「ひどい!」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが笑っているみたい。
「ピューイ」
ハーブも楽しそう。
春風が優しく吹いて、遠くから春嵐の竜とリュウの鳴き声が聞こえてきた。
「また会いに来るね!」
私が手を振ると、空に小さな虹が現れた。
きっと、二匹の竜のお礼だ。
そう思いながら、私たちはそれぞれの屋敷へと帰っていった。
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Tri-Order活動記録
- 対象:春嵐の竜、春風の小竜
- 危険度:低(友好的)
- 特殊能力:春嵐の竜は雨と風を操り、春風の小竜は空気の魔力を活性化
- 調査結果:両者の協力により、植物の成長促進と魔力活性化に寄与することが判明。突風被害は力加減の問題であり、魔力可視化により解決
- 副次的成果:伝説の『虹の泉』発生(魔力の結晶との予期せぬ相互作用)
- 今後の課題:春の生態系における両竜の役割の継続観察、人間との協力関係の発展
備考:ルナ・アルケミ様は持ち物管理の徹底を(再度)(ギルドマスター指示)
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「お嬢様、この『再度』という文字が悲しいです」
「言わないで……」
セレーナの指摘に、私は顔を覆った。
でも、心の中では思っている。
次は本当に気をつけよう、と。
(多分)
春の日差しが、優しく私たちを照らしていた。




