第213話 春風の歌うリス「ソングリス」
「お嬢様、またギルドマスターからのお手紙です」
朝食を食べていると、セレーナが銀色の封筒を持ってきた。
封を開けると、丁寧な文面で書かれていた。
『春の林に生息する「ソングリス」という魔物についての調査依頼をお願い致します。歌声が素晴らしいと評判ですが、最近その歌を聴いた冒険者たちの魔法が不安定になる事例が報告されております。危険度は低いと思われますが、念のため調査をお願い致します』
「歌うリス……?」
肩に乗っているふわりちゃんが首を傾げた。
「ふみゅ?」
「可愛い名前ですわね」
カタリナが優雅に紅茶を飲みながら言った。今日は学院が休みなので、うちの屋敷で打ち合わせをすることになっている。
「歌声で魔法が不安定になる、か。音と魔力の関係性……古代の音魔法に関する記録があったはずです」
エリオットが資料を広げながら呟いた。
「よし、早速調査に行こう!」
私が立ち上がると、ハロルドが溜息をついた。
「お嬢様……朝食はちゃんと召し上がってください」
「あ、そうだった」
慌ててパンを口に詰め込む。
ハーブがポケットから顔を出して「ピューイ」と鳴いた。君も行きたいのね。
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春の林は、名前の通り新緑が眩しい場所だった。木々の間を爽やかな風が吹き抜け、小鳥のさえずりが響いている。
「この辺りのはずですが……」
カタリナが地図を確認していると、突然美しい歌声が聞こえてきた。
「♪ピルリ〜ピルリ〜♪」
透き通るような高音。その瞬間、周囲の葉がざわざわと揺れ、風が渦を巻いた。
「うわっ!」
カタリナが準備していた探知の魔法が突然強まり、光が眩しく弾けた。
「これは……魔力が増幅された?」
エリオットが驚いた表情で自分の手を見つめている。
木の枝に、小さな茶色いリスがいた。ふわふわの尾を揺らしながら、楽しそうに歌っている。これがソングリスか。
「可愛い……」
思わず呟くと、リスがこちらを向いた。つぶらな黒い瞳。
私は魔物との意思疎通能力を使って、そっと話しかけてみる。
「こんにちは。私はルナ。あなたの歌、とても綺麗だね」
リスがキョトンとした後、嬉しそうに尾を振った。
『人間さん、分かるの? 歌、好き?』
優しい声が心に響く。
「うん、大好き。でもね、あなたの歌を聴くと人間の魔法が不安定になっちゃうみたいで……」
『えっ!そうなの!?ごめんなさい!』
リスが慌てて口を押さえた。その瞬間、風がピタリと止まった。
「待って待って、悪いことじゃないよ。ただ、どうしてそうなるのか知りたくて」
カタリナが優雅に前に出た。
「魔力の記録を取らせていただいてもよろしいかしら?あなたの歌声の秘密を解明したいのですの」
『秘密……?』
リスが首を傾げる。
「そう。あなたの歌には、魔力を変化させる力があるみたい。もしかしたら、古代の魔法と関係があるかもしれません」
エリオットが丁寧に説明すると、リスは目を輝かせた。
『すごい!私の歌、そんな力があったの!?でも、仲間たちとは普通に歌えるのに、人間さんだと変なことになっちゃうのは何で?』
「それを調べたいんだ。協力してくれる?」
『うん!』
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調査開始。まず、カタリナが簡単な魔法を準備して、私がリスに歌ってもらう。
「♪ピルリ〜ルリ〜♪」
リスが歌い始めた瞬間、カタリナの『拘束の蔦』が突然勢いを増して、あっという間に木全体を覆ってしまった。
「あら」
「わわっ、ごめん!」
リスが慌てて歌を止める。
「いえ、大丈夫ですわ。むしろ興味深いですわ……」
カタリナが記録用の魔法陣に書き込んでいく。その真剣な横顔に、ふわりちゃんが「ふみゅ〜」と感心したように鳴いた。
「次は、歌のリズムを変えてみてもらえるかな?」
『分かった!』
今度はゆっくりしたテンポで歌い始める。すると、風が穏やかになり、魔力の流れも安定した。
「なるほど……リズムによって魔力の増幅率が変わる」
エリオットが古代文献と照らし合わせながら呟いた。
「これは古代の『音魔法』の一種かもしれません。春の祭礼で使われていた、風と魔力を調整する儀式音楽に似ています」
「春の祭礼……?」
『あ!おばあちゃんが言ってた! 昔々、人間さんたちと一緒に春を祝う歌を歌ったって!』
リスが嬉しそうに跳ねた。
「やっぱり!この歌声は、古代の豊穣祭の魔法を受け継いでいるんです。本来は春の魔力を活性化させて、作物の成長を促す効果があったはず」
エリオットの説明に、私もカタリナも驚いた。
「それなら、歌のタイミングを調整すれば、魔法を安定させることができるかも」
私がそう言うと、リスが首を傾げた。
『でも、私たちリスは本能で歌っちゃうの。タイミングとか難しい……』
「じゃあ、こうしよう」
私は空間収納ポケットから、以前作った『魔力可視化薬』を取り出した。これを使えば、魔力の流れが光として見えるようになる。
小瓶の蓋を開けて、周囲に撒く。すると、空気中に淡い光の線が浮かび上がった。
「わあ……綺麗」
『すごい!これ、魔力なの!?』
「そう。これを見ながら歌えば、どのタイミングで歌うと魔力がどう変化するか分かるよ」
リスが興奮して尾を振った。
『やってみる!』
リスが歌い始める。光の線が歌声に合わせて波打ち、リズムが速くなると激しく揺れ、ゆっくりになると穏やかに流れる。
「なるほど……自分の歌の効果が見えれば、コントロールしやすいですわね」
カタリナが記録魔法陣に丁寧にメモを取っていく。
「ルナさん、今度は私が魔法を使いますわ。タイミングを合わせてみましょう」
「了解!」
私はリスに話しかけた。
「ね、カタリナが魔法を使うから、それに合わせてゆっくり歌ってみて」
『うん!』
カタリナが『治癒の光』を発動。同時に、リスがゆったりとしたテンポで歌い始めた。
「♪ピル〜リ〜ル〜リ〜♪」
すると、治癒の光が柔らかく広がり、いつもより穏やかで持続的な効果を発揮した。
「これは……」
カタリナが驚いた表情で自分の手を見つめている。
「魔法が安定して、効果時間が延びましたわ!」
「やった!」
私とリスはハイタッチ……しようとしたけど、リスは小さいので私の指先とリスの前足が触れるだけになった。それでも嬉しい。
「これは素晴らしい発見です。ソングリスの歌声は、適切に使えば魔法の安定化と効果延長に役立つ」
エリオットが興奮気味に記録を取っている。
「ただし、問題もありますね。リズムが合わないと逆に魔法が暴走する」
「うーん、それは確かに……」
私が考え込んでいると、ふわりちゃんが「ふみゅ!」と鳴いて、リスに近づいた。
「ふみゅみゅ〜」
『え? 一緒に歌う?』
ふわりちゃんが小さく「ふみゅ〜」と歌い始めた。すると、リスも嬉しそうに歌を合わせる。
二つの声が重なると、魔力の光がキラキラと輝き、とても穏やかな風が吹いた。
「これだ!」
エリオットが叫んだ。
「ふわりちゃんの浄化の力が、ソングリスの魔力増幅効果を調整している!これなら暴走しない!」
「本当ですわ!完璧なハーモニーですわね」
カタリナが感動したように言った。
『ふわふわさん、お友達!』
リスがふわりちゃんの周りを飛び跳ねる。
「ふみゅ〜♪」
ふわりちゃんも嬉しそう。
「じゃあ、こうしよう。ソングリスたちが歌うときは、事前に周囲の魔法使いに知らせる。そして、できれば誰かが『調整役』として一緒に歌うか、魔力の流れを安定させる」
私の提案に、リスが頷いた。
『分かった!歌う前に、ちゃんとお知らせする!』
「それと、もし良かったら、春の豊穣祭を復活させるのはどうでしょう?」
エリオットが提案した。
「古代の記録によれば、人間とソングリスが一緒に春を祝う祭りがあったそうです。それを現代に蘇らせれば、正しい歌の使い方も広まるかもしれません」
「素敵ですわ!春の魔力活性化は、作物の成長にも良い影響があるはずですもの」
カタリナの提案に、リスが大喜びで跳ね回った。
『やりたい!みんなと一緒にお祭り!』
「よーし、それじゃあ早速準備を……」
と、その時。
急に強い風が吹いて、私の足元がふらついた。
「うわっ!」
バランスを崩した瞬間、空間収納ポケットから何か落ちた。
カラン、と音を立てて転がったのは……
「あ」
『時の砂』の小瓶。
しかも蓋が開いている。
時の砂がソングリスの歌声と混ざり合い、周囲の魔力と反応して——
ーーピカッ!
眩しい光が弾けた。
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「……ルナさん?」
カタリナの声で目を覚ました。
「うう……何が……」
周りを見ると、林全体が淡い金色の光に包まれている。木々の葉が、ものすごい速さで芽吹いては散っていく。
「これは……時間加速?」
エリオットが呆然としている。
『わあ!すごい!春が何回も来た!』
リスが大喜びで歌っている。その歌声に合わせて、時間加速の効果が波のように広がっていく。
「あわわわ……」
でも、不思議なことに、時間加速は林の植物だけに影響していて、私たちには何も起きていない。
「どうして……?」
「おそらく、ソングリスの歌が『生命の魔力』を選択的に加速させているんです。古代の豊穣魔法の本質は、作物だけを成長させることでしたから」
エリオットが分析している間にも、林の木々はぐんぐん育ち、花を咲かせ、実をつけ、また新しい芽を出していく。
「これは……まさか」
カタリナが何かに気づいた表情で空を見上げた。
そこには、巨大な桜の木が一本、満開の花を咲かせていた。
「古代の記録にあった『春の始まりを告げる聖樹』……」
エリオットが震える声で言った。
「伝説では、千年に一度だけ現れて、春の祝福を与えると……」
淡いピンク色の花びらが、キラキラと舞い落ちる。花びらに触れると、ほんのりと温かく、魔力が満ちていくのが分かった。
『すごい!お祭りの木!おばあちゃんが言ってた、伝説の木!』
リスが興奮して歌い続ける。すると、あちこちから他のソングリスたちも集まってきて、一緒に歌い始めた。
「♪ピルリ〜ピルリ〜ルリルリ〜♪」
美しいハーモニー。林全体が春の魔力に満たされていく。
「これは……予想外の大発見ですわ」
カタリナが記録魔法陣を必死に動かしている。
「ルナさん、あなたという人は本当に……」
「ご、ごめん! 偶然だよ!」
私が慌てて謝ると、エリオットが笑った。
「いえ、これは素晴らしい成果です。時間加速と春の魔法の組み合わせが、古代の聖樹を蘇らせた。これは歴史的発見ですよ」
「でも、時空間錬金術は封印してたのに……」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが私の頬を優しくペチペチと叩く。大丈夫だよ、と言っているみたい。
「それにしても、この聖樹……どうしましょう」
カタリナの言葉に、私たちは顔を見合わせた。
巨大な桜の木は、林の真ん中で堂々と枝を広げている。明らかに目立つ。
「報告……しないとダメだよね」
「当然ですわ」
「ギルドマスターに怒られるかな……」
「いえ、むしろ感謝されるのでは?」
エリオットが慰めてくれたけど、正直自信がない。
だって、単なる魔物調査が、古代の聖樹復活という大事件になっちゃったんだから。
『人間さんたち、ありがとう! これでまた、みんなで春のお祭りができる!』
リスが嬉しそうに歌っている。
まあ、結果オーライ、かな?
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翌日、ギルドマスターの部屋。
「……つまり、ソングリスの調査中に偶然『時の砂』をこぼし、それが春の魔法と反応して、古代の聖樹が復活した、と」
「は、はい……」
私たちは正座して、報告書を提出していた。
ギルドマスターは長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「まず、伝説の聖樹を復活させたことは、素晴らしい成果です」
「本当ですか!?」
「ええ。王国の歴史的発見として、記録されるでしょう」
ホッとした瞬間、ギルドマスターの表情が厳しくなった。
「しかし、ルナ様。時空間錬金術の材料を、なぜ持ち歩いていたのですか?」
「え、えっと……持ち物の整理を忘れてて……」
「封印したはずでは?」
「ごめんなさい……」
完全に私のミス。カタリナとエリオットが同情の眼差しを向けてくれる。
「今後は、危険な材料の管理を徹底してください。偶然の成果は素晴らしいですが、事故につながる可能性もあります」
「はい……気をつけます」
反省。本当に反省。
「それで、ソングリスとの交流についてですが」
ギルドマスターが話題を変えてくれた。
「彼らは春の豊穣祭を復活させたいと言っているそうですね」
「はい。古代の祭りを現代に蘇らせることで、人間とソングリスの正しい協力関係を築けると思います」
カタリナが優雅に答えた。
「了解しました。では、来月の春分の日に、王都で『春の豊穣祭』を開催しましょう。Tri-Orderには、その準備と運営をお願いします」
「え、私たちが!?」
「ええ。皆様方がソングリスとの架け橋ですから」
ギルドマスターが微笑んだ。
「それに、ルナ様は王都をスイーツフェスティバル会場にした実績がありますから、イベント運営は得意でしょう?」
「あ、あれは違うんです! カボチャが勝手に……」
「期待していますよ」
完全にスルーされた。
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帰り道、カタリナが笑った。
「春の豊穣祭、楽しみですわね」
「うん……でも、私たちで大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。ルナさんなら、何とかなります」
エリオットが励ましてくれる。
「それに、ソングリスたちも協力してくれるでしょう」
「そうだね」
肩のふわりちゃんが「ふみゅ〜」と鳴いて、私の頬をペチペチした。
「ピューイ」
ポケットの中でハーブも応援してくれている。
「よーし、頑張るぞー!」
春風が優しく吹いて、遠くからソングリスの歌声が聞こえてきた。
きっと、素敵な祭りになる。
そう信じて、私たちは屋敷へと帰っていった。
**Tri-Order活動記録**
- 対象:ソングリス(春風の歌うリス)
- 危険度:低(友好的)
- 特殊能力:歌声による魔力調整、春の魔法活性化
- 調査結果:古代の春の豊穣祭の継承者として確認。適切に使用すれば、魔法の安定化と効果延長に有用
- 副次的成果:伝説の聖樹復活(時空間錬金術との予期せぬ相互作用)
- 今後の課題:春の豊穣祭の復活、人間とソングリスの正しい協力関係の確立
**備考:ルナ・アルケミ様は持ち物管理の徹底を(ギルドマスター指示)**
「お嬢様、この『備考』は論文に載るんですよ」
「ええええ!?」
セレーナの指摘に、私は頭を抱えた。
歴史的発見の影に、私の失態が永遠に記録される……
「まあ、それもルナさんらしくてよろしいのではなくて?」
カタリナが優雅に笑った。
春風が、また優しく吹き抜けていった。