第212話 虹色の薬草祭り
春も深まり、学院の温室には様々な薬草が芽吹く季節となった。今日はサークル『ミックス・ワンダーズ』の特別実験日だ。
「では、本日の活動内容を説明しますわ」
カタリナが温室の入り口で資料を開く。
「春の薬草観察と、それを使った調合実験を行います。目的は、春限定で採取できる薬草の魔力特性を記録し、新しい調合法を発見することですわ」
「おお、真面目っすね~♪」
フランが温室の中を興味深そうに覗き込む。ガラス張りの温室には、色とりどりの薬草が整然と並んでいた。
「春の薬草は魔力が活性化しやすいんだよ。だから、この時期に実験するのが一番効果的なの」
私は『薬草観察ノート』を開きながら説明する。
「ルナ先輩、具体的にはどんな薬草を使うんですか?」
エミリが目を輝かせて尋ねる。
「えっとね、『春光草』『虹露花』『陽だまり苔』……それから、『星降りの蔦』も使えたらいいなって」
「星降りの蔦? それは確か、古代の錬金術書にも記載されている幻の薬草では……」
エリオットが驚いた様子で言う。
「実はね、ヒルテンズ先生が温室で育ててくれてたんだ! 今年初めて花が咲くらしいの」
「すごいです!それは貴重な観察の機会ですね」
ノエミ様が感動した様子で拍手する。
「ふみゅ~」
私の肩に乗ったふわりちゃんも、何やら嬉しそうだ。
「ピューイ!」
ハーブも私のポケットから顔を出して、薬草の香りを楽しんでいる。
「それでは、温室に入りましょう。ヒルテンズ先生が待っていてくださるはずですわ」
カタリナが扉を開けると、温かく湿った空気と、甘い花の香りが流れ込んできた。
「やあ、来ましたね」
温室の奥から、白衣を着たヒルテンズ先生が現れた。
「先生、お忙しいところありがとうございます」
「いやいや、こういう熱心な生徒の実験に協力するのは、教師として喜ばしいことです。さあ、こちらです」
先生に案内されて、温室の最奥にある特別区画へ向かう。
そこには——。
「わあ……」
思わず声が出た。
薄紫の花を咲かせた蔦が、温室の天井から優雅に垂れ下がっている。花びらからは淡い光が零れ、まるで星空を見ているようだった。
「これが星降りの蔦……」
カタリナが息を呑む。
「美しいですね。まるで夜空の星が降ってきたみたいです」
ノエミ様がうっとりと見上げている。
「古代の記録によれば、この蔦は月が満ちる夜に特別な魔力を放つとされています。実物を見られるなんて……」
エリオットが興奮気味にノートにスケッチを始めた。
「ルナさん、今日は自由に観察して構いませんよ。ただし、調合実験をする際は必ず私に声をかけること。約束ですよ」
「はい!もちろんです!」
ヒルテンズ先生が温室を出ていくと、私たちは本格的に観察を始めた。
「まずは各自、担当を決めましょう」
カタリナが提案する。
「私は魔力データの測定と記録を担当しますわ」
「僕は古代の薬草知識との比較を行います」
エリオットが言う。
「私は……花の香りを分析して、何か癒やしの小物が作れないか考えてみます」
ノエミ様が優しく微笑む。
「じゃあ、ルナっちは実際の調合担当っすね~♪」
「うん!エミリちゃんは観察補助で、フランは……」
「私は何かあった時の保険っすよ~♪魔法もバッチリ準備OK!」
フランが自信満々に言う。
観察を始めて一時間ほど経った頃、私はあることに気づいた。
「ねえ、みんな。春光草と虹露花の魔力波長が、すごく似てるんだ」
「本当ですわね。私の測定でも、ほぼ同じ数値が出ていますわ」
カタリナが杖を向けながら頷く。
「ということは……これを組み合わせたら、何か面白い効果が出るかも」
私の目が輝く。
「ルナさん、その顔は何か思いついた顔ですわね」
「うん!春光草と虹露花に、星降りの蔦のエッセンスを加えて、成長促進の薬を作ってみたいんだ」
「成長促進……ですの?」
カタリナが不安そうな顔をする。
「大丈夫だよ!ちゃんと計算してあるし、温室だから暴走しても被害は最小限で……」
「暴走前提なんですの!?」
「あはは、大丈夫大丈夫!じゃあ、先生を呼んでくるね!」
私はヒルテンズ先生を呼びに行き、実験の許可をもらった。
「なるほど、成長促進薬ですか。面白いですね。ただし、効果範囲は温室内に限定すること。それから、暴走した場合はすぐに中和剤を使うこと。いいですね?」
「はい!約束します!」
準備を整え、調合を始める。
春光草の葉を細かく刻み、虹露花の花びらを三枚、そして星降りの蔦から採取したエッセンスを一滴——。
「魔力を込めて、ゆっくりと混ぜ合わせる……」
錬金術用の魔力で火を灯し、慎重に調合していく。液体が淡い緑色から、徐々に七色の輝きを帯び始めた。
「わあ、綺麗……」
エミリが見入っている。
「魔力反応が上昇していますわ。でも、安定していますわね」
カタリナがデータを記録する。
「古代の記録にある『虹彩の妙薬』に似ていますね。これは……」
エリオットが興奮した様子で呟く。
調合が完了した。小瓶の中で、虹色の液体がキラキラと輝いている。
「成功!」
「ルナ先輩、次はどうするんですか?」
「これを、温室の薬草に少しずつかけてみるの。成長促進の効果を確認するんだ」
私は慎重に、近くの陽だまり苔に薬を一滴垂らした。
すると——。
シュルルル……
苔が目に見える速度で成長し始めた。緑の絨毯がみるみる広がっていく。
「おお、効果が出ていますわね」
「すごくね~♪」
調子に乗った私は、他の薬草にも薬をかけていった。
春光草、虹露花、そして——。
「星降りの蔦にも、ちょっとだけ……」
「ルナさん、それは……」
カタリナの警告が間に合わなかった。
星降りの蔦に薬が触れた瞬間——。
ーーパァァァッ!
蔦が眩い光を放った。そして、花が次々と咲き始める。薄紫だった花が、赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍、紫——虹色に変化していく。
「え、ええっ!?」
「これは……予想外ですわ!」
虹色の花が温室中に広がっていく。それだけではない。他の薬草たちも、その影響を受けて色を変え始めた。
春光草が黄色とピンクのグラデーションに、虹露花が七色の花びらを広げ、陽だまり苔が虹色に輝く。
「温室が、虹色に……」
エミリが呆然と呟く。
「ふみゅみゅ~!」
ふわりちゃんが大喜びで飛び回る。
「ピューイピューイ!」
ハーブも興奮している。
「あ、あはは……ちょっと、予想以上の効果が……」
その時、温室の扉が開いた。
「ルナさん!一体何が——」
ヒルテンズ先生が駆け込んできて、そして——固まった。
「こ、これは……」
温室全体が虹色の花園になっていた。薬草たちは健康的に成長し、今まで見たこともない美しい色彩を放っている。
「先生、あの、これは……」
「……素晴らしい」
え?
「素晴らしいじゃないですか、ルナさん!こんな美しい薬草園、見たことがありません!」
ヒルテンズ先生が目を輝かせている。
「しかも、魔力も安定しています。これは……学院の宝になります!」
「ほ、本当ですか?」
「ええ!すぐに校長先生を呼んできます!この状態を維持してください!」
先生が慌てて温室を飛び出していく。
「……どういうことですの?」
カタリナが呆然としている。
「ルナっち、また結果オーライ~?」
フランが笑う。
「データを見る限り、確かに薬草の状態は完璧です。魔力も通常の三倍に上昇していますが、暴走の兆候はありません」
エリオットが冷静に報告する。
「それに、この香り……とても心地よいです」
ノエミ様が深呼吸する。確かに、温室には甘く優しい香りが満ちていた。
その後、校長先生を始め、多くの教師たちが温室を訪れた。
「これは見事ですね……」
校長先生が感動した様子で温室を歩く。
「ルナ・アルケミさん、君はまた学院に素晴らしい贈り物をしてくれましたね」
「あ、ありがとうございます……」
「この虹色の薬草園を、『春の薬草祭り』として一般公開しよう。多くの生徒や研究者に見てもらうべきです」
こうして、急遽『虹色の薬草祭り』が開催されることになった。
準備に三日間。その間、私たちは薬草の状態を維持し、データを記録し続けた。
カタリナは全ての薬草の魔力データを整理し、詳細な報告書を作成した。
エリオットは古代の薬草知識と照らし合わせ、この現象が「古代に失われた調和魔法」と似ていることを発見した。
ノエミ様は虹色の花々の香りを利用して、心を落ち着ける小さな香り袋を作成した。これが後に「虹色の癒し袋」として学院で販売されることになる。
そして、祭りの当日——。
「すごい人ですわね」
カタリナが温室の入り口から中庭を見下ろす。学院の生徒だけでなく、王都の貴族や研究者、さらには一般市民まで訪れていた。
「ルナっちの実験、また伝説になる~♪」
フランが笑う。
「伝説というか、偶然というか……」
私は苦笑いする。
「いいえ、ルナさん。これは偶然ではありませんわ」
カタリナが真剣な顔で言う。
「ルナさんの直感と観察力、そして薬草への愛情が、この奇跡を生んだんですの。自信を持ってくださいまし」
「カタリナ……」
「みなさん、そろそろご説明の時間です」
ノエミ様が時計を確認する。
私たちは温室の中央に設置された説明台に立った。
「えっと、皆さん、こんにちは。サークル『ミックス・ワンダーズ』のルナ・アルケミです」
緊張しながら挨拶すると、温かい拍手が起こった。
「今回の虹色の薬草園は、春の薬草の魔力特性を研究する中で偶然生まれました。春光草と虹露花、そして星降りの蔦のエッセンスを組み合わせた成長促進薬が、予想以上の効果を発揮したんです」
「詳細なデータについては、私カタリナ・ローゼンが説明させていただきますわ」
カタリナが優雅に前に出て、魔力データを示す。
「エリオット・シルバーブルームが古代の知識との比較を」
エリオットが古代文献を開いて説明する。
「そして、ノエミ・セレヴィアが実用化した癒しの小物についてご紹介いたします」
ノエミ様が虹色の香り袋を見せると、観客から歓声が上がった。
説明が終わると、質問が殺到した。
「王女様!この薬草、購入できますか?」
「王女様!調合法は公開されるんですか?」
「王女様!他の薬草でも同じ効果が得られますか?」
ノエミ様は一つ一つ丁寧に答えていった。
祭りは大成功だった。三日間の公開期間中、延べ千人以上が温室を訪れた。
ノエミ王女の虹色の香り袋は初日で完売し、追加生産が決定された。
調合法は学院の研究資料として正式に記録され、私たちサークルの功績として認められた。
そして、祭りの最終日——。
「お疲れ様でしたわ、皆さん」
カタリナが温室で、お茶会を開いてくれた。
「本当に、素晴らしい成果でしたわね」
「ルナっちのおかげだね~♪」
フランがクッキーを頬張る。
「いや、みんなのおかげだよ。一人じゃ、こんなに上手くいかなかった」
「それが、サークルの良さですね」
ノエミ様が優しく微笑む。
「ルナ先輩、次はどんな実験をするんですか?」
エミリが目を輝かせて尋ねる。
「えっとね、実は夏に向けて……」
「ルナさん、まだ春が終わってませんわ」
カタリナが呆れた様子で言う。
みんなが笑う。
「ふみゅ~」
「ピューイ!」
ふわりちゃんとハーブも、満足そうに鳴いた。
温室の外では、虹色の薬草が夕日に照らされて輝いている。
自然と魔法の調和。
それが、私たちが学んだ一番大切なことだった。
「ねえ、カタリナ」
「なんですの?」
「次はもっとすごい実験、一緒にやろうね」
「……もう、仕方ありませんわね」
カタリナが苦笑いする。
でも、その目は輝いていた。
春の薬草祭りは、こうして幕を閉じた。
そして、私たちの冒険は——まだまだ続いていく。
虹色の花々に見守られながら、私はそう確信した。