第210話 音楽祭と音色変換ポーション
春も深まってきた王都は、年に一度の『春の音楽祭』で賑わっていた。
「わぁ、すごい人ですわね」
カタリナが感嘆の声を上げる。
王都中央広場には、特設ステージが組まれ、色とりどりの旗が風に揺れている。広場を埋め尽くす人々の表情は、皆一様に明るい。
「春の音楽祭は、王都の三大イベントの一つですからね」
エリオットが説明する。
「音楽を通じて春の訪れを祝う、伝統的な祭典です。プロの音楽家だけでなく、学生や一般市民も参加できるんですよ」
「ふみゅ〜♪」
肩に乗ったふわりちゃんも、嬉しそうに鳴いている。お祭りの雰囲気が好きらしい。
「それで、私たちは何を演奏するんでしたっけ?」
「カタリナはピアノの独奏、エリオット君は古代楽器の解説と演奏、私は……えっと……」
私は空間収納ポケットの中を確認する。楽器は持ってきていない。その代わりに——
「『音色変換ポーション』を持ってきたよ!」
「……は?」
カタリナとエリオットが同時に固まる。
「だから、音色変換ポーションだよ! 音を色に変える薬なんだ」
「ルナさん……なぜそんなものを……」
カタリナが頭を抱える。
「いや、だって面白そうじゃない? 音楽祭なんだから、音に関係する実験をしようと思って!」
「実験って……ここは音楽祭であって、実験場ではありませんよ?」
エリオットが冷静にツッコむ。
「大丈夫、大丈夫! 多分うまくいくから!」
「その『多分』が一番怖いですわ……」
カタリナの不安そうな声が、春風に消えていった。
「さあさあ、皆の衆! 春の音楽祭、今年も盛り上がっていくぞおおお!」
ステージ上で、見覚えのある人物が叫んでいた。
「あれは……」
「メルヴィン副校長ですわね」
カタリナが呆れた様子で言う。
そう、ステージで司会を務めているのは、王立魔法学院のエンターテイメント至上主義副校長、メルヴィン・フェスティバル卿だった。今日も相変わらず、カラフルな服を着ている。というか、今日のは特に派手だ。虹色のジャケットに、羽飾りのついた帽子。完全にお祭りモードである。
「音楽は素晴らしい! 音楽は人の心を一つにする! そして何より——音楽は最高のエンターテイメントじゃああ!」
「相変わらず、テンション高いですね……」
エリオットが苦笑する。
「それでは、最初の演奏者を紹介しよう! 王立魔法学院が誇る才女、カタリナ・ローゼン嬢によるピアノ独奏じゃあああ!」
「えっ、私が最初ですの!?」
カタリナが驚く。
「お嬢様、頑張ってください!」
ジュリアが励ます。
「カタリナ、大丈夫だよ! いつも通りにやれば!」
「ふみゅ〜!」
私とふわりちゃんも応援する。
「……分かりましたわ。やるしかありませんわね」
カタリナは深呼吸をすると、優雅にステージへと向かった。
ステージ中央には、美しいグランドピアノが置かれている。カタリナはピアノの前に座ると、鍵盤に指を置いた。
静寂。
広場全体が、息を呑んで見守る。
そして——
最初の音が、静かに響いた。
それは、春の朝を思わせる、優しい旋律だった。カタリナの指が鍵盤の上を滑るように動き、音楽が流れ出す。
曲は『春風のワルツ』。春の訪れを祝う、伝統的な曲だ。
カタリナの演奏は、完璧だった。一つ一つの音が明瞭で、それでいて柔らかい。まるで春風が頬を撫でるような、心地よい演奏だ。
「綺麗……」
思わず呟く。観客たちも、うっとりとした表情で聴き入っている。
曲が進むにつれて、演奏は徐々に力強くなっていく。
春の嵐、新緑の息吹、花々の開花——そんな情景が、音楽から浮かび上がってくる。
そして、最後の音が静かに消えていった。
一瞬の静寂の後——
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
「さすがローゼン侯爵家のお嬢様!」
広場全体から、盛大な拍手が沸き起こった。
「ふみゅみゅ〜!」
ふわりちゃんも興奮して鳴いている。
カタリナはステージから優雅に一礼すると、私たちの元に戻ってきた。
「お疲れ様、カタリナ! すっごく綺麗だったよ!」
「ありがとうございます、ルナさん」
カタリナは少し照れくさそうに微笑む。
「さすがですね、カタリナさん。完璧な演奏でした」
エリオットも賛辞を送る。
「次は僕の番ですね。それでは、行ってきます」
エリオットがステージに上がる。
「次は、古代楽器の紹介と演奏じゃあ! シルバーブルーム家の若き研究者、エリオット・シルバーブルーム君!」
メルヴィン副校長の紹介に、エリオットは丁寧に一礼する。
「皆様、こんにちは。本日は、古代に使われていた楽器をご紹介します」
エリオットが取り出したのは、見たことのない形の楽器だった。木製の管に、金属の弦が張られている。
「これは『エコーリラ』と呼ばれる、約千年前に使われていた楽器です。管と弦の共鳴によって、独特の音色を奏でます」
そう言って、エリオットが弦を弾く。
キィィィン……
不思議な音が響いた。どこか懐かしく、それでいて神秘的な音色だ。
「古代では、この楽器は祭礼で使われていました。神々への祈りを音に乗せて届けるため、と言われています」
エリオットの解説に、観客たちは興味深そうに耳を傾ける。
その後、エリオットはいくつかの古代楽器を紹介し、それぞれの音色を奏でた。どれも独特で、現代の楽器とは違う魅力があった。
「さすがエリオット君、博識ですわね」
カタリナが感心する。
「うん、すごく面白いね!」
私も興味津々だ。
エリオットの演奏が終わり、次々と出演者が登場する。合唱団、弦楽四重奏、フルート独奏——どれも素晴らしい演奏だった。
そして——
「さあさあ、次は特別企画じゃああ! 王立魔法学院の問題児——もとい、天才錬金術師、ルナ・アルケミ嬢による、特別実験!」
「問題児って言いました!? 絶対言いましたよね!?」
私は思わずツッコむ。
「細かいことは気にするな! さあ、ルナ嬢、ステージへ!」
メルヴィン副校長に背中を押され、私はステージに上がった。
「えっと、皆さんこんにちは。ルナ・アルケミです」
緊張しながら挨拶をすると、観客から温かい拍手が起こる。
「今日は、『音色変換ポーション』というものを持ってきました。これは、音を色に変える薬なんです」
私は空間収納ポケットから、虹色に輝く液体が入った小瓶を取り出す。
「音を色に……?」
観客たちがざわめく。
「はい。音の高さや大きさによって、違う色が現れるんです。実際にやってみますね!」
私は小瓶の蓋を開け、中身をステージの床に撒いた。液体は床に染み込み、淡く光り始める。
「それでは、誰か音を出してくれませんか?」
「ふみゅ!」
ふわりちゃんが元気よく鳴いた。
その瞬間——
ーーぱあっ!
ステージから、ピンク色の光の球が飛び出した。
「わぁ!」
観客たちが驚きの声を上げる。光の球は、ふわりちゃんの鳴き声に合わせて、ふわふわと空中を漂っている。
「すごい……!」
「これは面白いぞ!」
観客たちの反応は上々だ。
「では、もっと本格的にやってみましょう! 楽器の演奏に合わせて、どんな色が出るか見てみませんか?」
「おおおお! それじゃあ、誰か演奏してくれる人!」
メルヴィン副校長が叫ぶと、何人かの音楽家が手を挙げた。
「それでは、皆さんで『春の賛歌』を演奏してください!」
音楽家たちがそれぞれの楽器を構える。バイオリン、フルート、トランペット——様々な楽器が揃った。
「それでは、せーの!」
演奏が始まった。
その瞬間——
ーーぱあああああっ!
ステージから、無数の光の球が飛び出した。
赤、青、黄、緑、紫——音の高さや強さに応じて、様々な色の光が空中を舞う。まるで、音楽が目に見える形になったかのようだ。
「なんじゃこりゃあああ! 素晴らしいいいい!」
メルヴィン副校長が大興奮している。
演奏が進むにつれて、光の球はどんどん増えていく。低い音は青や紫、高い音は赤や黄色。大きな音は大きな光の球、小さな音は小さな光の球。
「綺麗……!」
観客たちが口々に感嘆の声を上げる。子供たちは手を伸ばして、光の球に触れようとしている。光の球は触れると、キラキラと輝いて消える。
「ふみゅみゅ〜♪」
ふわりちゃんも嬉しそうに鳴く。その声に合わせて、ピンク色の光の球が次々と現れる。
演奏は最高潮に達した。音楽家たちの演奏に合わせて、夜空は色とりどりの光で埋め尽くされる。
そして——
ーーぱああああああん!
最後の音が鳴り響くと同時に、全ての光の球が一斉に弾けた。
夜空に、巨大な光の花火が咲いた。
「うわああああ!」
観客たちから、歓声が上がる。光の花火は、ゆっくりとキラキラと輝きながら消えていった。
一瞬の静寂の後——
広場全体から、雷鳴のような拍手が沸き起こった。
「ブラボー!」
「最高だ!」
「もう一回! もう一回!」
観客たちが口々に叫ぶ。
「これじゃああ! これこそが、最高のエンターテイメントじゃああああ!」
メルヴィン副校長が、涙を流しながら叫んでいる。
「る、ルナさん……まさか、ここまでになるとは……」
カタリナが呆然としている。
「成功した……みたい?」
私も少し驚いている。予想以上の効果だった。
「それでは、音楽祭のフィナーレじゃああ! 全員で合唱をしよう!」
メルヴィン副校長の提案に、観客たちも賛成する。
「曲は『春よ来たれ』じゃあ! みんなで歌うぞおおお!」
音楽家たちが演奏を始める。そして、広場全体から歌声が響き始めた。
「春よ来たれ、花開け」
大人も子供も、貴族も平民も、みんなが一緒に歌う。
そして、その歌声に合わせて——
ーーぱああああっ!
無数の光の球が夜空に舞い上がった。
「緑の大地、風薫る」
歌声が高まるにつれて、光の球はどんどん増えていく。赤、青、黄、緑、紫——色とりどりの光が、夜空を彩る。
「鳥は歌い、花は咲く」
光の球は、まるで生き物のように空中を舞う。音楽に合わせて踊っているようだ。
「春よ来たれ、我らの元へ」
最後のフレーズが歌われると——
ーーぱああああああああん!
夜空全体が、虹色の光に包まれた。
それは、言葉では表現できないほど美しい光景だった。音楽と光が一つになって、春の夜空を彩っている。
「綺麗……」
私も、カタリナも、エリオットも、そして広場にいる全ての人が、その光景に見入っていた。
「ふみゅ〜……」
ふわりちゃんも、感動したように鳴いている。
光はゆっくりと消えていき、夜空には星々が輝いていた。
そして——
広場全体から、今日一番の拍手が起こった。
「最高じゃああああ! 今年の音楽祭は、史上最高じゃああああ!」
メルヴィン副校長が、興奮のあまり飛び跳ねている。
「ルナさん、今日は本当にすごかったですわ」
カタリナが微笑む。
「うん! でも、みんなが協力してくれたおかげだよ」
「そうですね。音楽と錬金術の融合、素晴らしかったです」
エリオットも満足そうだ。
「来年も、また参加したいですわね」
「うん! 来年はもっとすごいのを作るよ!」
「それは楽しみですわ……でも、爆発はさせないでくださいね?」
「が、頑張る……」
私たちは笑いながら、春の夜空を見上げた。
こうして、春の音楽祭は、色とりどりの音の花で彩られて幕を閉じたのだった。
——そして、この音楽祭は『虹色の音楽祭』として、後世まで語り継がれることになる。