第208話 春の花畑フィールドワーク
「本日は学院近郊の野原にて、フィールドワークを実施します」
グリムウッド教授が朗らかに告げると、教室内がざわめいた。
「やった! 外での授業だ!」
「久しぶりの野外実習ね」
私も思わず顔がほころぶ。実験室での調合も楽しいけれど、やっぱり外での実習は特別だ。
肩に乗ったふわりちゃんも「ふみゅ〜♪」と嬉しそうに鳴いている。
「採取対象は『光花草』です。この時期にしか咲かない貴重な薬草で、錬金術の材料として重要なものですね」
教授が説明を続ける。
光花草は春の魔力が最も高まる時期に咲く特殊な植物で、夜になると淡い光を放つらしい。採取した草は魔力増幅の薬や、光を操る錬金術の材料になる。
「へぇ、面白そうですわね」
隣でカタリナが興味深そうに呟く。
「うん! 実物を見るのが楽しみだよ」
私は空間収納ポケットから採取用の道具を取り出した。専用のハサミと、魔力を保持できる特殊な袋だ。
学院から馬車で三十分ほど揺られて、私たちは目的地の野原に到着した。
「わぁ……!」
思わず感嘆の声が漏れる。
目の前に広がるのは、一面の花畑だった。
黄色、ピンク、白、紫——様々な春の花々が咲き乱れ、まるで絵画のような光景だ。そして、その中でひときわ目を引くのが、金色に輝く小さな花々。
「あれが光花草ですわね」
カタリナが指差す。
確かに、他の花とは明らかに違う輝きを放っている。
昼間でもうっすらと光っているなんて、よほど魔力が高いんだろう。
「ふみゅみゅ〜」
ふわりちゃんが興奮気味に鳴く。
ポケットの中のハーブも「ピューイ」と顔を出した。
「では、各自で採取を開始してください。ただし——」
グリムウッド教授が注意事項を述べようとした、その時だった。
「キュウ!」
「キュキュキュ!」
「キュウウウ!」
草むらから、何かが飛び出してきた。
「な、何ですの!?」
カタリナが驚いて後ずさる。
私の目の前に現れたのは、モフモフの毛玉のような小動物だった。
ウサギのような長い耳、リスのようなふわふわの尻尾、そしてつぶらな瞳。全身が白と茶色の柔らかそうな毛で覆われている。
「可愛い……!」
思わず言葉が漏れた瞬間、その「可愛い生き物」は光花草に飛びつき、むしゃむしゃと食べ始めた。
「あっ!待って!」
慌てて手を伸ばすが、時すでに遅し。さらに草むらから、同じような生き物が次々と現れる。
「キュウキュウ!」
「キュキュ!」
「キュウウウ!」
十匹、二十匹、三十匹——あっという間に花畑は、モフモフの毛玉だらけになった。
「これは……『春モフ』ですね」
グリムウッド教授が眼鏡を直しながら呟く。
「春モフ?」
「この時期にだけ現れる魔物です。光花草を好物としていて、群れで行動します。性質は温厚ですが、食欲は旺盛でして……」
説明の間にも、光花草がどんどん食べられていく。このままでは、採取どころではない。
「先生! 何か対策はありませんの!?」
カタリナが焦った様子で尋ねる。
「うーむ、通常は追い払うのですが……この数では……」
教授も困惑している。確かに、この数を一匹ずつ追い払うのは現実的じゃない。
「よし、私に任せて!」
私は空間収納ポケットから、試作品のポーションを取り出した。ピンク色の液体が入った小瓶だ。
「ルナさん、それは?」
「『花粉爆発ポーション』だよ! 花粉を一気に拡散させて、くしゃみを誘発するんだ。春モフたちが嫌がって逃げてくれるはず!」
この間、実験室で試作していたものだ。花粉症対策の研究をしていたら、逆に花粉を爆発的に増やす薬ができてしまったのだ。失敗作だと思っていたけれど、こんなところで役に立つとは。
「ちょ、ちょっと待ってください、ルナさん! その薬、本当に大丈夫ですの!?」
カタリナが不安そうな顔をする。
「大丈夫、大丈夫!多分!」
「多分って……!」
カタリナの制止を振り切り、私はポーションの蓋を開けた。
「それでは、いきますよ!!『花粉爆発ポーション』、投擲!」
小瓶を花畑の中央に向かって投げる。瓶は綺麗な放物線を描き——
ぱりん!
地面に落ちて割れた。
すると、瓶から金色の煙が勢いよく噴き出した。煙はあっという間に広がり、花畑全体を覆い尽くす。
「キュウウウ!?」
「キュキュキュ!?」
春モフたちが慌てて逃げ出す。よし、作戦成功——!
「は、はっくしょん!」
——と思ったら、真っ先にくしゃみをしたのは私だった。
「はっくしょん! はっくしょん!」
続いてカタリナも、エリオットも、他のクラスメートたちも、次々とくしゃみをし始める。
「はっくしょん!る、ルナさん!これ、人間にも効きますわよ!」
「ごっ、ごめん!はっくしょん!」
目が痒い。鼻がむずむずする。涙が止まらない。
「ふみゅ〜……はっくしゅ!」
ふわりちゃんまでくしゃみをしている。そのあまりの可愛さに、思わず心が和みそうになるが、それどころじゃない。
「はっくしょん!みんな、撤退ですわ!」
カタリナの指示で、私たちは花畑から離れた場所まで退避した。
「はぁ……はぁ……」
安全な場所まで逃げて、ようやく一息つく。金色の花粉はまだ花畑の上空に漂っていて、キラキラと輝いている。
「ご、ごめんなさい……」
「まったく、いつもこうですわね」
カタリナも呆れた様子だ。
「あの、でも……春モフは全部逃げましたよ?」
エリオットが指摘する通り、花畑からは春モフの姿が完全に消えていた。
作戦自体は成功したと言える。ただし、人間も巻き添えになっただけで。
「問題は、あの花粉の雲ですわね……」
カタリナが空を見上げる。金色の花粉はまだ消える気配がない。
むしろ、太陽の光を受けてさらに輝きを増している。
その時だった。
「あれは……!」
誰かが叫ぶ。
金色の花粉の雲が、突然色を変え始めた。金色から、オレンジ、赤、紫、青、緑——虹色の光が花畑全体を包み込む。
「な、何が起きてますの!?」
「わ、分かりません!」
私も困惑する。こんな現象、予想していなかった。
「これは……光花草の花粉と、私のポーションの成分が、想定外の反応を起こしているんだと思う!」
よく見ると、虹色の光は波のように揺らめいている。まるで、オーロラのような幻想的な光景だ。
「綺麗……」
思わず呟く。くしゃみで涙目になっていたことも忘れて、その光景に見入ってしまう。
「ふみゅ〜……」
ふわりちゃんも感動したように鳴く。
「素晴らしい……!これは、『光花草の魔力共鳴現象』ですね!」
グリムウッド教授が興奮した様子で叫ぶ。
「魔力共鳴現象?」
「光花草の花粉が高濃度で集まると、互いの魔力が共鳴し合い、このような現象が起きるのです。しかし、自然状態でこれが起きるのは極めて稀で……記録に残っている例は、過去百年で三例のみ!」
教授は手帳を取り出して、熱心にメモを取り始める。
「つまり……貴重な現象ってことですか?」
「その通り! ルナさん、あなたはまた歴史に残る発見をしましたよ!」
えっ。
私は自分の耳を疑った。くしゃみの大騒ぎを起こしたのに、これが評価されるの?
「本来、この現象を人工的に再現するには、高度な魔法陣と複雑な錬金術の組み合わせが必要です。それを、あなたはたった一つのポーションで実現した!」
「い、いや、でも……これは偶然で……」
「偶然こそが、新発見の母ですよ」
教授はにこやかに言う。
「まぁ、結果オーライってことですわね」
カタリナが肩をすくめる。
「ふみゅみゅ〜♪」
ふわりちゃんも嬉しそうだ。
結局、虹色の光は一時間ほど続いた後、徐々に消えていった。その間、教授をはじめとする教員たちは、熱心に観測と記録を続けていた。
「本日のフィールドワークは、予想外の展開となりましたが……むしろ、教科書に載るような貴重な体験ができました」
グリムウッド教授が総括する。
「光花草の採取はできませんでしたが、代わりに『魔力共鳴現象の観測』というレポートを提出してください。これは通常の課題以上の価値があります」
「はい!」
クラスメートたちが元気よく返事をする。みんな、最初のくしゃみ地獄はすっかり忘れているようだ。
「ルナさん、あなたの実験レポートは特に期待していますよ」
「が、頑張ります……」
私は力なく答える。
馬車で学院に戻る道中、カタリナが呟いた。
「ルナさんと一緒にいると、退屈しませんわね」
「それって、褒めてるの?」
「さぁ、どうでしょう?」
カタリナはいたずらっぽく笑う。
「でも、今日の虹色の花畑は本当に綺麗でしたわ。あれは一生忘れられない光景です」
「うん、私もそう思う」
窓の外を見ると、遠くに花畑が小さく見える。もう虹色の光は消えているけれど、あの幻想的な光景は、私の心にしっかりと刻まれている。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが満足そうに鳴く。
「次のフィールドワークも楽しみですわね」
「うん!……でも、次は普通に終わらせたいな」
「ルナさんに『普通』を期待するのは無理な話ですわ」
カタリナの言葉に、私は苦笑するしかなかった。
こうして、春の花畑フィールドワークは、くしゃみと虹色の光という、予想外の形で幕を閉じたのだった。