第207話 新入生とオリエンテーションと歩き出す地図
「ルナさん、今回は本当に、本当に、普通にお願いしますわ」
カタリナが念を押すように言った。
私たちは学院の会議室で、新入生向けの校内地図を準備していた。
「わかってるって! 今回は普通に配るだけだから!」
私は胸を張って答える。
昨日の入学式の件で、グリムウッド教授から『材料の確認を三回する』という誓約書にサインさせられたばかりだ。今回は本当に気をつけなければ。
「ふみゅ?」
肩の上のふわりちゃんが、何やら不安そうに鳴いている。
ハーブもポケットから顔を出して、「ピューイ……」と心配そうだ。
「何よ、二人とも。私だって、ちゃんとできるもん」
「ルナっち〜♪ この地図、超シンプルだね〜♪」
フランが手に取った地図を見ながら言った。確かに、白黒の簡素な地図だった。
「そうなんだよね。新入生、これで本当に学院内を把握できるのかな?」
「まあ、例年この地図で問題なかったそうですから、大丈夫でしょう」
エリオットが冷静に答える。
「でも……もっと便利にできないかな?」
私がそう呟いた瞬間、カタリナが鋭く反応した。
「ルナさん、何を考えていますの?」
「え、いや、ちょっと魔力を込めれば、地図がもっとわかりやすくなるかなって……」
「駄目ですわ! 絶対に駄目ですわ!」
カタリナが両手で私の肩を掴んで揺さぶる。
「でもでも、新入生が迷子になったら可哀想じゃない!」
「ルナさんの魔力の方がもっと可哀想なことになりますわ!」
「そ、そんなことないもん!」
私は少し膨れっ面をした。確かに、最近の実験は予想外の結果が多いけれど、今回は単純に魔力を込めるだけだ。問題ないはず。
「ルナ先輩、もうオリエンテーションの時間ですよ」
エミリが時計を見ながら教えてくれた。
「よし、行こう!」
私たちは地図の束を抱えて、新入生たちが待つ講堂へ向かった。
講堂には、昨日入学したばかりの新入生たちが集まっていた。みんな期待と不安が入り混じった表情をしている。
「それでは、在校生の皆さんから、校内地図を配っていただきます」
モーガン先生が説明する。私たちは地図を配り始めた。
その時だ。私の手が、うっかり地図の束に触れた瞬間――
ーーぱぁっ
淡い光が地図全体に広がった。
「あっ」
「ルナさん!?」
カタリナが叫ぶ。しまった、無意識に魔力を込めてしまった!
最初は何も起こらなかった。新入生たちは地図を手に取り、じっくりと眺めている。
「えっと、図書館はこっちで……」
一人の新入生が地図を見ながら呟いた。すると――
ぱたぱた
地図が突然、その子の手から飛び出した。
「え!?」
地図は宙を舞い、講堂の出口に向かって飛んでいく。そして、まるで手招きするように、ひらひらと揺れた。
「あ、あの……」
新入生が戸惑いながら、地図を追いかけていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
私が慌てて止めようとした瞬間、他の地図も次々と動き出した。
ぱたぱたぱたぱた!
「うわあああ!?」
「地図が飛んでる!?」
新入生たちが驚きの声を上げる。地図たちは、まるで意思を持ったかのように、新入生たちの周りを飛び回り始めた。
「ルナさん……これは一体……」
モーガン先生が呆然とした表情で私を見る。
「す、すみません! ちょっと魔力が……」
「ルナさん、早く止めてください!」
カタリナが叫ぶが、もうだいぶ遅い。地図たちは新入生たちを引き連れて、講堂から飛び出していった。
「待って待って!」
私たちも慌てて追いかける。
廊下では、信じられない光景が繰り広げられていた。
地図たちが、まるでツアーガイドのように、新入生たちを校舎中に案内しているのだ。
「こっちが図書館……って、え、こっち!?」
一人の新入生が、地図に引っ張られるように走っていく。しかし、地図が示す方向は、明らかに図書館と逆方向だった。
「あれ、教室はこっちじゃ……わあっ!?」
別の新入生が、地図に導かれて階段を駆け上がっていく。
「魔物学の教室は……え、屋上!?」
地図はどんどん新入生たちを、ありえない場所へ連れて行ってしまう。
「これはまずいですわ!」
カタリナが青ざめた顔で言った。
「ルナっち、マジでヤバいよ〜!♪」
フランが笑いながら、暴走する地図を追いかけている。
「ルナ先輩、どうしましょう!」
エミリが困惑している。
「地図の魔力を解除しないと……!」
私は『魔力鎮静薬』を取り出そうとしたが、その時――
「助けて〜!」
悲鳴が聞こえた。見ると、一人の新入生が地図に引きずられて、使われていない旧校舎の方へ向かっている。
「あっちは立ち入り禁止区域ですわ!」
カタリナが叫ぶ。
「やば、止めないと!」
私は必死に走った。しかし、地図の動きは予想以上に速い。
旧校舎の扉が開き、新入生が中に引きずり込まれそうになった――その瞬間。
「『拘束の蔦』!」
カタリナの魔法が発動し、緑色の蔦が地図を絡め取った。
「今ですわ、ルナさん!」
「うん!」
私は『魔力鎮静薬』を噴霧器に入れ、捕まえた地図に噴射した。
しゅわわわわ〜
青い霧が地図を包む。すると、地図は力を失い、ひらりと地面に落ちた。
「はぁ……はぁ……助かった……」
新入生が息を切らしながら言った。
「ごめんなさい! 大丈夫!?」
「は、はい……でも、あの地図、すごく元気でしたね……」
新入生が苦笑する。
「他の地図も止めないと!」
私たちは再び走り出した。
校舎中を駆け回り、一枚一枚地図を回収していく。
カタリナの『拘束の蔦』で捕まえ、私が『魔力鎮静薬』で無力化する。
フランは持ち前の運動神経で、高い場所を飛び回る地図を捕まえ、エミリは『測り目』の魔法で、遠くの地図の位置を正確に把握してくれた。
「あと三枚!」
エリオットが叫ぶ。彼は『記録用の魔法陣』で、どの地図を回収したか記録してくれていた。
「最後の一枚は……あそこ!」
カタリナが指差す先には、校長室の扉があった。
そして、その扉の前で、一枚の地図がひらひらと揺れていた。
「校長室って……まずい!」
私が慌てて駆け寄った瞬間、扉が開いた。
「これは一体、何の騒ぎですか?」
校長先生が困惑した表情で立っていた。そして、その足元には、校長室に入ろうとしていた新入生が――いや、新入生が三人も倒れ込んでいた。
「こ、校長先生……」
「ルナ・アルケミさん…」
校長先生のため息が聞こえた。
「申し訳ございません……」
私は深々と頭を下げた。
その後、私たちは新入生たち全員を無事に回収し、改めて普通の地図を配り直した。
幸い、怪我人は一人もいなかったが、新入生たちはみんなくたくたに疲れていた。
一通り周りを確認したモーガン先生が、
「ルナさん。新入生たちは、この一時間で校舎の隅々まで見て回ることができました。ある意味、最も効率的なオリエンテーションだったでしょう」
と言った。
「え……」
「ただし!」
先生の声が厳しくなる。
「次からは必ず、事前に許可を取ってください。そして、地図に魔力を込めないこと。いいですね?」
「は、はい!」
私は慌てて頷いた。
「でも、先生」
昨日挨拶をしたクラリスが手を挙げた。
「私、あの地図のおかげで、学院のこと、すごくよくわかりました。迷子になったけど、楽しかったです」
「わ、私も!」
「僕も、普通に案内されるより、冒険みたいで面白かったです!」
他の新入生たちも、次々と同意の声を上げた。
「……そうですか」
モーガン先生が苦笑する。
「まあ、結果的に新入生たちが学院に慣れたなら、良しとしましょう」
「ありがとうございます!」
私は安堵のため息をついた。
「ルナさん、本当に懲りませんわね」
カタリナが呆れた顔で言う。
「ごめんごめん。でも、結果オーライだったよね?」
「それは……まあ、そうかもしれませんけれど……」
カタリナは苦笑した。
「ルナっち、超面白かった〜♪ 地図が走り回るとか、初めて見た〜♪」
フランが笑いながら肩を叩いてくる。
「ルナ先輩、次は何を作るんですか?」
エミリが興味津々に聞いてくる。
「え、えっと……しばらくは大人しくしてようかな……」
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが、私の肩の上で満足そうに鳴いていた。
ハーブも「ピューイ!」と元気な声を上げる。
こうして、史上最も波乱に満ちた新入生オリエンテーションは幕を閉じた。
そして、私はグリムウッド教授に再び呼び出され、『地図には絶対に魔力を込めない』という新たな誓約書にサインさせられた。
「次こそは、普通に成功させるんだから!」
私は決意を新たにした。が、その隣でカタリナが深いため息をついていたのだった。