第206話 新入生にパニック・ポーション
「ルナさん、本当に大丈夫ですの?」
カタリナが心配そうに、私の手元の薬瓶を見つめている。淡いピンク色をした液体が、瓶の中で優しく光っていた。
「大丈夫大丈夫! 今回は完璧だよ!」
私は自信満々に答えた。今日は新入生の入学式。
新入生たちが緊張しているだろうと思って、『緊張緩和ポーション』を作ったのだ。
「ふみゅ〜」
肩の上のふわりちゃんが、なぜか不安そうに鳴いている。
ハーブもポケットから顔を出して、「ピューイ……」と心配そうな声を上げた。
「何よ、二人とも。今回は材料も完璧に揃えたし、調合の手順も間違えてないもん」
そう、今回は本当に完璧だったのだ。
『静寂の花』『安らぎの石』『温かい水』を使って、丁寧に調合した。爆発も一回もなかった――まあ、最初の試作で小爆発が三回あったけれど、それは数に入らない。
「でも、ルナさん……この色、少し濃すぎませんこと?」
カタリナが指摘する。
確かに、レシピでは『淡いピンク』と書いてあったのだけれど、私のポーションは『鮮やかなピンク』になっている。
「え、でもこれくらいの方が効果がありそうじゃない?」
「それは……そうかもしれませんけれど……」
カタリナが言いよどむ。
「ルナっち〜♪ それ、マジで配るの〜?♪」
フランが興味津々な顔でやってきた。
「うん! 新入生たち、きっと緊張してると思うから」
「優しいね〜♪ でも、ルナっちの薬って、いっつも予想外の効果が出るから、ちょっと怖いかも〜♪」
「失礼な! 今回は大丈夫だって!」
私は胸を張って答えた。
「ルナ先輩、もう入学式が始まりますよ」
エミリが教えてくれた。私たちは式典会場に向かった。
王立魔法学院の入学式は、毎年盛大に行われる。広い講堂には、新入生たちがずらりと並び、保護者や在校生も参加している。壇上には校長先生をはじめ、教授陣が座っていた。
「さて、それでは新入生代表による挨拶です」
校長先生の声が響く。すると、一人の新入生が壇上に上がってきた。金色の髪を持つ、凛とした雰囲気の少女だった。
「あの子、すごく緊張してますわね」
カタリナが囁く。確かに、少女の手は微かに震えていた。
「よし、今だ!」
私は『緊張緩和ポーション』を小さなカプセルに詰め、魔法で少女の元に飛ばした。カプセルは空中で弾け、淡いピンクの霧となって少女を包む。
「ルナさん!?」
カタリナが慌てた声を上げたが、もう手遅れ。少女はポーションの霧を吸い込んでしまった。
最初は何も変わらなかった。少女は原稿を手に取り、挨拶を始める。
「えー、新入生を代表いたしまして……ぷっ……」
突然、少女が吹き出した。
「……? えっと、私たちは……くすくす……」
少女の肩が震え始める。
「……この学院で……ふふっ……あはは……」
笑いが止まらなくなってきた。
「……学問を……あははははは!」
完全に爆笑モードに入ってしまった。
「え、ちょっと!?」
私は慌てた。『緊張緩和ポーション』のはずが、どうして笑いが止まらなくなっているのか!
「ルナさん、あなた『温かい水』の代わりに『笑いの泉の水』を使いませんでしたの!?」
カタリナが青ざめた顔で聞いてくる。
「えっと……材料棚の横に置いてあった水を使ったんだけど……」
「それ、先週フランさんが悪戯用に持ってきた『笑いの泉の水』ですわ!」
「えええええ!?」
壇上では、新入生代表の少女が原稿を放り投げて、お腹を抱えて笑い転げていた。
「あははははは! も、もう無理……あははははは!」
会場中が静まり返る。新入生たちも、保護者たちも、そして教授陣も、唖然とした表情で少女を見つめていた。
「ま、まずい……どうしよう……」
その時、ピンクの霧が会場全体に広がり始めた。どうやら、私が飛ばしたカプセルの量が多すぎたらしい。
「え、ちょっと……くすくす……」
最前列に座っていた新入生が笑い出す。
「な、何これ……ふふっ……あはは!」
次々と新入生たちが笑い始めた。そして、その笑いは保護者たちにも、在校生たちにも広がっていく。
「くっ……これは……ははは!」
カンナバール教官までもが、必死に笑いをこらえようとしているが、顔が真っ赤になっている。
「ルナ君……これは……ふふっ……」
グリムウッド教授も笑いを堪えきれず、眼鏡を外して涙を拭いている。
「あははははは!」
「もう駄目……お腹痛い……あはははは!」
会場中が爆笑の渦に包まれた。入学式どころではない。みんなお腹を抱えて笑い転げている。
「ルナさん……どうしますの……ふふっ……」
カタリナまでもが笑い始めてしまった。
「ルナっち……これヤバ……あはははは!」
フランも完全に笑いのツボに入っている。
「ルナ先輩……くすくす……」
エミリも笑いをこらえようとしているが、目に涙を浮かべていた。
「ふみゅみゅみゅ〜!」
ふわりちゃんまで楽しそうに鳴いている。ハーブは「ピューイピューイ!」と、なぜか嬉しそうだ。
「と、とにかく解毒剤を……!くっ…ふっ…」
私はなんとか笑いをこらえながら、空間収納ポケットから材料を取り出し、その場で『笑い止めポーション』を作り始めた。
「『静寂の花』と『冷たい水』と『深い眠りの水』を……ぷっ」
必死に調合する。周りでは、まだみんなが笑い続けている。
「校長先生……あははは……ひどい……あははは!」
壇上では、校長先生までもが威厳を保てず、白髪を振り乱して笑っていた。
「できた!」
私は『笑い止めポーション』を噴霧器に入れ、会場全体に噴射した。
しゅわわわわ〜
青い霧が広がる。すると、少しずつ笑い声が収まっていった。
「はぁ……はぁ……」
みんな息を切らしながら、ようやく正気を取り戻した。
「ルナ・アルケミさん…」
校長先生が近くに来て、私を呼んだ。
私は反射的に姿勢を正した。
「は、はい!」
「ルナ・アルケミさんは……一体、何をしたのですか!?」
「え、えっと……緊張を和らげようと思って……」
「和らげすぎです!」
グリムウッド教授が叫んだ。眼鏡が曲がっている。
「すみません……」
私はしゅんと頭を下げた。
その時、新入生代表の少女が立ち上がった。
彼女の顔は涙と笑いで真っ赤になっていたが、なぜか晴れやかな表情をしていた。
「あの……すみません、私、もう一度挨拶をしても良いでしょうか?」
校長先生が驚いた顔で頷く。
「……いいでしょう」
少女は原稿を拾い上げ、深呼吸をした。そして――
「新入生を代表いたしまして、一言ご挨拶申し上げます」
今度は、何の詰まりもなく、完璧な挨拶を始めた。さっきまでの緊張は、すっかり消えていた。
「私たちは、この学院で多くのことを学び、成長していくことを誓います。どんな困難があろうとも――」
少女はちらりと私の方を見て、微笑んだ。
「――笑い飛ばして、前に進んでいきたいと思います」
会場が静まり返る。そして、次の瞬間――
ぱちぱちぱちぱち!
盛大な拍手が沸き起こった。新入生たちも、保護者たちも、そして教授陣も、笑顔で拍手している。
「……素晴らしい挨拶でした」
校長先生が穏やかな声で言った。そして、私の方を見る。
「ルナ・アルケミさん。ポーションは確かに問題がありました。しかし――」
校長先生が微笑む。
「――結果的に、最も記憶に残る入学式になりました」
「え……」
「新入生たちの緊張も完全にほぐれましたし、ある意味、目的は達成されたと言えるでしょう」
私は驚いて目を丸くした。
「ただし!」
校長先生の声が厳しくなる。
「次からは必ず、事前に教授陣の許可を取る様にしてください。いいですね?」
「は、はい!」
私は慌てて頷いた。
入学式は、その後何事もなく終わった。
新入生たちは、さっきの爆笑の余韻が残っているのか、みんなリラックスした表情をしていた。
「ルナさん、今回は本当に危なかったですわよ」
カタリナが呆れた顔で言う。
「ごめん……でも結果オーライだったよね?」
「それは……まあ、そうかもしれませんけれど……」
カタリナは苦笑した。
「ルナっち、超面白かった〜♪ あんな入学式、初めて見た〜♪」
フランが笑いながら肩を叩いてくる。
「ルナ先輩、新入生たちが先輩にお礼を言いたいそうですよ」
エミリが教えてくれた。振り返ると、新入生代表の少女が近づいてきていた。
「あの、先輩。さっきはありがとうございました」
「え、いや、あれは失敗で……」
「いいえ」少女は首を振った。「おかげで、緊張が吹き飛びました。それに――」
少女が笑顔を見せる。
「――この学院が、とても楽しい場所だってわかりました」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「そっか。それなら良かった」
「私、クラリス・ステラと申します。これから、よろしくお願いします!」
「うん、よろしくね、クラリス!」
こうして、史上最も笑いに満ちた入学式は幕を閉じた。
――翌日、「新入生に優しい学院」として王立魔法学院の評判が急上昇し、来年の志願者数が過去最高を記録する見込みだという噂が流れた。
そして、私はグリムウッド教授に呼び出され、『材料の確認を三回する』という誓約書にサインさせられた。
「ふみゅ〜」
ふわりちゃんが、私の肩の上で満足そうに鳴いていた。